身近にあって大切なひとの、本当の意味に気付くのは、それが永遠に失われた時だ。
キンイロアレチネズミの「アレチ」、当ブログの主宰者で表紙の彼は、2009年2月5日正午に、永眠しました。
我が家に来てから、二年と七ヶ月半の出来事でした。
もうエサをあげる必要もない、砂を交換しなくてもいい、カイロを張り替えなくてもいい。
部屋に出したとき、小さな足の爪をぎゅっと押しつけて膝に乗ってくることもない。あんまり食べると体に良くないからと、ケーキをお預けすると、セーターをよじ登って肩まで上がって来るようなストーカー行為も、もう心配しなくて大丈夫だ。
でも、僕はバカだった。
何十年も生きているのに、本当に大事なことを知らなかった。
アレチと一緒に過ごした日常の一瞬一瞬が、何気ない毎日こそが、かけがえのない幸せな時間だったということを。
幸せは、どこか遠い空の下に、漠然と転がってるんじゃない。自分のすぐそばに、日常の小さな積み重ねのなかに、しっかりと存在していた。
昨日の夜、リンゴとバナナをぱくぱく元気に食べていたのに、今はもう硬くなってしまったアレチを抱きしめたとき、そのことを嫌というほど思い知らされた。
駅前の花屋で花を買って、涙が止まらなくなって、泣きながら西友前の通りを歩いたとき、アレチが本当に大切な存在だったという事実を、叩き付けられた。
アレチ、ありがとう。本当にありがとう。
君とはもう会えないけど、君と過ごした時間、そして、なにより君が教えてくれたことは、決して忘れない。
そして、このブログを読まれた方、本当にありがとうございます。
皆様のおかげで、アレチは「ちょっとだけ有名なネズミ」になることが出来ました。
最後に、アレチ、天国の門をかじるなよ。
えんま様に怒られるぞ(笑)。
キンイロアレチネズミの「アレチ」、当ブログの主宰者で表紙の彼は、2009年2月5日正午に、永眠しました。
我が家に来てから、二年と七ヶ月半の出来事でした。
もうエサをあげる必要もない、砂を交換しなくてもいい、カイロを張り替えなくてもいい。
部屋に出したとき、小さな足の爪をぎゅっと押しつけて膝に乗ってくることもない。あんまり食べると体に良くないからと、ケーキをお預けすると、セーターをよじ登って肩まで上がって来るようなストーカー行為も、もう心配しなくて大丈夫だ。
でも、僕はバカだった。
何十年も生きているのに、本当に大事なことを知らなかった。
アレチと一緒に過ごした日常の一瞬一瞬が、何気ない毎日こそが、かけがえのない幸せな時間だったということを。
幸せは、どこか遠い空の下に、漠然と転がってるんじゃない。自分のすぐそばに、日常の小さな積み重ねのなかに、しっかりと存在していた。
昨日の夜、リンゴとバナナをぱくぱく元気に食べていたのに、今はもう硬くなってしまったアレチを抱きしめたとき、そのことを嫌というほど思い知らされた。
駅前の花屋で花を買って、涙が止まらなくなって、泣きながら西友前の通りを歩いたとき、アレチが本当に大切な存在だったという事実を、叩き付けられた。
アレチ、ありがとう。本当にありがとう。
君とはもう会えないけど、君と過ごした時間、そして、なにより君が教えてくれたことは、決して忘れない。
そして、このブログを読まれた方、本当にありがとうございます。
皆様のおかげで、アレチは「ちょっとだけ有名なネズミ」になることが出来ました。
最後に、アレチ、天国の門をかじるなよ。
えんま様に怒られるぞ(笑)。