神エホバとの契約下にあったイスラエルは、神エホバのご意志を守り行なわない邪悪な者となっていました。そのため、神エホバはエゼキエルを「見張りの者」としての任務を命じたことが、エゼキエル書に次のように記されています。神エホバがエゼキエルを「見張りの者」としたのはなぜか、また、神エホバはどのような方かを理解する助けが得られます。
「「さて、人の子(エゼキエル)よ、あなたに関してであるが、わたしはあなた(エゼキエル)をイスラエルの家に対する見張り者とした。あなたは必ずわたし(エホバ)の口から言葉を聞き、わたしからの警告を彼ら(イスラエル)に与えなければならない。わたし(エホバ)が邪悪な者に、「邪悪な者よ、あなたは必ず死ぬ!」と言うのに、あなた(エゼキエル)がその邪悪な者に実際に警告して、その道から離れるようはっきり言わないなら、その者は邪悪な者として自分のとがのうちに死ぬことになる。しかし、わたし(エホバ)はその血の返済をあなた(エゼキエル)の手に求める。しかし、あなた(エゼキエル)に関しては、あなた(エゼキエル)が邪悪な者はその道から立ち返るようそれについて実際に警告したのに、その者が実際に自分の道から立ち返らないなら、彼(邪悪な者)は自分のとがのうちに死ぬのであって、あなた(エゼキエル)自身は必ず自分の魂(命)を救い出すであろう」」(エゼキエル33:7~9)。
上記の聖句のとおり、エゼキエルは神エホバから「見張りの者」として任命されました。当時「見張りの者」は、大抵民に、危険を知らせるために、都市の城壁や塔の上にいました。神エホバはエゼキエルを比ゆ的な意味で「イスラエルの家に対する見張りの者」として任命されました。エゼキエルは神エホバからの言葉を聞き、イスラエル人に、神エホバのご意志を行なわない邪悪な道から離れないなら、神エホバからの刑の執行が臨むということを警告しました(エゼキエル33:7)。神エホバは、エゼキエルに「見張りの者」としての重い責任の自覚を「血の返済をあなたの手に求める」と言って、促しています。エゼキエルが神エホバの「見張りの者」としてその重い責務を果たす時、エゼキエル自身は「必ず自分の魂(命)を見い出す」と、保証されました(エゼキエル33:9)。
神エホバはエゼキエルを「見張り者」とし、イスラエルに「わたし(エホバ)は、邪悪な者の死ではなく、邪悪な者がその道から立ち返って、実際に生きつづけることを喜ぶ。立ち返れ、あなた方の悪の道から立ち返れ。なぜなら、イスラエルの家よ、どうしてあなた方が死んで良いだろうか」」と、警告の言葉を伝えました(エゼキエル33:11)。神エホバは、民が悔い改め、神エホバの教えの道に立ち返り、実際に生きつずけることを願っていることを明らかにしています。さらに神エホバは、ご自分の民が「実際に自分の罪から立ち返って公正と義を行ない」、「不正を行なわず」神エホバの命の律法、法令によって実際に歩むなら、彼らは必ず生き続けると、約束されました」(エゼキエル33:14,15)。神エホバは、ご自分の民が滅びではなく、悔い改めに至り、エホバのご意志を行ない、公正と義を求め、命の道を歩むことを望んでおられるのです(ペテロ第二3:9も参照)。
現在の「見張りの者」である、エホバの証人のクリスチャンたちは、エゼキエルの勇気に見倣い、イエスの指示通り、世界中の240の国や地域で、神の王国の良いたよりを証しのために宣明しています(マタイ24:14;28:19,20.ルカ4:43;8:1)。神エホバは、間もなく神の王国によって回復する地上の義の宿る楽園で、エホバのご意志を行なう温和な民が永遠の命の道を歩むことを願っておられます(ペテロ第二3:10~13.啓示21:4,5)。あなたも、神エホバのご意志を行なう「見張りの者」のお一人であれば幸いです。
園児らの 打ち水をまく 午後となる 今日の一句
ご近所の庭の「ジニア(百日草)」