かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

12月18日(土) 摩尼山(鳥取市)へと巡礼ツアーを行います

2021-11-17 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年11月17日(水)

今日17日は、イエス・キリストの命日で、イエスの血を引く女王卑弥呼が入定した日でもあります。

この日の前後で毎年聖地巡礼ツアーを開催していましたが、今年はもう何もしないだろうと思っていました。・・ところが、先日日曜日に、大切な聖地である摩尼寺に行かされました。

鳥取県鳥取市です!

そこで帰り際にお坊さんに聞かされ、見せられてしまいました。

ここは天台宗のお寺ですが、空海さまをお祀りしています。最澄、円仁とお三人が並んで祀られています」・・と。

私は、もう瞬間うれしくてビックリ仰天でした。

宗教宗派を超えて、正しきことを正しく堂々と凛として語り祀る。 そこにやっと辿り着きました。

この日本の宗教宗派、いえいえ世界の宗教宗派の根源と根幹にあるものを、このお三人様が語り実践し祀ったのでした。

それで・・、来月18日(土)姫路駅出発で、摩尼寺 摩尼山へお参りに行って、その日に姫路に帰ってきます。

本当は、一泊したいのですが、なにせ急な展開で12月でもありますので、日帰り巡礼ツアーとなります。

最澄 空海 円仁・・このお三方がそろって祀られている姿を見ることができない人は、実に不幸な人である。

それを見てその意味を知ることができる人は、真に幸せな人である。

円仁の存在を私は武部さんに教えてもらいましたが、武部さんも参加します。武部さんも喜ぶ磐座、岩窟もあるようです。

気比神宮最澄、空海が7日7夜祈り続けた意味も分かる気がします。

下の空海コードの図形はほんの一部ですが、摩尼山にはもっともっと沢山の空海コードが重なります。

下の図形は、正五角形の一部をなす直角三角形を描いています。

12月18日(土)JR姫路駅9:50集合

        鳥取から帰ってきて、姫路駅前の ホテル日航姫路で忘年会(2時間ほど)です。

お問合せ、申し込みは、トーラス テラファイト クラブ(T.T.C)迄

奈良、平安時代と引き継がれたものとはなんだったのか。

最澄(天台宗)と空海(真言宗)とが一つになって成し遂げたもの・・。そして円仁も・・。

それは、『有名寺院が指し示すイエス・キリストの陵墓』にその表現と意図を見ることができます。


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四国八十八か所の謎と大山祗神社、聖地巡礼ツアーご参加の皆様へ

2020-11-17 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年11月17日(火)

聖地巡礼ツアーに遠方より沢山の方々に参加していただきました。

天気にも恵まれまして私には夢の二日間でした。

「この男、まぁ~よくしゃべるなぁ~~!」と、自分でもどこかから冷静に見て聞いている私が居てた気がします。

二日間喋りまくっていたのはいったい誰だったのでしょう・・??

福山駅で多くの方々とお別れした後、大阪方面に帰られる方々がバスで大阪駅まで乗せて帰っていただきましたが、私も空いた席でひと眠りしました。

大方の人とお別れした後のバスの中は一変して、静まり返っていました。

・・ので、途中、サービスエリアでトイレタイムをした後、

「おはようございます。又、喋ってよろしいでしょうか」とマイクを片手に、「まぁ~みなさん、私の不思議な人生を聞いてください」というような私の履歴書的な話を聞いてもらいました。

まぁ~~、またまたしゃべり続けました。

そして・・、いよいよ第一幕が終わりにさしかかり、これから第二幕に入る寸前に、

「社長、大阪駅に着きましたよ」と・・!

「エッ!・・これからが面白くなるのになぁ~~」と。

本当に不思議な話なんですねぇ・・私の人生。

 

ツアーにご参加された皆様、本当にありがとうございました。

「眠らせませんよ!」と言うかのように、心地よい睡眠を妨げましてごめんなさい。(ペコリ!)

そして私語暴言、お許しくださいませ。

これに懲りずに、これからもよろしくお願い申し上げます。

本当にありがとうございました。 感謝しています。

                上森三郎

                      

イエス・キリストは、ウガヤ王朝に推挙されて、播磨の王様からスタートし勢力範囲を拡大していきましたが、そのウガヤを表現するのが『うさぎ』であり『鵜』なのでした。

今回は、その兎さんに手を合わす旅でしたが、イエス終焉の地に手を合わすように造営されている八十八番大窪寺で、本物のウサギさんにであったのも不思議でなりませんでした。

