寒いです。
暖冬、暖冬と言うけれど、この冬では、一二を争うくらい寒いわけで。体は、例年の寒さなんか、覚えてないって。
ところで、里田まい、すごいな。
ヘキサゴンで、「白身魚のすり身と、卵をまぜて、巻いたものは?」に対して、
「アスパラベーコン!」
魚と卵は、どこいった?(笑)
さて、今日は、第四話です。
物語の中では、季節は真夏。ちょっと、羨ましいぞ。
最初から読みたい方は、ここから、第一話へジャンプできます。
では、はじまりー。
第四話
七月も半ばを過ぎて、猛然と暑くなってきた。梅雨は、どうやら明けたらしい。夜の池袋は、エアコンの室外機から出る熱気と湿気で、空気がよどみ、むしむしと不快な暑さが、街を覆っていた。私は、汗だくになりながら、まだ、サラの店に通っていた。
「最初、ビールにします?」
少し笑いながら、サラが尋ねてきた。
「やっぱり、最初は、ビールで」
サラは、小さなグラスに、ビールを注ぐと、言った。
「ごめんなさい。今日、指名が入ってて。すぐ戻って来ます」
店内は、かなり混んでいた。サラが席を立っても、しばらく、誰も来なかった。ビールを飲みながら、私は、考え込んだ。
サラの告白を聞いても、彼女に対しては、不思議なくらい、腹が立たなかった。サラが、ジンナイを好きになるのは、やむを得ないことのような気がした。おまけに、自分に、腹を立てる資格があるのかどうか、よく分からなかった。
ただ、ジンナイが、本気で、サラを好きだとは、信じられなかった。担当だから、好きとは言えない、でも、抱かれてくれ。安っぽい、だまし文句としか、思えない。
ジンナイは、サラの想いを、都合良く、利用しているだけかもしれない。そう考えると、心の奥底に、なにか憂鬱なものが、溜まっていく気がした。
三十分くらいして、サラが戻ってきた。
「今、お客さん、見送ってきたの。ジンナイさん、次はこっちに行け、次はあっちって、ひどいんだから。で、あたしは、はい、はいって、その席に突入するの」
嬉しそうに笑いながら、サラは続けた。
「そうそう、明日、テンプク、どうしようかな。いっそ、ジンナイさんに、家まで持ってきて貰おうかな」
「テンプクって、何?」
「お店で着る服。店、服、ね。今日、持って帰れないから」
サラの目には、あの日の、不安な色は、微塵もなかった。ジンナイとの関係が、その後どうなったのか、サラは、一言も話さなかった。しかし、彼女が、ジンナイを、心底信頼していることは、疑う余地がなかった。
しばらくして、サラは、また席を立った。ジンナイに呼ばれたようだった。サラが奥の方のテーブルにつくのが見えた。よく見ると、サラの隣には、テレビによく出ている、お笑い系のタレントが、二人座っていた。顔を見れば、誰もが分かる、有名人だった。
もはや、サラは、ジンナイのために、働いているようなものだった。そして、ジンナイにとっても、指名数が上がってきたサラは、強力な切り札だったのだろう。
八月に入ると、サラの指名は、ますます増えて、席を立つことが多くなっていった。指名する意味がないくらいで、店に来る気持ちが薄まってきた。
さらに、お金の問題があった。四月以来、週一回とはいえ、半年近く通い続けて、大きな負担になっていた。もう終わらせなきゃ、そう考えることが、多くなっていた。
ある日、サラは、キャバクラでの仕事を、親に反対されているのだと、話し始めた。
「前から、早く辞めなさいって、言われてて、もう、かなりやばい。昨日も、お父さんに、すごく怒られて。ちょっと、もうやばい、やばい」
「どうするの。やめるの?」
「八月中に、辞めなさいって、言われちゃった。だから、来週の金曜日を最後にして、お店、辞めようと思ってるの」
正直、ほっとした気分だった。何かから、解放されるような、そんな安堵を感じた。
次の金曜日、私は、花束を買って、店に行った。サラの最後なので、客からの贈り物が、さぞ多いのだろうと思ったが、店内は、普段通りで、あっけない気がした。サラは、ほとんどずっと、私の席に付いてくれた。
いつもは、十一時過ぎに帰るのだが、その日は、店の最後まで居るつもりだった。
トイレから戻ったとき、私を通そうと立ち上がったサラが、バランスを崩して、倒れ込んできた。サラを抱きかかえるような形になったとき、柑橘系の、青林檎のような甘い香りが、広がった。香水だった。サラは、香水をつけていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
しかし、その香りは、抱きしめるくらい、サラの近くに寄らなければ、分からない。それほど、ほのかな香りだった。
誰のためにつけているんだ?
