TVで小田和正特番をやっていて、久々に「YesーYesーYes」を聴きました。近頃は車でも歴史ドラマのMP4ファイルとかを見ていて、音楽は聴かないのです。
「YesーYesーYes」「貴女を連れて行くよ。手を放さないで」という曲。
大学時代はそりゃ「そのまんま」に「心情同化」をして聴いてました。今考えると「どこに連れていくのだ」という話ですが。
「YesーYesーYes」、「君の嫌いな東京も」というところが好きです。あとアルバム「ネクスト」の中の武道館バージョンが一番いい。絶叫系で歌ってます。
「恋愛が全て」みたいな内容ばかりです。「ばかり」と書いても批判じゃありません。今でも大好きです。でも今は恋愛が全てなんてことは悲しくも「全くなくなって」しまいました。
好きな曲は、わざと「メジャーとはいえない曲」を書くなら「きかせて」と「心はなれて」です。
「窓は開けたままで話を聞かせて、手紙もくれなかったね」「心はなれて、貴女のこと見えなくなる、もうここから、先へは行けないね」
今でも「暗記」で書けます。
でもその数年前、高校生の時には「吉田拓郎」を歌っていて、「オフコースを否定」していました。拓郎ちゃんは闘病中です。あの「自由気まま」だった人が、、、年をとるのは残酷です。わが身のこととして感じます。
しかし考えてみると、高校時代だって大学時代と同じように恋愛の熱に浮かされていた時代です。でもオフコースの「軟弱さ」は否定していました。
初期の「さだまさし」さんもよく聴きました。恋愛歌が多い点ではオフコースに似ています。さださんは7割恋愛歌でしょうか。オフコースは99パーセント恋愛歌です。
でも「風景描写と状況描写」が具体的なので、「オフコース」とはちょっと違います。
オフコースは、今でも大好きですが、要するに「好きだ。愛している」を繰りかえしているだけです。具体的な状況設定がないのです。
さださんの場合、「せめてもの、華向けに、一度だけ、手を振って見せた、後ろ姿を、つつむ紙吹雪、それは僕のふるさと行の、季節はずれの指定券」(指定券)
「水彩画の陽炎のような、君の細い腕がふわりと、僕のかわりに宙を抱く、蛍祭りの夕間ぐれ」(風の篝火)
という風に「駅にいるのだな」「蛍祭りにいるのだな」という状況が分かります。オフコースにはそういう状況設定が極めて少ないように思います。
井上陽水さんは、「まとめ」ができません。「恋愛歌以外」も非常に多い人です。恋愛歌だと、
「声よ、夜の空に、君に届くように、声よ、変わらぬ言葉とこの胸が、はるかな君のもとに届くように」なんて感じです。「招待状のないショー」です。
「あこがれと願望」が多いかなとか思いますが、あまりに多種多様な歌が多く「まとめ」ができません。
日本のフォーク・ニューミュージック系はまずインディーズの時代があり、それから70年代前半「井上陽水」「吉田拓郎」「泉谷しげる」の時代がやってきます。
ちょっと遅れて70年代中頃、初期ユーミンの時代です。そこに「さだまさし」「かぐや姫」「甲斐バンド」「アリス」などが目立った活動を始めます。
オフコースが「売れる」のはちょっと遅れて、70年代後半から80年代初頭です。山下達郎さんは70年代中頃から活動ですが、ヒット曲「RIDE ON TIME」は80年のようです。
そこに「サザンオールスターズ」が現れます。サリエリ風に言うと「今までとは全く違った音楽」でした。でも今聴くと、そこまで革命的ではなかったかも。というより、拓郎、陽水だってさださんだって、オフコースだってユーミンだってそれぞれに「きわめて画期的な音楽」で、だから今でもそれなりに売れているのでしょう。
「オフコース的な心情」「さだまさし的な感情」「甲斐バンド的な感情」「拓郎的な感情」「ユーミン的な感情」「サザン的な感情」というのが、「私の中でははっきりして」いるのですが、「どんな心情だ」と聞かれても表現はできません。高校から大学、大学院にかけて、そういう心情の中で、「なんだか熱にうなされていた」ように感じます。
補足
こういう大物たちとは並べられませんが、今でも好きなのは「久保田早紀」さんと「松原みき」さんです。