そしてその翌日には、大山祗神社本殿から祈る先にこそ、ウガヤの本拠地である地上絵の『うさぎ』さんに皆さんが手を合わせました。

ほら貝の彫り物に初めて出会いました。 ほら貝と言えば修験道です。

今回の旅は、五流尊龍院もそうですが、修験道の旅路でもありました。

99年11月17日がイエス・キリストの命日です。終焉の地は岡山県備前市穂波でした。

この終焉の地に四国八十八番大窪寺から手を合わすように設計されていました。享年102才でした。

毎年イエス・キリストの命日を選んで卑弥呼が岩戸隠れをしたその11月17日の当たりにお二人の御霊に思いを馳せる為にツアーを企画して、今回も最後の最後に、千光寺で見たマリア(観音)の文字と、その裏にあった十字架を見て、偶然とは思われませんでした。

大阪駅に着いて、ホームへ行くと新快速電車が停まっていたので飛び乗ると、シートの上に下の広告が在りました。

「興福寺中金堂」の文字が・・。

この二日間も、藤原不比等さんに見られていたように思う私でした。

 


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岩神神社

2019-11-24 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年11月24日(日)

浄見原神社から岩神神社に立ち寄りました。

17日(日)、神社前にバスを停めると、なにやら忙しそうに祭りの準備をされていました。

11月17日は、大国主命=イエス・キリストの命日で、卑弥呼が岩戸がくれした日でもあります。

私は村の人に聞いてみました。

「毎年、11月17日に御祭りされるのですか」と。

すると、「いいえ、このあたりの祭りは、いつも11月23日なんですが、今日は日曜日でもありますし・・」と教えてもらいました。

神様が私達に合わせてくれたのか・・、そして毎年、11月23日に・・、と重要なことを教えてもらいました。

だって、卑弥呼はイエスの命日を選んで入定し、その5日ほど後に心臓が停止したと私は見えない存在から教えられていましたから、もうビックリでした。

村の人達に、そのことを知っていた先人達が、代々、語り継がせたのだろうと私には聞こえてきました。

朝から嬉しい、そして清々しさを感じました。

宮滝一帯は、天皇と天皇家を古くから支えた人達が住んだ歴史の古い集落だと教えているようです。

素晴らしいところでした。



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天照大神の墓にもお参りにいきます

2019-11-16 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年11月16日(土)

この日本は実に素晴らしい国です!

イエス・キリストの命日の日に、天照大神(テラ)の墓にお参りに行きます。

誰もが忘れたふりをしているのか、完全に忘れ去られたのか・・。

でも、事実は隠せるものではありません。

姿なき存在が私を使って歴史の真実を表に出そうとしています。

 

天照大神(テラ)の墓から弘法大師廟までの距離と藤原不比等公の墓までは、共に61㎞と同距離です。

弘法大師廟からも荒神社からも皆さんに祈っていただきます。

弘法大師廟の真北に藤原不比等公の墓があり、直角に西へ行くとイエス・キリストの墓があります。

荒神社から真北に第五十代桓武天皇の墓があり、直角に西へ行くとイエス王家の方々を遥拝する大事な大嶽山があります。

そしてそこから西へと延長した場所に十字架の山があります。  これらは見事に直角三角形を描きます。

藤原不比等の墓、桓武天皇の墓など全て直角三角形を描くタレスの定理で位置決めされています。

そしてこの円環帯には、平等院鳳凰堂や石上神宮など重要な寺院や磐座なども並んでいます。


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令和元年 8月31日 を、テラファイト卑弥呼の新モデルの発売日と決定しました

2019-04-20 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年4月20日(土)

 お陰様で、テラファイト卑弥呼が完売しまして在庫0の状態になっています。

「もう生産しないんですかぁ」と、沢山の問い合わせがありますが、ご要望にお応えしまして新たなデザインで作ることにしました。

8月1日から予約を受け付けまして、卑弥呼さんの誕生日である8月31日を発売日と決めました。

卑弥呼さんの誕生日は、AD177年8月31日でしたねぇ。

亡くなられましたのは、248年11月17日入定 5日後の22日に死亡。享年71歳。

イエス・キリストの命日を選んで入定されました。

卑弥呼、世界に行くわよ!」と言って居られましたから・・、いよいよ令和元年から新たに本格的活動をされるようです。

永遠なれ!」と・・メビウスの輪を指示れました。 

 


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イエス・キリストの命日は11月17日と教えている

2018-12-06 11:24:24 | かごめかごめの真実とは

2018年12月7日(金)