心の底から、鬱屈した感情が、ふつふつと湧き出して来るのを感じた。
十一時半になった。そろそろ帰らないと、と言って、私は立ち上がった。しかし、サラは、今日は、最後までいて、と引き留めようとした。終電だから、と言っても、今日だけは、最後までいて、とサラは、食い下がった。こんなに頑固に、何かを主張するサラを、初めて見た。しかし、私は、サラの言葉に耳を貸さず、外に出た。
店の前で、サラは、小さく手を振って、私を、見送った。一瞬、何か、言いたげな表情をしたが、すぐに、いつもの笑顔に戻った。街の暑さは相変わらずだったが、風が吹いていて、少しだけ涼しさを感じた。
第五話へつづく
暖冬、暖冬と言うけれど、この冬では、一二を争うくらい寒いわけで。体は、例年の寒さなんか、覚えてないって。
ところで、里田まい、すごいな。
ヘキサゴンで、「白身魚のすり身と、卵をまぜて、巻いたものは?」に対して、
「アスパラベーコン!」
魚と卵は、どこいった?(笑)
さて、今日は、第四話です。
物語の中では、季節は真夏。ちょっと、羨ましいぞ。
最初から読みたい方は、ここから、第一話へジャンプできます。
では、はじまりー。
第四話
七月も半ばを過ぎて、猛然と暑くなってきた。梅雨は、どうやら明けたらしい。夜の池袋は、エアコンの室外機から出る熱気と湿気で、空気がよどみ、むしむしと不快な暑さが、街を覆っていた。私は、汗だくになりながら、まだ、サラの店に通っていた。
「最初、ビールにします?」
少し笑いながら、サラが尋ねてきた。
「やっぱり、最初は、ビールで」
サラは、小さなグラスに、ビールを注ぐと、言った。
「ごめんなさい。今日、指名が入ってて。すぐ戻って来ます」
店内は、かなり混んでいた。サラが席を立っても、しばらく、誰も来なかった。ビールを飲みながら、私は、考え込んだ。
サラの告白を聞いても、彼女に対しては、不思議なくらい、腹が立たなかった。サラが、ジンナイを好きになるのは、やむを得ないことのような気がした。おまけに、自分に、腹を立てる資格があるのかどうか、よく分からなかった。
ただ、ジンナイが、本気で、サラを好きだとは、信じられなかった。担当だから、好きとは言えない、でも、抱かれてくれ。安っぽい、だまし文句としか、思えない。
ジンナイは、サラの想いを、都合良く、利用しているだけかもしれない。そう考えると、心の奥底に、なにか憂鬱なものが、溜まっていく気がした。
三十分くらいして、サラが戻ってきた。
「今、お客さん、見送ってきたの。ジンナイさん、次はこっちに行け、次はあっちって、ひどいんだから。で、あたしは、はい、はいって、その席に突入するの」
嬉しそうに笑いながら、サラは続けた。
「そうそう、明日、テンプク、どうしようかな。いっそ、ジンナイさんに、家まで持ってきて貰おうかな」
「テンプクって、何?」
「お店で着る服。店、服、ね。今日、持って帰れないから」
サラの目には、あの日の、不安な色は、微塵もなかった。ジンナイとの関係が、その後どうなったのか、サラは、一言も話さなかった。しかし、彼女が、ジンナイを、心底信頼していることは、疑う余地がなかった。
しばらくして、サラは、また席を立った。ジンナイに呼ばれたようだった。サラが奥の方のテーブルにつくのが見えた。よく見ると、サラの隣には、テレビによく出ている、お笑い系のタレントが、二人座っていた。顔を見れば、誰もが分かる、有名人だった。
もはや、サラは、ジンナイのために、働いているようなものだった。そして、ジンナイにとっても、指名数が上がってきたサラは、強力な切り札だったのだろう。
八月に入ると、サラの指名は、ますます増えて、席を立つことが多くなっていった。指名する意味がないくらいで、店に来る気持ちが薄まってきた。
さらに、お金の問題があった。四月以来、週一回とはいえ、半年近く通い続けて、大きな負担になっていた。もう終わらせなきゃ、そう考えることが、多くなっていた。
ある日、サラは、キャバクラでの仕事を、親に反対されているのだと、話し始めた。
「前から、早く辞めなさいって、言われてて、もう、かなりやばい。昨日も、お父さんに、すごく怒られて。ちょっと、もうやばい、やばい」
「どうするの。やめるの?」
「八月中に、辞めなさいって、言われちゃった。だから、来週の金曜日を最後にして、お店、辞めようと思ってるの」
正直、ほっとした気分だった。何かから、解放されるような、そんな安堵を感じた。
次の金曜日、私は、花束を買って、店に行った。サラの最後なので、客からの贈り物が、さぞ多いのだろうと思ったが、店内は、普段通りで、あっけない気がした。サラは、ほとんどずっと、私の席に付いてくれた。
いつもは、十一時過ぎに帰るのだが、その日は、店の最後まで居るつもりだった。
トイレから戻ったとき、私を通そうと立ち上がったサラが、バランスを崩して、倒れ込んできた。サラを抱きかかえるような形になったとき、柑橘系の、青林檎のような甘い香りが、広がった。香水だった。サラは、香水をつけていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
しかし、その香りは、抱きしめるくらい、サラの近くに寄らなければ、分からない。それほど、ほのかな香りだった。
誰のためにつけているんだ?
心の底から、鬱屈した感情が、ふつふつと湧き出して来るのを感じた。
十一時半になった。そろそろ帰らないと、と言って、私は立ち上がった。しかし、サラは、今日は、最後までいて、と引き留めようとした。終電だから、と言っても、今日だけは、最後までいて、とサラは、食い下がった。こんなに頑固に、何かを主張するサラを、初めて見た。しかし、私は、サラの言葉に耳を貸さず、外に出た。
店の前で、サラは、小さく手を振って、私を、見送った。一瞬、何か、言いたげな表情をしたが、すぐに、いつもの笑顔に戻った。街の暑さは相変わらずだったが、風が吹いていて、少しだけ涼しさを感じた。
第五話へつづく