遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『書楼弔堂 炎昼』  京極夏彦  集英社文庫

2023-04-25 21:40:12 | 京極夏彦
 このシリーズの『待宵』を最初に読み、そこから遡って本書を読んだ。連作短編集である。『破暁』に引き続き、本書にも6編の短編が収録されている。「小説すばる」(2014年9月号~2016年6月号)に掲載されたものが、2016年11月に単行本として刊行され、文庫の字組みに合わせ加筆修正されて、2019年11月に文庫化された。

 前著『破暁』と比べ、この『炎昼』に少し変化が現れる。短編6編に連なっていくサイド・ストーリー的位置づけで、いわば凖主役として「塔子」と称する女性が登場する。彼女がこの短編連作の狂言回し的な役割を担っていく。塔子が見聞したものとして、塔子の視点から描き出されていく。塔子は『破暁』の「高遠」に似た役回りである。『破暁』では最後に高遠の名前が初めて明かされた。今回はこの女性は名前でずっと記述され、その姓が明かされるのは本書最後の短編においてである。

 短編一作の構成パターンは一貫している。今回は前半に塔子が胸中に不満・鬱屈を秘めつつ行動するとともに塔子自身と家族関係についても少しずつ明らかになっていく。なので、サイド・ストーリーと上記した。塔子自身のプロフィールに対する興味が徐々に読者に形成されていく。これがまず一つの特徴と言える。
 この塔子が自然な成り行きで人々を弔堂に案内する立場になる。塔子に案内された人物が弔堂で主人公になる。弔堂の主とその人物との対話でストーリーが展開する。その話の中に時折塔子の思いや発言が織り込まれていく。

 本書の短編連作でおもしろいと思った第2の特徴は、短編の末尾が定型化されたことである。それは、塔子の言として「いえ、それはまた、別のお話なのでございます」と締めくくられる。
 本書の最後「探書拾弐 常世」の末尾では塔子の姓が明かされる。ここでもまた、
 「その後、私ー□□塔子がどのような人生を送ったのかといえば、
  それはまた、別の話なのでございます」(p541) □□の姓が何かはお楽しみに。

 塔子について、短編6作を読み重ねていくと、かなりイメージができる。だが、姓を明かされても煙に巻かれたままの余韻が残る。これがまたおもしろい。

 短編の後半に出てくる人物は、歴史に名を残す人々ばかり。人からの口コミで弔堂の存在を知り、書を求めて弔堂に来る。弔堂の主との対話を通して、その人物のある側面に焦点があてられ、人物像の一面が明らかになる。この対話プロセスが読ませどころである。史実を踏まえたフィクション化のおもしろさが鮮やかに発揮される。ここに第3の特徴がある。そこに明記される史実の該博さに驚かされる。事実を踏まえたフィクションを介して人物への興味が深まっていくという次第。

 さて、各短編について、読後印象を交えて簡略にご紹介しよう。
<探書漆 事件>
 ある思いを抱き芙蓉の木を眺めて佇む塔子の前に、松岡君、録さんと互いに呼び合う二人の男が現れる。弔堂への道に迷ったのだ。それが何かとは知らなかったが、塔子は陸燈台様の建物のある場所を知っていた。そこで案内役となる。塔子自身も初めて書楼弔堂の内部に入る。これが契機で、塔子は時折、人を案内し弔堂を訪れることになっていく。
 この連作では、単に狂言回しの案内役に留まらず、塔子自身も書を購う客の一人になっていく。そこに明治中期の女性の自我意識や自覚の高まりの先端部分が描き込まれていくことになる。明治時代の雰囲気が感じ取れておもしろい。
 弔堂では、松岡、田山(録さん)、弔堂の主という3人の会話になる。そして、録さんこと、田山花袋の求める書に関連した話に焦点が絞られていく。
 印象深い弔堂の主の言がある。
 「ええ。事実を事実として書くには、事実に見せ掛ける小細工をするのではなく、読む者の内面に事実を生成させるような工夫をしなければならないのではありませんでしょうか」(p85)
 ここでは、松岡國男の一書は決まらない。本書の短編連作では幾度か松岡が弔堂に現れることになる。松岡のことが少しずつストーリーに織り込まれて行く。これがこの『炎昼』の第4特徴といえる。