 矢野さんが「大山阿夫利神社が気になります」と言います。

矢野さんはいつも私の横で仕事をしてくれていますが、矢野さんが「気になります」と言うときは必ず私に重要なことを告げています。

なイエスの公的陵墓の発見の後、その陵墓の地図をみていた矢野さんが、「神社で手を合わす方向が気になるんですが・・」と言うので、「そうですかぁ・・」と、その先にラインを引いて、先へ先へと見ていくとハートと前方後円墳のコンターラインを発見し、これが本当のイエス・キリストの墓の発見へとつながった経緯があります。

矢野さんが「気になります」と言うときは、私は必ず真剣に矢野さんの話を聞くことにしています。

今回もそうでした。

大山阿夫利神社という神社の存在を初めて知らされた私は、地理院地図にそこのポイント打って、モーセとイエスの陵墓との関係をさぐりました。

それはもうズバリ、それら古代大王の陵墓との関係を教える重要な山であり、神社であることが浮かび上がりました。

結論から言うと、モーセの墓と大山阿夫利神社と1117mの山の三点を結ぶと、2:1:√3の直角三角形を描きます。 見事です!

イエス・キリストの墓と1117の山と綺麗な正三角形の頂点に金糞岳が位置しています。

金糞岳は雄大で美しい山です

情報を素早くキャッチできるインターネットの時代って本当に素晴らしい世界です。

今度は、その正三角形の反対側に何があるかを見ると、空海様所縁の太龍寺山があります。

正三角形に近い二等辺三角形を描きます。

このことから空海様は、「どうだね、イエス・キリストの命日は11月17日だよ」と教えています。

恐るべし空海様!


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観光は丁寧なおもてなしが大切です

2017-11-15 21:08:38 | かごめかごめの真実とは

2017年11月16日(水)

 私は、11月17日が大国主命=イエス・キリストの命日であり、女王卑弥呼がこのイエスの命日に合わせて、入定した日と教えられて、毎年全国から大勢の人たちを神河町へとお連れしています。

又、その間にも何度も何度も日帰りで神河町へ多くの方々をお連れしています。

だんだんとそのことが認知され、年々と「11月17日は神河町へと行きたい」と言う方々は増えています。

ことしは、100人程の方々が参られます。

前回も神河町庁舎の前で記念撮影をしました

でも・・今回はダメだと言われます

トイレも使わせない!と。

朝7:30~8:00の間だったら良いと言われます。

なんとおかしな話なのでしょうか。

この話を町民の方々が聞いたら、どう思われるのでしょうか。

私は、5日間と大事な少ない日数の選挙期間中の二日間は、姫路駅に皆さんをお迎えに行って、ツアーに参加します。

神河町へと遠方から来てくださる方々を丁寧にお迎えしなくてはなりません。

 

                 紀

  庁舎の開閉時間である午前7:30から8:00までの30分に限り、入場から退出及びロータリー前での撮影を許可いたします。なお、選挙準備のため庁舎への入室を堅くお断りいたします。

皆さ~~ん、は~~い笑顔ですよ~~」 ・・ パチリ。

 


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聖地巡礼ツアー第13回 「イエス様のお墓参りツアー2017」のお知らせ

2017-09-13 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年9月13日(水)

 イエス様の命日である11月17日の日に、女王卑弥呼は入定しました。

そのイエス・キリストの墓と女王卑弥呼の陵墓は、兵庫県の中央部に位置する神崎郡神河町にあります。

毎年行われている「イエス様のお墓参りツアー」を今年も行います。

沢山の方々に御参加していただきたいと思います。

今年は中型のバス3台で姫路駅から出発し、重要な上島を、これも重要な木庭神社から眺めてから一万三千年前の福本遺跡へと行って、そこからイエス・キリストの墓がある山と、卑弥呼の陵墓の両方が見える重要ポイントから太古の世界へとタイムスリップしていただきたいと思います。

皆さんがお泊りになられるところは、峰山高原ホテル リラクシアです。 ここの中庭も実は重要な場所なのです。

実は、第二の比叡と呼ばれる書写山円教寺の摩尼殿でご本尊に手を合わせると、この中庭のこんもりとした丘に手を合わすようになっています。

でもこの中庭の秘密を知っているのは、私だけで、ホテルの人も町の人も誰一人として知る人は居ません。

ホテルの工事をするときに、重要な磐座は撤去されていることは間違いありません。

でも、いくら磐座を撤去されても、その場所まで消し去ることはできません。 

そのポイントと、丹後半島にあるモーセの墓と、和気清麻呂が開基した京都帝釈天が綺麗な正三角形を描く意味は重要です

その重要なポイントがあるホテルで夜が更けるまで、又は夜空を見ながら語らっていただきたいと思います。

そして・・翌日がイエス・キリストの命日であり、卑弥呼さんが岩戸隠れした、その日をむかえます。

当日の行動は、当日になってみないと分からないところがありますが、3台のバスで聖地神河町を巡回します。

きっとながく記憶に残るツアーになることでしょう。

ひょっとしたら、このツアーに参加される人達の行動から、世界が平和になる扉が開かれるのかもしれません・・・。

   その日、その時を楽しみにしている私です。

 


