明日の天気が懸念されていたが、今夕「のぞみ会ライン」に送った写真とひと言、
天気が懸念されるのは、杖を持って出なければならない人がいるから、それも初代会長91歳は両手に、現会長84歳は一本と言うわけだからです。それも心配する必要がなくなったようで、幸先の良いことです。
これは葉山町の地域活動をしている諸団体を紹介した冊子からですが、
会員数16名とあり男1となっています、その1が私で、それで明日の「希望会35周年のつどい」の乾杯の音頭をとることになっています。それでさっきまで見ていた「のぞみ会だより」のなかにこんな記事が載っていました。
のぞみ会の皆様へ
○の次男でございます。
このたびは会報をお送りいただきましてありがとうございます。 驚きと感銘を受け読ませて頂きました。
母幸はひじょうに子供想いの強い人でありましたが父亡き後、「寂しさ」と「煩わしさ」を計りにかけて、 自分は「寂しさ」 を選ぶと申しまして、 葉山での一人住まいを20年続けてまいりました。
しかし一人住まいの20年は母にとってあまりにも過酷でありました。 一人で摂る食事の味気なさは、 息子として想像に耐えません。
週に一二度の私とのデートが寂しさをまぎらす唯一の方法と思っておりました。
会報を読ませていただきますと、その中に生きる母の姿は、私からは垣間見ることの出来なかった 母の生き甲斐です。
出不精、他人嫌いの人で、 子供との逢瀬のみが母の幸せとばかりと思い込み、 十分にその時間を与えられなかった自分への悔悟も残した母との別れです。
しかし母の死後、 のぞみ会の皆様に暖かく迎えていただいており、 それが母の大きな喜びであったことを知りました。
息子としてそれはそれは大きな安堵であり、喜びです。
皆様への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
会報の御礼と生前の母へのご好意に心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
平成16年8月27日
ここで母と呼ばれている御婦人については、以前の「つぶやき」から、
印象に残るエピソード
会の初期の段階から参加していたある高齢の女性がいた。 自分の言いたいことをはっきり言う人で、他のメンバーも最初の頃はびっくりするよう
なことも多かったという。
ひとり暮らしで、 2人の孝行息子が一緒に住もうと言ってくれていたが、息子や嫁と一緒に暮らすのを嫌がって、あえてひとり暮らしをしていた。
「煩わしさよりも寂しさを取った。 強い人だった」と渡辺さんは言う。
その人が会に参加して、心地よくなっていったからなのか、 人当たりがよくなり、 どんどん性格が変わっていった。そして90歳まで元気に過ごし、最後は「ピンピンコロリ」と亡くなった。 会の心地よさが人を変えた、忘れられないエピソードだと渡辺さんは話す。
この人の家へ私は庭の草取りや暮れの障子張替えなどに伺ったことがあり、大変喜ばれたものでした。渡辺さん(「のぞみ会」初代会長)の言われている「心地の良さ」とは自分が変わる喜び成長する喜び、と言うものかと教えられました。
それが判ったときに・・人は大きく変わるはず
人と 人との つながりは 近くもなく遠くもなく
固い絆でもなく 空気のようなものでもなく・・
難しく考えるまでもなく 相手や身の回りの人と
話すことで 自分が生きていることを確かめられる
には「一方的に話す」と言う場合もあります。またあ
る種の独り言には会話をしているように思える場合も
あります。もちろん講演などで「話す」は「話し合
い」ではありませんが、しかし、講演後の質疑とか感
想が想定されるわけですから、何より内容と合わせ、話し方には「話し合う」姿勢が必要なのでしょう。
小さな集まりでも、一方的な話しが強まると、結果そ
れが元で人が離れていく場合もあります。今日の集ま
りで旧会員からそんなことが分かりました。