<探書捌 普遍>
 祖父と喧嘩した塔子は、反抗心にかられ行先も告げず家を出る。そして、弔堂に向かう坂の下に辿り着く。そこで偶然に松岡と出会う。松岡に背中を押されるような気持ちで弔堂に同行することに・・・・。二人は弔堂の前で不思議な人物に気づく。先客が居た。
 その人物は添田平吉、演歌師と名乗った。演歌は元は演説歌のこととか。そのことを本書で初めて知った。演歌師としての生き方を模索する様子が吐露されるストーリー。
 演歌師として活動した添田唖蝉坊が描き出される。  
 この時、塔子は弔堂で小説を初めて購入するというエンディングに・・・・。

<探書玖 隠秘(オカルト)>
 前作で「それはまた、別の話」となったことの話から始まる。塔子は明治女学校の英語教師・若松賤子著『小公子』を密かに自宅に持ち込んで読み始めるという冒険かつ経験をする。小説を知り、塔子はその感動を誰かと共有したくなる。相手として選んだ菅沼美音子との対話がストーリーになっていく。
 その後、塔子の足は弔堂に向く。弔堂には、先客として勝安芳枢密顧問官(勝海舟)が居た。弔堂の主との対話の話材は催眠術関連だった。おもしろいのは、塔子が美音子から聞かされた話題にリンクする点。勝と入れ替わりに、松岡が東京帝国大学哲学科の福來友吉を同行して弔堂を訪ねて来る。
 松岡が所望していたゼームズ・フレイザー著『The Golden Bough』二冊組みが入手できたことから、その内容へと話材が広がり、そこから福來の関心事へと転じて行く。福來友吉に焦点があたる。一方で、松岡についての関心事への広がりが加わることに。ストーリーの構成が実に巧みである。

 禅僧から還俗した弔堂の主の言が印象に残る。
「真理は、実は目の前にございます。しかし多くの人はそれに気づきません。気づかないからこそ、それは隠されていると考えるのです。隠されているなら暴こうとする。しかし隠されている真理など、実はないのでございます。隠すのは、何もないからでございますよ。ならば暴いても詮方なきこと」(p267)
 
<探書拾 変節>
 塔子は下女のおきねさんから聞いた垣根の花を見にでかけ、気味の悪い花という印象を抱く。なぜそう感じるかの描写から始まる。そこでハルと名乗る少女に出会い、時計草だと教えられる。ハルは修身学の授業を抜け出して来たのだと塔子に語る。塔子はハルを伴って、弔堂を訪れる。そこで再び、松岡と出会うことに。塔子は高等女学校に通うハルさんと松岡に紹介する。彼女は平塚明と名乗った。
 松岡が注文していた全国から集めた新聞の内容に話が転じて行く。そこから松岡とハルの間で「正しいこと」とは何かという論議に発展する。ハルの考え、ハルの父親の変節についての話へとその場での対話が進展していく。
 ハルは松岡から高山樗牛の翻訳小説の載る『山形日報』を譲られることになる。
 ハルとは後の平塚らいてうである。

 弔堂の主の言が印象深い。
「変節自体は問題にすべきではなく、寧ろ何故変節したのか、そして変節しても変わらぬものは何なのかこそ考えるべきではございませぬでしょうか」(p346)

<探書拾壱 無常>
 塔子の祖父が病気になる。その状況描写から始まる。祖父に接してきた塔子の愛憎が省察されていく。母親との会話に腹を立てた塔子はその場から逃げ出してしまう。
 いつもの坂道から、弔堂へと至る径を通り過ぎて行った先で、石に腰掛ける疲れた様子の老人に出会う。塔子は、その老人を一旦弔堂に誘い、そこで俥の手配をすることを提案する。老人は自身は軍人だが、泣き虫、弱虫のなきとだと名乗る。
 弔堂の主は、老人に会うなり「源三様」と呼びかけた。「あ、あんたは龍典さんか」(p404)。二人は三十年来の知り合いだった。
 二人の対話の最後に、龍典は、源三様と呼びかけた人、乃木希典に三宅観瀾著『中興鑑言』を進呈した。
 乃木希典がどのような人物だったのか、さらに知りたくなる短編である。