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磐長姫(石長姫)は女王卑弥呼である

2016-10-17 11:09:08 | かごめかごめの真実とは

2016年10月17日(月)

 武部さんは私に白髭神社と磐長姫神社との関係素晴らしい情報を届けてくれました。

それでこの霊ラインから奈良県吉野にある後醍醐天皇陵との3点が、3:4:5という大矩(おおがね)の直角三角形を描くことが浮かび上がりました。

これはもう、磐長姫神社が重要で重大な意味を教えていることが理解できました。

・・それで私はもう、一刻も早く磐長姫神社へと参拝に行き、その足で吉野の後醍醐天皇陵へと行きました。

15日(土)の出来事です。

        

 磐長姫神社に着くと、境内上空に六甲山の方角からエネルギー体の不思議な雲が現れ、その雲は、吉野までついて来たようで、そしてずっと私の上に陽が沈むまでいたような気がしました。

     

 

 

 後醍醐天皇が、「磐長姫は、イエス・キリストの血を引く、女王卑弥呼である!」と。

磐長姫(石長姫)は、248年11月17日イエス・キリストの命日を選んで、自ずから造営した陵墓に入定しました

その5日後に命は途絶えました。享年71歳でした。

卑弥呼は自分の命と引き換えに、倭国大乱後に修復した我が国が再び分裂するのを食い止めようとしました。

でも・・卑弥呼が政権を安定させたウガヤの流れをくむ側は、卑弥呼を失ったことで政権を奪われ、クーデターを企んだものたちの思うままに国造りが行われていきました。

ですから、純粋に自分の命と引き換えに、国が真っ二つに割れることのないようにと願って卑弥呼が入定したのですが、結局は卑弥呼が想定していなかった大混乱が国中で続いたことでしょう。

磐長姫がブスで醜い女として語られている由縁でしよう。

自分の命をかけて行った行動が理解されないどころか、1700年以上にも渡って、ブスで見にくい女の代表にされては可哀そうでなりません。

その存在さえも隠され続けているわけです。 

人間は肉体を無くしても、魂はこの世に生き続けています。

卑弥呼を始め、この国の礎を築かれたイエス・キリストやモーセらの御霊が、それを黙って見過ごすことはしないでしょう。

一日も早く、神河町にある卑弥呼の陵墓の中に眠る卑弥呼の磐戸を開けて、供養しなくてはなりません。

これができなければ・・、ますます世界は混乱していくことでしょう。

この地球上でおこる事象は、目に見えるものの影から目に見えない霊体によって動きが決められるからです。

磐長姫様は、身体も御霊も・・、人類まれにみる美人で、世界の人々に愛されるべき女性なのです。

 

  おお~、この文章を書き足して何気なく外を見ると、綺麗な満月のお月さんが微笑んでいましたぁ!

 PM7:35 突然、武部さんから携帯に電話がかかってきました。

「電話をいただきまして・・」と武部さん。

「エッ、電話はしていませんよ。指一本もさわっていませんよ」と私。

「そうですかぁ・・、卑弥呼さんが武部さんにお礼を言いたかったのでしょう」と私。

昨日のことをブログにUPしましたから・・」と武部さんは報告してくれました。

・・

 武部さんは以前から、磐長姫がブスで醜いと言われているが、その逆ではないかと以前から思っていたと言われます。

そしてブログで磐長姫神社の情報を私に伝えてくれたので、月の世界に自ずから旅立たれた卑弥呼さんが、窓越しに見ていて、私の携帯電話で武部さんに電話したようですね。

このようなことが現実にあるのですね。  本当に驚いてしまいました。  その場に居てた人も驚きの事象でした。


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卑弥呼生誕の日に、日月神示を解く!

