幕末のあってはならぬ大事件━「幕内小柳殺害
事件」では、当時の“責任”の所在が……。
江戸相撲會所(現日本相撲協会)の筆頭(ふでがしら
=現理事長)は、追手風喜太郎(元大関=前名黒柳)で、
筆脇(ふでわき=現No.2事業部長)が、清見泻又市
(元幕下小森野)であった。
両者ともこの事件の報告をうけてない筈はあるまい。
ところが「引責辞任」した形跡がありませんな。
追手風はその後凡そ3年「筆頭」の地位にあって、
慶應元年冬、謎の人物“原庭”玉垣と交替。
清見泻の方は、文久四年〔事件の2年後〕正月、
享年85歳の長寿で…。でも、現代で云う「認知症」
的な状態と想像する。
事件の翌年になって、筆脇は上記の玉垣と交替。
尚、小森野は幕下一桁〔現十両〕へ上れず、
幕内力士との対戦はないだろう…。
事件」では、当時の“責任”の所在が……。
江戸相撲會所(現日本相撲協会)の筆頭(ふでがしら
=現理事長)は、追手風喜太郎(元大関=前名黒柳)で、
筆脇(ふでわき=現No.2事業部長)が、清見泻又市
(元幕下小森野)であった。
両者ともこの事件の報告をうけてない筈はあるまい。
ところが「引責辞任」した形跡がありませんな。
追手風はその後凡そ3年「筆頭」の地位にあって、
慶應元年冬、謎の人物“原庭”玉垣と交替。
清見泻の方は、文久四年〔事件の2年後〕正月、
享年85歳の長寿で…。でも、現代で云う「認知症」
的な状態と想像する。
事件の翌年になって、筆脇は上記の玉垣と交替。
尚、小森野は幕下一桁〔現十両〕へ上れず、
幕内力士との対戦はないだろう…。