相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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第81号 進捗状況

2015-11-28 12:57:00 | 日記
 来春完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』
第81号の進捗状況を御報告いたします。

1~3ページ
○全敗が消えた星<下>篇
明治後期を対象とする。●原稿清書完了

4~6ページ
○江戸大相撲熱戦譜
天保二年冬場所 ●一応、略歴表+本文は
3分の2程度執筆したところ。

7~9ページ
○大正二年の合併相撲<新連載>
「肥後相撲館」と「太刀山10人掛り」の
郷土紙記事を検証する。●近日脱稿予定

折込み・表裏両面
○申年生れ入幕力士一覧
 ●表面は原稿清書済み

 以上の他、幕内年齢しらべ等々未定だ
が、名力士個人別星取表は掲載する余白
があるまい。
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裁判→判決…雑考

2015-11-27 21:30:14 | 日記
 17年ばかりも逃げまわっていたやつが
懲役刑→無罪釈放━合点・納得と感じて
いる人はすくないだろうね。

 ずっと古い話で恐縮だが、終戦直後に
二所ノ関親方(元関脇玉ノ海=後相撲解
説者)が「戦犯容疑」で「身柄拘束」された
━勿論直ぐに釈放されたけれども…。これは
一種の「人権蹂躙」だと思うのである。

 裁判の方では…。故北の湖理事長はK社
から「賠償金」を騙し取ったとして訴えられて
いたんだよね、たしか…。
 発端は、週刊誌に「事実無根」の捏造記事
を掲載されたとして協会が出版社を…。判決
は協会側が○、K社●となった━そこまでなら
ばよかったものを、“償い”金を払え━それに
対して逆に訴えたが、ずっと裁判は開かれず
…有耶無耶なのかね?
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全敗が消えた星 その114

2015-11-27 13:13:51 | 日記
 前代未聞の行司出身取締春日野七五郎
(元木村宗四郎→入間川)登場の大正十四年
夏━場所前、その養子だった大横綱栃木山
が突如引退、世間を吃驚させた。

 初日から五日目までの星取表を真っ黒に
塗り潰したのは、後年“永遠の風雲児”天竜
三郎と行動を共にした常陸嶋〔某書の「朝吉」
はミスで朝次郎が正確〕━三流横綱西ノ海を
連破したこともある手取力士。
 よく調べたら、当場所その西ノ海からの金
星で幕内全敗が消えていた。

 朧げな記憶で申し訳ないが、常陸嶋はたしか
片足の小指が鳥渡おかしくなっていた云々の
記事を読んだかも……。
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見逃していた

2015-11-26 21:20:09 | 日記
 鳥渡失礼ながらM氏へ照会してみた。
 「太刀山10人掛り」の郷土紙記事は
在京記者〔当時「運動部」なんて部署は
なく、「社会部」の記者が相撲等も担当
していたのである〕が“隣県”熊本まで
出張して書いたものか。もうひとつは、
「能」と相撲との関係というか━なんで
天保二年冬は勧進能の所為で2箇月も
中断したのか。
 鄭重なる御回答を抜萃させてもらう。

〔前略〕「長崎日日」と「東洋日の出」は
似ているような気もしますが、手さばきは
二人で相談して書いたことも考えられ、
三紙それぞれの記者が観戦して取材して
太刀山にも直接取材して書いたのでは
ないでしょうか。また当時 東京の記者が
熊本まで出張することがあったのかどうか
は判りません。
 能のほうが相撲より格上だったことは
聞いていましたが、能のために相撲が中
断したことと、続けられていたことがあった
ことについては存じません。〔後略〕
 
 実は、当方の落度で下記の箇所を見逃し
ていた━大2.10.3『…日日新聞』には━

「東京大阪九州各地新聞記者…」其他千
五百餘名が来賓

大2,10.4『長崎…』にも━
 東京…各地の新聞記者其他千五百名…

 当時全国に或る程度「鉄道網」が整備さ
れており、在京記者出張は可能だったはず。
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後継…

2015-11-26 12:42:31 | 日記
 「北の湖部屋」が今後どうなるか━
「一代年寄」なので…あまり問題は生
じない。所属力士の移籍処理ぐらいの
もの。部屋の建物等不動産については
その侭で“看板”の架け替え━部屋を
もたない年寄が力士を譲りうける場合
もあり得るだろう。

 ところが、老舗の大部屋で当主が亡く
なったとき、後継者をめぐって紛糾した
相撲部屋の事例はすくなくない。

 例えば、二所ノ関(元大関佐賀ノ花)が
急逝した際、部屋の相続は同郷だった
押尾川(元大関大麒麟)に…。理事候補に
は一代年寄大鵬(元横綱)に…という話が
一旦成立したようにみえた。ところが
そうは問屋が卸さなかった。
 先ず、大鵬が二所ノ関襲名の意思あり
━と、“襲名あらそい”になったから話が
こじれた。押尾川にしてみれば、兄弟子
は既に部屋から“独立”してたんだから、
今更どういうことなんだ━話もわかる。
 その後の紆余曲折は割愛するが、変な
のは湊川(元幕内十勝岩)が「暫定二所ノ関」
なんて訳がわからなかったな。
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