2016-08-30 21:18:28 | 邪馬壹国

2016年8月31日(水)

 今日は、卑弥呼さんが生まれた日です。 1839年前の事でしたぁ。

そうそう、卑弥呼さんの幼少の頃の名前は、「あづき、と呼ばれていました」と言うことでしたね。

AD177年8月31日、現在の兵庫県香美町庵月山でお生まれになりました。

身長162cm 血液B型

248年11月17日。イエス・キリストの命日を選んで入定。5日後の22日に死亡。享年71歳でした。

大事な大事な卑弥呼さんの誕生日の今日、日月神示が解けました。

淡路島には、1.2㎞ほどの勾玉が造形されていましたが、なんとぉ! 玉と勾玉が岐阜の山にも造られていました。

その山に向けて、日月神示がおろされた麻賀多神社は造られているようです。

又イエス王家の聖なるラインの先に、重要な神社が存在していました。この神社は淡路島の勾玉の山に向けて造られているようです。

日月神示が教えていたことは、ダビデの星の中心にチョンを打つこと(見つけること)でしたが、これは生野、神河を頭にするダビデの星の中心に淡路島の勾玉山が存在していることを教えていました。

玉と勾玉(日と月)がセットで造られている山の位置情報は、亀さんが教えてくれます。

麻賀多神社ともう一つの神社は、日月神示の重要にして重大な神社が存在することを教えていました。

もう一つの神社と淡路の勾玉の山を結ぶと、丁度富士山山頂を通ります。

そしてその中間点で垂線をあげたライン上にその「玉と勾玉」の山は存在していました。 

その三点を結ぶと綺麗な二等辺三角形を描きます。

富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる

と、その仕掛けはしてありました。

  最後の最後、卑弥呼さんが教えてくれました。

そうそう、そういえば、卑弥呼さんは、自ずから入定するときの大事な岩戸の中に、玉と勾玉の形をした二つの石を大事に内封していました。

凄いパワーをこの石は発しているようです。波動測定器ではその石の破片でも最高値を振り切ります。

卑弥呼さんの思いが詰まっているようです。

この二つの石は、大事にスタップサロンでお座りになられています。

又、卑弥呼さんのお墓の中には、血塗られてない王家の三種の神器が間違いなくあります。

現在、王家に伝わる血塗られた三種の神器はダビデの星の南の海に沈め、血塗られてない王家の三種の神器を一刻も早く王は手にすることです。

神河町にある779mの女王卑弥呼の陵墓からそれは出土します。

他国へ持って行かれるようなことあらば、それはそれは大変なことが・・、日月神示はそのことを告げています。

  

 

2013年1月23日(水)

国生み神話の淡路島。 その淡路島を囲むカゴメ紋(ダビデの星)の中心ポイントの山の形が気になり、「何の形なんだろう!? 何なんだ!?」と見つめていて、・・ハッと気がつきました。いつも私がキーケースに下げている、石上神宮でいただいた勾玉(まがたま)の形でした。

中心ポイントには、天皇家の三種の神器の一つの勾玉が、山で1,2kmの大きさで造られていました。

さぁ大変です、神様の神様、大の主(ス)の神様、天照主日大神様(男)がいよいよお出ましになられる気配です。 

ところで、淡路島に洲本(スモト)という地名がありますが、このことをキッチリと教えているのでしょう。

いや~~ここも、見事に守られてきました。 川で二重に取り囲み、難攻不落の山城のようでもあります。この場所から神河町にある卑弥呼の墓をキッチリと眺め、拝むことができます。又、福山の大門も見通せます。

でももっと不思議の一致と言いますか、この勾玉が指し示す方角にキッチリと熊山遺跡(岡山県)があり、その延長線上には、1996年に加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発掘されたことで有名になった島根県安来市加茂町にある貴船神社や賀茂神社がある城山に行き着きます。

賀茂族とヒスイの勾玉と、女王卑弥呼と淡路のシオン山とに、大いに関係がありそうです。

出雲と卑弥呼と伊勢神宮の関係、邪馬壹国の真相を、天照主日大神様がキッチリと教えています。

もう天皇家も含めて、この我が国の本当の歴史を国民に、そして全世界に知らしめなくてはなりません。 我が一国の天皇という認識を改め、我が国の天皇は世界人類のスメラミコト(天皇)であると言わなければなりません。

天照主日大神様も天照大神様もそう言っておられます。

そして・・「整えよ!」 との御神託です。

そうそう、昨年の5月のことですが、「胎児が生れようとしているけど、死にかかっている」と神様が私に言われるので、飛んで行って、「おお・・これが代代受け継がれてきた王権の印、勾玉かぁ」と見つめ、白っぽくカサカサに見えた八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)に、丁寧に丁寧にピンクのテラファイトでパワーを与えると、白っぱかった勾玉がみるみる深みのある濃いグリーンに生き返りました。いつも鈍感な私ですが、この時だけは、テラファイトをかざした後に、そ~~っと両手を勾玉に近づけると、ビリビリジリジリと手のひらに伝わってきました。 それはそれは見事な大きな勾玉でした

「この三種の神器と全く同じものが卑弥呼の墓の中にもう一組みありますわよ」と、昨年6月に生れ出た卑弥呼おばさんの御霊が私に言うのですが、そんな気がしてきましたぁ

ああ・・、この情報を世間が黙って無視し続けて行くと、男神、女神、両方の天照大神様が、ちゃぶ台をひっくり返すような気もするこの頃ですが・・、そうなるともう手が付けられなくなるんですがぁ・・・

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11月17日 ツアー決定!

