相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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宮城山対宮城山戦は全然なかった❔

2024-03-07 21:44:16 | 日記
 あんまり旧い出来事、即ち江戸~明治
時代に関聯するものは、敬遠される人が
いらっしゃるかも知れないので、今夜は
「近代相撲」の大正時代の大相撲で、鳥
渡ばかり疑問点が閃いたのである。
 それは、小結を最高位とする宮 城 山
正見と、後横綱の宮 城 山 福松━この両
力士の年齢差は5~6年程度で、しかも
大正五年夏から同十一年春までの期間、
前者は東京大角力協會の…、後者は大阪
角力協會の幕内力士として在籍しており、
当時は、所謂 東・西 合併大相撲等々で
同名力士の宮城山対宮城山戦が1度は
実現したのじゃぁないか、と勝手に想像
したのである。
 『日本相撲史』明治・大正篇にも合併
相撲の記事・星取表が載っているが、“断
片的”な扱いで“割愛”された箇所も少なく
ないと思える。
 そこで、読者諸賢のなかに、当該「同
名取組」の有・無など御存知の方、是非
とも御教示いただきたいと存じます。
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“不可抗力”の欠場…?

2024-03-07 13:42:07 | 日記
※昨日の閲覧…544・訪問者…357
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 幕下以下も原則的に「連日出場」の試行
錯誤と思われる大正十二年春場所、東方の
序ノ口27名のうち、25名は実際にも10日間
全日出場していることがS氏提供資料で確認
できるのである。
 東序ノ口二三枚目、射 水 山 の星取表です。
〇梅 光(序ノ口25)
〇太勝山( 〃 26)
〇軍 竜( 〃 25)
●高 汐( 〃 15)

〇朝ノ山(新序 6)
●有 明(序ノ口1)
〇綾瀬川( 〃 23)
●新高山( 〃 5)=非関取?
〇勇 駒( 〃 19)

 五日目の「や」は全出場力士“奇数”のため
の措置ではないだろうか…。
 もう1人、太勝山も三日目だけ「や」印が
記入されているが、後日検証したい。
 尚、当場所東序ノ口二二枚目は後幕内力士
大八洲(後白玉多喜知理事)〔双葉山の兄弟子〕
である。
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