その時、ロンドンはディーン街28番地で、ある家族にあいだであることが起きていた。
その時とは、1862年6月18日、
ある家族とは、カール・マルクスとその妻イェニー、そして姉妹イェニーヘンとラウラ(姉は1844年、妹はその翌年生まれ)。
という事は、このマルクス伝記小説『プロメテウス第2部第6編 火をぬすむもの Ⅵ』のp146から4ページの文に書かれています。
その場所については、イギリスはロンドンのディーン街28番地、だとこれで知りました。
書かれていることの、所々を書き写してみます。
その朝、もはや支払いをひきのばせない借金の計算からはじまった。
疲れたて、灰色の顔をしたイェニーが、厚い勘定書の束をもって夫の書斎にはいってきた。彼女の声はいつになくふるえていた。
「ガス会社が最後の警告書をおくってきましたよ。きょうじゅうに1ポンド十シリング払い込まなければ、ガスはすぐに止めるっていうんです。そうなったらあなたはもう夜のお仕事ができなくなるは。うちにはろうそく一本もなく、買うお金もありませんもの」
カールは机から立ちあがった。タバコをすいたくてたまらなかったが、いちばん安い葉巻き、いやきざみタバコを買う金もなかった。
イェニーの気は昂り早口で嘆き、窮状言い立てます。
急に自制を失ってイェニーは叫びだした。
「私はもうだめ、だめだわ! このさきまだ生きていくよりは死んだほうがましだわ。こどもたちとあなたが飢えていくのを見ているのをあたしはもうできません」
カールは妻にとびつき、彼女の頭を自分の胸に抱きしめた。
夫の励ましにも、
イェニーはしずまらなかった。カールは黙って妻の髪をなでていた。いったい、まだ何が言えただろう?
ふたたび悲しみがふきあふれた。イェニーの神経はもうのべつまくなしの緊張に堪えられなかった。この悲しい場面の、両親のへやに、イェニーヘンとラウラがはいってきた。娘たちの顔は異常に真剣で、決然としていた。
娘たちは自分たちが働く決心を述べ立てたが、母親は頷かなかった、そして、
「〜。わたくし、どうやって切り抜けるか、考えがあります。ね、 チャーリー(カールの英語読みによる愛称)、あなたの蔵書を売らせてちょうだい」
カールは思わず手でいすの背をつかんだ。彼は自分の本を愛し、自分の本になじんでいた。その本たちはつねに彼の従順で忠実な助手だった。その本たちの多くのものといっしょに彼は青年時代から遍歴をつづけてきたのだ。カールは反対しなかった。しかしすぐに思い惑っていることを心に恥じると、急いで妻の決意に賛成した。
だが、夫の蔵書を売るというイェニーの計画はみのらなかった。買い手がつかなかったのだ。金を入手するほかのあてはなかった。1862年6月18日、カールはフリードリヒ(エンゲルスのこと)に書いた。
この日の手紙については明日に……。