<探書拾弐 常世>
 年明けの状況が塔子の祖父の様子を描くことから始まる。塔子は美音子が嫁ぐという話を聞き、お祝いを持参する。その帰路、堀沿いのところで塔子は弔堂の主と丁稚のしほるに遭遇する。勝安芳(海舟)が亡くなったと聞く。梅が桜に変わる頃、塔子の祖父が死ぬ。祖父の一周忌が過ぎ、桜が散り舞う中、塔子は弔堂を訪ねる。途中で、塔子は1年半ぶり位に、松岡國男と出会うことに・・・。二人は弔堂を訪れる。
 この短編では、松岡國男自身のことが、弔堂の主と松岡の対話の中心になって行く。つまり、読者にとっては、遂に松岡が誰かがはっきりとする。
 最後に、主は松岡に言う。貴方さまの一冊は、貴方様がお書きになるものと推察致します(p538)と。
 一方、塔子は弔堂の主から奇妙な本、教則本のような本を薦められることに。
 この短編連作を通して、松岡國男のプロフィールが徐々に明らかになり、この「常世」でなるほどということになる。そこがおもしろい全体構成になっている。今回の6連作で落とし所が用意されていたという感じである。おさまりが良い。
 さらに、□□塔子の「それはまた、・・・」というエンディングは、いずれつづきが語られるという期待をポンと投げかけているようでおもしろい。

 この短編の中にも、印象に残る弔堂の主の言がある。引用する。
*それは方便でございます。人を生き易くするための嘘。信仰は、人を生き易くするためにあるのでございます。嘘だろうが間違いだろうが、信じることで生き易くなるのであれば、それで良いのでございます。信心というのは生きている者のためにあるのです。死人のためにあるのではない。  p513
*幽霊を扱った物語が怪談なのではございません。怪談の材料として幽霊という解釈は使い易いというだけのこと。怖くさせようとすすのですから、怖く書きましょう。 p517
*死者を成仏させるもさせぬも、それは生者次第でございます。 p528
*怖いというのなら、そう感じる方に疚(やま)しさがあるからでございます。生者の疚しき心こそが、幽霊を怖いものに仕立てるのでございます。  p530

 ご一読ありがとうございます。

補遺
田山花袋について  :「田山花袋記念文学館」
田山花袋      :ウィキペディア
添田唖蝉坊     :ウィキペディア
添田唖蝉坊・ラッハ゜節 /土取利行 Rappa bushi/Toshi Tsuchitori  YouTube
ラッパ節 「明治38年」 (明治・大正・昭和戦前歌謡)    YouTube
           東海林太郎(しょうじ たろう)唄
添田唖蝉坊:社会党ラッパ節::土取利行(唄・演奏)     YouTube 
女性の自立を求めた文学者 若松賤子  :「あいづ人物伝」(会津若松市)
福来友吉  :ウィキペディア
第13回 千里眼事件とその時代  :「本の万華鏡」(国立国会図書館)
 第1章 千里眼実験を読む 福来友吉と催眠術
平塚 らいてう   :ウィキペディア
平塚らいてう  :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)
女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう  :「日本女子大学」
乃木希典    :「コトバンク」
乃木希典    :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)
この写真の撮影日に夫婦共に自刃。明治天皇に殉死した乃木希典が神として崇められるまで  :「warakuweb」
三宅観瀾   :ウィキペディア
新体詩  :「HISTORIST」(山川出版社)
新体詩  :ウィキペディア
新体詩抄 初編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
柳田國男    :ウィキペディア
柳田國男    :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『書楼弔堂 破暁』  集英社文庫
『書楼弔堂 待宵』  集英社

[遊心逍遙記]に掲載 : 『ヒトごろし』  新潮社

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