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2020年8月7日(金)
兵庫県三田市の光明山観福寺から見える光明山は、藤原鎌足の長男とされる定恵の墓である。
定恵は孝徳天皇の落胤(らくいん)である。
また定恵は、謎の人物、法道仙人でもある。
そして、藤原鎌足の次男とされる藤原不比等は、天智天皇の落胤である。
その藤原不比等は、双子の弟である。
不比等は藤原家では次男となっているが、天智天皇のDNA的流れで言えば、天智天皇の三男である。
長男は大友皇子(弘文天皇)、次男は誰かというと、稗田阿礼である。
そして、聖武天皇の妃、光明皇后は藤原不比等の娘となっているが、兄 定恵=法道仙人の娘である。
行基と橘三千代との子である。2923年10月10日加筆訂正
不比等は、光明子の養父である。
その光明子が眠る光明山がある地名は養父市(やぶし)であるが、養父に育てられた光明皇后が眠っていることを語り継いでいる。
嘘のようであるが、本当の話である。
・・
これらのことを教えられている私としましては、翌日の光明山山頂へ上り、光明皇后と身近に対面できることに少しワクワクドキドキでした。
でも少しだけ、クマさんのことも気になる私で、「・・でも神様の使いで行くのだから、何があっても守られる」との強い思いもありました。
・・
旅館 古城に着いたのは夕方6時頃で、急いでお風呂で汗を流し、6時半から食事でした。
武部さんは私のお願い事で、小野妹子の墓と孝徳天皇陵へとお参りに行ってもらいましたが、DNA的に小野妹子~孝徳天皇の流れで、
孝徳天皇の子供の定恵、定恵の子供の光明子という流れですので、武部さんに小野妹子と孝徳天皇が乗ってきて、定恵の墓に行って、翌日に三人が光明皇后の神殿に行くという計画でした。
・・ので、夕食の場には、光明子をのぞいたお三人さん方が居るという感じで、この世の人が私を含めて三人。
あの世の方が三人で合計6人の御霊の宴会でした。
「私は、ビールは口にしたことはありませんので、出来ましたら日本酒で・・」ということで、ビールと日本酒で話し込む宴席でした。
立派なお御霊6柱の宴席には、おもてなしの心と気配りがなされていました。
飲みつぶれることもなく、おごそかな時間はあっという間に過ぎて、部屋に帰った私はすぐさまバッタリと寝入ってしまいました。
そのせいもあって、十分に寝て起きたのは夜中の3時頃でした。
それで、スマホで光明山の登山コースの情報を初めて、次々と読みふけりました。
そして、自分なりに登るコースと地点を地元のおじさんの助言も含めて決めてから、また眠りました。
思いはもう、上るコースと頂上のイメージを描きながら目をとじました。
・・
朝、「武部さん、このコースで行きたいと思いますが、どうでしょう・・」と。
すると武部さんも同じコースを考えられていた様子でした。
そして朝食を済ませ、早めに宿を出発。
宿から登り口まで車で、15分ぐらいでしたでしょうか・・。
地元の人が教えてくれた場所はすぐに分かりました。
登山靴に履き替え、スパッツをまいて準備OKです。
さぁ~光明山へ巡礼登山開始です!!
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