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中国と日本

2019年05月22日 | 中国
ふと「歴代中国王朝はなぜ日本を攻めなかったのか」と考えました。

唐が日本を攻めたという話は聞いたことがありません。7世紀半ば、日本(倭国)は唐と海戦を行い、白村江の戦いで大敗します。日本が百済救済のために戦いに出かけていき、大敗したという構図です。その後、天智天皇は唐の侵略を恐れ、防衛を強化しますが、結局、唐が日本まで遠征するということはありませんでした。

で、割と早く「遣唐使」が派遣されます。その後ずっと唐と日本は友好的でした。

その唐が滅亡します。で、宋が成立します。10世紀半ばです。この宋と日本も友好的です。平清盛が日宋貿易に意欲的だったことはよく知られています。清盛が宋との貿易の拠点として開発したのが、福原京で、今の神戸に相当します。

宋の後が「元」です。中国から積極的に日本を攻めた例はこの「元」しかありません。13世紀の「元寇」です。これも二回きりで、三回目の計画もありましたが中止となります。

その元も14世紀半ばには滅亡します。で「明」が成立するわけです。明の時代は日本では室町時代です。室町幕府は明と「勘合符貿易」を行います。朝貢という形式でした。足利将軍が「日本国王」に封ぜられ、貿易を行う権利を独占しました。大変な収益があったと言われます。

ここからは「日本が攻める」という歴史が始まります。秀吉の朝鮮侵略、実際は「明侵攻」が目的でした。ただ朝鮮で止まってしまったので、結果としては朝鮮侵略になってしまいます。明には到達できませんでした。

その後、中国では「清」が成立します。で、明治、近代化した日本は「日清戦争」を行って勝利します。そして「いわゆる15年戦争」、昭和20年までの15年間、日本と中国は泥沼の戦争を続けることになります。

こうまとめてみると、どっちかというと「日本から攻めている」ことに気が付きます。中国から攻めたのは元寇の1回きり。日本は白村江、秀吉、日中戦争と3回攻め入っています。白村江を入れる必要はないかも知れませんが。

そもそも日本にも中国にも「攻める理由」がないわけです。「元」と「秀吉」と「日中戦争」のほうが異常な事態であって、ほとんどの時期、江戸期も含めて、日本と中国の関係は良好です。

中国歴代王朝は西に敵を抱えていました。ずっと万里の長城を作り続けます。西に敵がいるのに、海を飛び越えて日本を侵略する理由がない。日本にしても貿易を行っているほうが富むわけで、海を超えてわざわざ中国に攻め入る理由がありません。少なくとも帝国主義の時代を除けば、日本と中国の関係はずっとそうでした。

それは「今も基本的には変わらない」と私は考えます。

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