「YesーYesーYes」「貴女を連れて行くよ。手を放さないで」という曲。
大学時代はそりゃ「そのまんま」に「心情同化」をして聴いてました。今考えると「どこに連れていくのだ」という話ですが。
「YesーYesーYes」、「君の嫌いな東京も」というところが好きです。あとアルバム「ネクスト」の中の武道館バージョンが一番いい。絶叫系で歌ってます。
「恋愛が全て」みたいな内容ばかりです。「ばかり」と書いても批判じゃありません。今でも大好きです。でも今は恋愛が全てなんてことは悲しくも「全くなくなって」しまいました。
好きな曲は、わざと「メジャーとはいえない曲」を書くなら「きかせて」と「心はなれて」です。
「窓は開けたままで話を聞かせて、手紙もくれなかったね」「心はなれて、貴女のこと見えなくなる、もうここから、先へは行けないね」
今でも「暗記」で書けます。
でもその数年前、高校生の時には「吉田拓郎」を歌っていて、「オフコースを否定」していました。拓郎ちゃんは闘病中です。あの「自由気まま」だった人が、、、年をとるのは残酷です。わが身のこととして感じます。
しかし考えてみると、高校時代だって大学時代と同じように恋愛の熱に浮かされていた時代です。でもオフコースの「軟弱さ」は否定していました。
初期の「さだまさし」さんもよく聴きました。恋愛歌が多い点ではオフコースに似ています。さださんは7割恋愛歌でしょうか。オフコースは99パーセント恋愛歌です。
でも「風景描写と状況描写」が具体的なので、「オフコース」とはちょっと違います。
オフコースは、今でも大好きですが、要するに「好きだ。愛している」を繰りかえしているだけです。具体的な状況設定がないのです。
さださんの場合、「せめてもの、華向けに、一度だけ、手を振って見せた、後ろ姿を、つつむ紙吹雪、それは僕のふるさと行の、季節はずれの指定券」(指定券)
「水彩画の陽炎のような、君の細い腕がふわりと、僕のかわりに宙を抱く、蛍祭りの夕間ぐれ」(風の篝火)
という風に「駅にいるのだな」「蛍祭りにいるのだな」という状況が分かります。オフコースにはそういう状況設定が極めて少ないように思います。
井上陽水さんは、「まとめ」ができません。「恋愛歌以外」も非常に多い人です。恋愛歌だと、
「声よ、夜の空に、君に届くように、声よ、変わらぬ言葉とこの胸が、はるかな君のもとに届くように」なんて感じです。「招待状のないショー」です。
「あこがれと願望」が多いかなとか思いますが、あまりに多種多様な歌が多く「まとめ」ができません。
日本のフォーク・ニューミュージック系はまずインディーズの時代があり、それから70年代前半「井上陽水」「吉田拓郎」「泉谷しげる」の時代がやってきます。
ちょっと遅れて70年代中頃、初期ユーミンの時代です。そこに「さだまさし」「かぐや姫」「甲斐バンド」「アリス」などが目立った活動を始めます。
オフコースが「売れる」のはちょっと遅れて、70年代後半から80年代初頭です。山下達郎さんは70年代中頃から活動ですが、ヒット曲「RIDE ON TIME」は80年のようです。
そこに「サザンオールスターズ」が現れます。サリエリ風に言うと「今までとは全く違った音楽」でした。でも今聴くと、そこまで革命的ではなかったかも。というより、拓郎、陽水だってさださんだって、オフコースだってユーミンだってそれぞれに「きわめて画期的な音楽」で、だから今でもそれなりに売れているのでしょう。
「オフコース的な心情」「さだまさし的な感情」「甲斐バンド的な感情」「拓郎的な感情」「ユーミン的な感情」「サザン的な感情」というのが、「私の中でははっきりして」いるのですが、「どんな心情だ」と聞かれても表現はできません。高校から大学、大学院にかけて、そういう心情の中で、「なんだか熱にうなされていた」ように感じます。
補足
こういう大物たちとは並べられませんが、今でも好きなのは「久保田早紀」さんと「松原みき」さんです。
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