何度もお伝えしていますが、聖書は現在は「終わりの日の対処しにくい危機の時代」であることを予告していました(テモテ第二3:1~5)。そのため、大半の人々は自己中心・利己的であり、人間第一ではなく経済第一を唱えます。政府も経済第一と政策を掲げ、経済界も一致し、その政策を推進しています。東京都の知事は「都民ファースト(都民第一)」のスローガンを掲げました。利己主義や経済第一主義は、私たちの生活を快い道、平安と義の満ちる道、命の道に導いて来たでしょうか。
聖書は、現在多くの人が陥っている「自分自身に多くの物を与える人」、つまり利己的な欲望の人に次の警告を与えています。
「自分自身に多くの物を与えようとして、立場の低い人からだまし取っている者、また、富んだ者に与えている者は、必ず窮乏に陥る」(箴言22:16)。
上の聖句に記されている「自分自身に多くの物を与えようとして」いる人とは、「利己的な欲望の人」を表わしています。だれでも、立場の低い人からだまし取るのは、悪いことであることが分かると思います。しかし、利己的な欲望の人は、立場を利用し、それとは分からぬように弱い人から巧みにだまし取ることを企てます。だまし取るものには、金品だけではなく、人の心を巧みな言葉でだまし取ることも含まれています。さらに、利己的な要望によって、「富んだ者に与えている者」は、特に権力者に見られるかも知れません。権力者に富んだ者が、見返りを巧みに行うのです。注意しないと制度的に弱い立場の人ではなく、「富んだ者」に依り厚く与える仕組みが当たり前にまかり通っているかも知れません。しかし、聖書は利己的な欲望の人は、必ず窮乏すると警告しています。この「窮乏」には、金品の物質のみではなく霊的な窮乏が含まれています。霊的な窮乏は、快い道、平安と義の満ちた道、命の道を奪います。
前書きに現在の社会は、利己的で経済第一主義者が多いことを書きました。7日に家電量販店の店長とお話をする機会がありました。その時、ある事柄に関し、「最近の人は自己中心的で利己主義に陥り、そのことを本人は気付かないで、お客様に迷惑をかけ、平然としている事例があり、「自己中心」の生き方の反対の言葉をご存知ですか」、と尋ねてみました。すると、「利己主義は分かるけど、その反対の言葉知りません」とのことでした。私が「利他的」という言葉をお伝えし、「利他的な生き方が人を幸福にする」ことを話しました。このように現在社会は、それなりの立場の人も「利他的」という言葉を知りませんので、仕事や生活に反映することができない終わりの日の対処しにくい危機の時代を反映しています。
イエス・キリストは「受けるより、与えるほうが幸福である」と、「利他的な生き方」を教えられました(使徒20:35)。私たちは利己的な欲望に陥らないように注意を払いたいものです。
迷走と 超低速の 台風過 今日の一句
庭に咲いている「リコリス」