聖書には、神エホバに仕える者と仕えない者の違いがどうなるかを明確に記しています。そうした聖書に記された記録は、「皆わたしたちの教えのために書かれたのであり、それは、わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望に立つためです」と、説明しています(ローマ15:4)。神エホバは、み子イエスを王とした神の王国によって、この事物の体制を処断し、義の宿る新しい社会・地上の楽園を回復することを約束してくださっています(ペテロ第二3:10~13.啓示21:4,5)。この時も、「神に仕える者と仕えなかった者の相違を再び見る」ことになります。聖書のマラキ書に次のように保証の言葉が記されています。
「そしてあなた方は必ず義なる者と邪悪な者、神(エホバ)に仕える者と仕えなかった者との相違を再び見るであろう」(マラキ3:18)。
上の聖句の神エホバに仕える者と仕えなかった者との相違は、今の終わりの日の対処しにくい危機の時代にも見ることができます(テモテ第二3:1~5)。神エホバに仕える者たちは、イエスの教えられた通り、神の王国と神エホバの義をいつも第一に求めています(マタイ6:33)。そのため、神の王国の良いたよりの真理を宣明ています(マタイ24:14.ルカ4:43;8:1.使徒28:23)。神エホバに仕える者は、神エホバのご意志を行ない、朽ちる「肉の業」を避け、神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは明白な論証に基づき、抱く期待・希望が保証されていること)、温和、自制の特質を培っています(マタイ7:21.ガラテア5:19~23)。さらに、イエスが教えられた新しいおきての「互いを愛する」ことによって、はっきりイエスの弟子であることを示しています(ヨハネ13:34,35)。加えて、温和で義なる者たちはもはや戦いを学ばず、戦争に加担することなく中立を守り、霊の実の、平和を求めます(イザヤ2:4.マタイ5:9)。
最終的にハルマゲドン(邪悪な者たちが断ち滅ぼされる日・エホバの大いなる日の戦争)において、神エホバに仕える者たち、神エホバのご意志を守り行なう者たちは、義の宿る地上の新しい社会・楽園に招き入れられ、永遠の命の祝福に預かります(啓示7:9,14;16:14~16;21:4,5:22:1,2)。一方、神エホバに仕えるエホバの証人のクリスチャンたちが証し続けている神の王国の良いたよりの真理にこたえ応じず、「肉の業」を行ないつずける邪悪な者たちは、命の切断に入ります(マタイ25:31~46.ガラテア5:19~21.啓示18章~19章)。紹介のマラキ書に紹介されている通り、神エホバに仕える義なる者たちは永遠の命に至り、神エホバに仕えない邪悪な者たちは命の切断に入る相違を見ることになるのです。あなたも、神エホバに仕える者のお一人であれば幸いです。
温暖化 夕立もなき 異変かな 今日の一句
道辺に咲いている「フヨウ」