2016-08-11 07:11:11 | かごめかごめの真実とは

七福神は我がNIPPONの礎を築かれた実在の人達でした。

その方々を祀った地下神殿やその人達の御遺体が祀られている陵墓が、兵庫県の中央部に位置する埴岡の里(現在の生野、神河町)でした。

そこは「かごめの故郷」であり、瀬織津姫さまを身近に感じれる心やすらぐ里でした。

11月17日は、「大黒天」であるイエス・キリストの命日(AD99年11月17日享年102歳)であり、「弁財天」の女王卑弥呼さまが入定された、その日でした(AD248年11月17日)。

卑弥呼さまは、入定の5日後に月の世界へと旅立たれました(享年71歳でした)。

七福神の総本山へのノアの箱バスに搭乗できる方は、30名です。 お早目に・・!!

 ノアの箱バスは、折鶴の胸の場所を巡ります。 宿泊するホテル リラクシア折鶴の心臓に当たる場所でしょうか・・。

 

 卑弥呼の陵墓から出雲大社までの距離と、伊勢神宮内宮までの距離は同距離です。

金剛城寺からも同距離です。  偶然ではありません。

大事な大事な場所へとご案内いたします。


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日本人として大いに誇りを持っていただきたい

2015-11-20 10:56:15 | かごめかごめの真実とは

2015年11月20日(金)

世界の聖地、生野、神河町への二日間のツアーは、いかがでしたか。

私がバスの中で喋くりましたが、コースにある地上絵の所をノアの箱バスは皆さんを乗せて走りました。

その地上絵の規模があまりにも巨大すぎて全容をつかむにはなかなか難しいですが、参加された方は下の写真を見ながらもう一度楽しかった当日を思い出してください。

生野の姫宮神社は大亀のどのあたりにあるのかを見てください。

初日に見た西のメノラーの山を越えたところに瓢箪の地上絵はあって、その瓢箪の口からいつもコンコンと湧き出る新鮮な水が、女性の横顔が彫られた亀ヶ壺に満たされます。

世界の宗教の原点がこの地域にキッチリと残されていました。

私達は幸せの中に居ても、なかなかその素晴らしさに気がつけません。

先人達が残してくれた遺産もまた、あまりにも巨大すぎてなかなか私達にはそれが見えません。

でも先人達が残してくれたこの素晴らしい日本に住んでいること自体、それはそれは幸せなことなのです。

この国土は、人類的世界の聖地そのものなのです。

日本人として大いに誇りを持っていただきたいと思います。

世界の聖地が日本であることの証明は、一対の巨大なメノラーの地上絵の存在でした

 2016年11月17日~18日 ~卑弥呼さま入定の日(イエス・キリストの命日)~「七福神の総本山へ」ツアーをします

                     

バスは左前方にイエスの陵墓、右手に女王卑弥呼の陵墓を見ながら神崎南ランプを下りて、聖地の町かごめの故郷の町神河町へと入って行きました。

神崎南ランプから見る卑弥呼の陵墓

日本神道の祀り方の原型が生野、神河町に造形されています。

「白い建物が工業団地です。 そこが東のメノラーですよ~~」と。

「卑弥呼さんの祈りの場が綺麗な三角の八幡山ピラミッドですよ~。そしてその右手の山が卑弥呼さんの居城があった場所ですよ~」

みなさんが最明寺さんから見た山が西のメノラーでした。 夕日が沈んで薄暗くて見えにくかったですね。

 

西のメノラーの山頂を超えたところに瓢箪の地上絵が造形されていて、そこに亀ヶ壺がありま~~す。

みなさんが長蛇の列で、イエス様の陵墓を目指して歩かれました。

前方後円墳の前方部と後円部の中間地点の情景です。

鶴と亀の巨大な地上絵ですが、分かりますか。 姫宮神社や休憩した井筒屋さんの場所は分かりますか。

山を崩していた場所を覚えていますかぁ。 亀さんが痛々しいですねぇ。 川を挟んで、甲羅と頭が造られていま~~す。

いかに巨大かは行って見たものにしか分からないでしょうね。

神河町役場前で、第二陣、第三陣と祈念撮影をされる方々が続くことを願う私です。

皆さん誇らしげな面持ちで、「良いですかぁ~」・・・「パチリ!」


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女王卑弥呼がイエス・キリストの命日に入定したその日、11月17日に巡礼します!

