ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

聖堂 1998.12.1

1998-12-01 15:47:22 | 嫩葉
聖堂
かつて双葉幼稚園が斑鳩興留にあった頃、そこには味わい深い聖堂が立っていた。というよりも、保育活動自体が聖堂の中で行われ、うれしいことも悲しいことも、先生たちからほめられたことも叱られたことも聖堂との密接な関係の中で営まれたのである。従って、斑鳩時代の人々にとって聖堂は特別な場所であったに違いない。 この聖堂は大正15年(1926)7月6日に聖別されている。当時としてはかなり本格的な聖堂で周囲の人々の目を惹いたと思われる。それに先だって、同じ年の6月4日、奈良県知事より「大正15年5月6日付申請聖ペテロ幼稚園設立之件認可ス」という認可証を受けている。つまり、斑鳩の聖堂の建立と聖ペテロ幼稚園の設立とは同時であった。 ところが、昭和46年(1971)、斑鳩の地から西大和に移転したとき、事情により幼稚園の園舎は新築されたが聖堂を建立することはできなかったのである。経済的事情もあったであろうし、何よりもニュータウン構想そのものが宗教的なものを排除するということもあったらしい。 それ以後、教会活動は幼稚園の園舎の中で細々と営まれるという状況が今日にまで続いている。西大和双葉幼稚園が本当の意味で「キリスト教の幼稚園」となるためにも、聖堂は必要なものである。 聖堂は無言のうちにそこに来る人々にいろいろなことを語りかける。悲しいときには慰めを、いらいらするときには落ち着きを、怒っているときにはゆるしの言葉を、うれしいときには喜びの言葉を、大人にも子どもにも、語りかける。人生の節目節目に、生きることの本当の意味と、生きる勇気とを語りかける。聖堂は一見無意味な空間のようであるが、ここには人生のすべてが包み込められている。わたしたちが聖堂で静かに祈りを捧げるとき、この世界のすべてを支配し、支える偉大な力に触れる。 西大和の地に聖堂ができたとき、本当の意味での斑鳩の地からの「移転」が完了し、西大和聖ペテロ教会も西大和双葉幼稚園もこの地に据えられた神の業の拠点となる。 (牧師・園長 文屋善明) 

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