2019年11月27日(水)
23日(土) 高貴な人が眠る大事な古墳である山を見る為に、麓の観福寺の電話番号をカーナビにセットして神戸から車を走らせました。
どうして行ったのか!?
・・それは・・、四天王寺で手を合わす先は、鎌の形をしたコンタラインの長老ヶ岳でした。
その長老ヶ岳と鎌ヶ岳にある藤原不比等の墓と、36度54度90度の正五角形の一部をなす綺麗な直角三角形を描く場所に、前方後円墳があり、その山裾に、観福寺があったからです。
今年の春、藤原不比等公1300年法要に呼ばれるにあたり、藤原不比等の墓の特定をし、それに続いて、長男の定恵の足取りを追い求めていました。
そのきっかけになったのは、定恵にまつわる山梨県早川町の西山温泉でした。
そのような流れから、定恵の墓が浮かび上がってきました。
以前私は、紀貫之の墓が、どうして比叡山延暦寺根本中堂の東の山中にあるのかが不思議でなりませんでしたが、ここに来て、紀貫之は定恵の秘密も全て知っていたということが証明されそうです。
梵字の「ア」「ウン」には大きな意味を感じます。
小さいですが、「ホ・キ」の山もありました。(下)