2015-09-12 11:06:44 | かごめかごめの真実とは

2015年9月12日(土)

 壮大なドラマが播磨国風土記に記された埴岡の里にありました。

邪馬壹国(邪馬台国)は初代大王、大国主命=イエス・キリストが、AD99年11月17日現在の岡山県備前市で亡くなり、二日目に神河町の陵墓に埋葬されました。(享年102歳)

その初代大王が亡くなり、大王の長男が第二代の綏靖天皇です。 それから我が国は7.80年も倭国大乱に陥ります。

そしてその大乱の後に賢者たちが集って知恵を出し合って共立されたのが、大王の血を引く姫巫女が11歳で埴岡の里へと連れて来られ、22歳で女王の座に就きました。

でも人間どもの性でしょうか、相変わらず北だ南だと国内は2大勢力が一発触発の時をむかえ、苦慮の末、女王卑弥呼は2年足らずで八幡山連峰の一角に陵墓を造営し、

倭国大乱の再発に至らないようにと、イエス・キリストの命日である11月17日に、その日その時を決め、自ずから入定しました。そして5日後の22日に息を引き取りました。(享年71歳)

これらのことを教えられ知った以上、何もしないわけにはいきません。

イエス様 卑弥呼様の御霊に手を合わせに行きたいと素直に思います。

ご理解ある人達と一台のバスに乗って行きたいと思います。  お申込みは御早目に・・・。 

イエス様の陵墓へは、最短のルートが立ち入り禁止状態ですので、別のルートで2~3時間かかると予想します。 往復5時間ほどはかかると思います。

でも山の中の細く険しい道ではなく、材木を切り出し運搬するための林道ですから、ゆっくりゆっくり聖地を目指して皆で語らいながら歩くことになると思います。

卑弥呼様の陵墓は遠方から眺めることになります。少なくとも三方、時間があれば東西南北四方から眺められると思います。

私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と伝言した卑弥呼さんの気持ちが今、私に伝わってきます。

 どうぞ、その卑弥呼さんのお気持ちが理解できる方々に参加していただきたいと思います。

  争いのない世界の平和の実現のために・・・。

 

 

日本が世界文明の起源であるという貴重な情報を、矢野さんが地上絵や陵墓の位置など、素晴らしい情報を漫画で表現してくれました。

 


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どのようなタイトルになるのか・・

2015-08-29 12:37:46 | かごめかごめの真実とは

2015年8月29日(土)

  今、第三作目の本の校正中です。

・・・プロローグの一部を・・

 

卑弥呼は、AD177年8月31日 現在の兵庫県香住町庵月山生まれ

身長162㎝、血液B型、体形は普通

       248年11月17日入定 5日後の22日に死亡。享年71歳

                  イエス・キリストの命日を選んで入定した

 

・・・といったような事柄を教えられるのである。「上森はますます頭がおかしくなった」と狂人扱いされるのも覚悟で、教えられたとおりに、私は語るだけだ。

 生命の樹(カバラ)の図もますます明確に示され、日本の国造りの秘密が解けていく気配である。

 この本は、『世界文明の起源は日本だった』、『イスラエルの「元つ国日本」にユダヤ人が戻ってくる』の続編としてまとめた著書なのだが、あまりにも不思議な世界が今も続いている。

 地図上に十字架を描かされたり、描いてはその教えられた場所に行かされ、行かされてはまた地図上に図形を描かされたりの連続のなかで、山を使って鶴と亀や、龍(玄武)など次々に巨大な地上絵をグーグルマップから発見したり、線と線を引いて、生命の樹(カバラ)の図形をみつけたりした。

 これらの地上絵や図形から、太古の時代より生命の樹(カバラ)の原型が日本でスタートし、ユダヤ教やキリスト教や仏教にも生命の樹(カバラ)の思想が取り込まれていったのではないだろうかと、私は考える。

 そして神様は、旧約聖書、新約聖書の中心人物である、モーセ、イエス・キリストが日本という国の礎を築き、彼らのDNAを引き継ぐ女王卑弥呼が彼らの教えを踏襲しようとしたのだということ、世界の本当の聖地が、実は日本にあるのだということを、数々の図形をもって、おもてに示すようにと私に告げている。

 その聖地こそ邪馬台国の女王卑弥呼が住んだ都であった。

 神様は、長きにわたって繰り返されてきた邪馬台国論争にもピリオドを打って、世界の平和のために、選ばれし人のDNAをより濃く受け継いだ人たちの目覚めを待ち望んでおられる。

 ここから先は、一気に真実のジェットコースターです。

 もう今から心臓の鼓動が耳から聞こえてくる方は、ジェットコースターから降りられることをお勧めします。

 さぁ、かごめかごめと、とおりゃんせの歌のメロディーに乗せて不思議の扉が開かれま す。ギィギィギィギィ~~~~と。

                              平成27年7月17日

                                著者 上森三郎

 ・・・     

タイトル案

 A案

「謎は解けた! モーセ、イエス・キリスト、卑弥呼の造った日本」

 B案

 「魏志倭人伝の謎は解けた!新説耶馬台国」

・・・

ヒカルランドの石井社長がどのようなタイトルを付けられるのかが、非常に楽しみな私です。

 さぁ・・ 店頭で販売される月日が何時なのかも楽しみの一つです。

 そろそろ校正も峠に近づいたような今日この頃です。   

           ・・・  ああ本当に今から本の出来上がりが楽しみですぅ。


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その日その時がやってきた

2015-07-04 12:13:42 | かごめかごめの真実とは

2015年7月4日(土)

248年11月17日 イエス・キリストの命日の日を選んで卑弥呼は入定を計画。

そしてその日その時がやってきた。時間帯は夕暮れ迫る4:00頃であった。

陵墓は埴岡の里、標高764mの岩山に15m増設し、陵墓の後円部の底円部直径100m、上円部の直系は50m、墳丘長さは150mで、東西南北の

四方の丘や山から、透き通るような藍い空に白い雲も浮かび、緑豊かな山々が連なる情景との中に、出来上がった真新しい陵墓の葺石が陰りかけた太陽に照らし出されて黄金色に輝いていた。そのクライマックスの地は、現在の兵庫県神崎郡神河町婀月山標高779mの舞台である。

 

女王卑弥呼入定のその時を見守る人たちが、八幡山連峰を取り囲むように、老いも若きも、民衆が固唾をのんで見守っていた。

卑弥呼は白の衣装で、その両側には男性二人、向かって左側には36歳になる実子。右側に3歳違いの弟が毅然と立ち、一段下がった両脇に直立不動の姿勢で赤い旗が付いた棒を持った係りの男性が立っている。さらに下段の前方部の広場に選ばれし巻向の官僚たちが卑弥呼たちを仰ぎ見ていた。その中に、妹の夫もいた。

卑弥呼と妹とは5歳違いで、第九代開花天皇の第三王妃でしたが、開花天皇が247年2月8日に100歳で他界すると、巻向の官僚に求愛されて第二の人生を歩んでいた。実は、箸墓古墳は妹、倭姫命の陵墓で、4年がかりで213年には蘇我氏たちの手によって完成していた。

妹は卑弥呼や夫の要望で巻向に留まった。

巻向の人たちは、交野山(交野市)にも集まってその舞台の方角を見守っていた。倭国の人たちの大方が埴岡の里の方角に向かって祈りだした。

卑弥呼は大きな声を張り上げて、眼下にいる人々に御礼とお別れの言葉を告げた。 そして前方部の最前列にいたコヤネ爺の目をキッ!と見て、そして目元を弛め微笑みさえも見せた。それからもう一度遠くの山々から見ている人々にゆっくりと手を振り、最後にもう一度深々と太陽が沈みゆく真西の方角に丁寧にお辞儀をして、もう一度聴衆に一礼して、弟や実子にその時が来たことを告げた。

実子は、最上部に造られていた弧帯石を内封した45トンほどの岩戸に掛けられた4本の縄をもう一度見やって叔父に両目を閉じて軽く頭を下げた。

  

それを受けて軽く目を閉じ、すぐさま俊敏に目を見開いた弟は、30°に傾斜した薄暗い階段に白い服を着た卑弥呼が先に下り始め、その後に実子が続いた。すぐさま弟は、一段下に直立不動で立って旗を持っている係りの者に旗を振るように告げた。

係りの者は大きく上から下へと赤い三角の旗を振りおろした。

その瞬間、「ヤ~~~~!!」と張られていた大縄を前方部から大勢の者どもが一斉に引いた。

大きな岩戸は、「ド~~~ン!」と落とされ入口を塞いだ。

と、同時に埴岡の里の上空に大勢の群集のどよめきの声がこだました。

30分程のドラマであった。

そして・・「ヤ~~ッホ~~!」のこだまが鳴り響き、それから今でも日本の山々にこだまし続けている。(ヤッホーとはヘブライ語で神様という意味である)

天岩戸のお話は、この時のシーンである。

 

それから三日三晩祈りが捧げられ、76人は山を下りた。

そして5日後の22日に女王卑弥呼死亡。享年71歳であった。

 


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