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映画【ノーカントリー(NO COUNTRY FOR OLD MEN) 】

2008-05-12 13:20:25 | 映画
 
 
ノーカントリー(NO COUNTRY FOR OLD MEN)
2007
ジョエル・コーエン(Joel Coen)
イーサン・コーエン(Ethan Coen)


素晴らしい作品です。
観た方の殆どが『「ファーゴ」の方が好き』と言っていたんですが、私は殆ど内容忘れてしまったので。みんな、記憶力良いなぁ。
ちなみに、このブログは「自分の為の思い出す用」です。


全く派手なシーンが無い、そして主人公の保安官(トミー・リー・ジョーンズ)が事件に直接関わらない、恐るべき肩すかしで最後まで関わらない。その意味が全編にわたって描かれています。
完全な私見ですが、日本版タイトルである「ノーカントリー」ではやはり誤解を招くことでしょう。オリジナルの「No country for old men」であるからこそ理解できる(様な気になる)映画です。
もちろん「おもしろかったー」の一言で片付けられる作品では決してありません。正直、瞬発的な面白さはありません。しかし、見終わってから、もしくは鑑賞中に巡る思考が面白い映画では。

コーエン兄弟作品だと、やっぱり「ファーゴ 」と比べられることが必須ですが、即効性という意味では「ファーゴ」の方が分かりやすい。エンターテイメントになっています。けれども、見終わって時間が経ってからの残りかたは本作の方が勝ります。これは歳のせいかも。


恐らく「ノーカントリー」というタイトルと予告編から想像すると、ある殺し屋(ハビエル・バルデム)とそれに狙われる男(ジョシュ・ブローリン)の「帰る場所のない二人の男達」のお話という思いこみで物語を追ってしまうはずです。
しかし、本作は全く違う視点で描かれていて、年老いた保安官の「もう、誰が何考えてるかなんて分からない。この国ですらもう自分の国ではないようだ」という諦観の様な気持ちを描いた作品であるはずなのです。

もしかしたら、この映画で描かれている「逃げる男とそれを追う殺し屋」ですら保安官の空想であったのかもしれない。彼はその事件があったであろう事後の現場しか観ていないのです。状況証拠から道程を想像するということしかしていない。あくまでも殺し屋とは直接対決はしない。
保安官の空想で、何を考えているのか分からない追われる男と追う殺し屋のストーリーをでっち上げた映画であるような気がします。

突き詰めていくと「最近の若者は何を考えているのかわからん」ということになるかもしれませんが、それよりも根が深い「隣人が何を考えているのかわからん」という人との関わりがロストしてしまった世界のお話。決して「old men」だけではない。
「最近の若者は何を考えているのかわからん」という文言がロゼッタストーンにも書かれていたという笑い話がありますが、正にその考えは全世代を通して共通する悩みであるということを描いているのだと思います。

世界は結局分からなかったという諦観を退職した保安官の目線で語る。結局自分が語れるのは自分の創り出した「夢」でしかない。
ものすごい孤独がそこに描かれています。
ただ保安官の孤独ではなく、本作のメインキャラクターの3人(保安官、殺し屋、追われる男)に共通することは「全幅の信頼を置ける場所が世界中のどこにもない」ということであるのでは。
125分を通してタイトルに込められた一つのテーマを描ききる素晴らしい映画でした。故に結末らしい結末は無いのです。


本作を以て「意味が分からない」とか「何が面白いんだ?」というのは、映画というか何らかの作品を見聞きしたときの読解力が不足しているとしか思えません。しかし、彼等に罪はない。見た目の派手さだけを追求した作品を供給し続けた制作側の罪。結局マッチポンプなんですね。読解力以前に読解しようとする気をそいでしまった必然の結果なのでは。
劇場を出たときに「なんかイマイチだったね」という声が聞こえたのですが、それこそ答えを与えられることに慣れすぎた人々の声。もちろん、趣味もあるかと思いますし、やはり彼等にも罪はありません。そもそも、映画を観て面白くなかったのは作る側(作ってきた側)の責任なのです。食べられるために育てられた豚は食べられることに疑問を持っているか。その豚は食べられる意外の意志があるのか。


ここ数年でメジャーになりきった監督(名前で客が入る監督)たちが、こぞって本当にやりたかった作品を撮っているような気がします。
そういう作品たちが撮られているのは嬉しい限りですが、あまり濃くない鑑賞者にとってそれらの作品を鑑賞することは苦行になることでしょう。それによってあと2年くらいしたら監督名ではなく、スポットで楽しげに盛り上げた娯楽作品にしか客が入らない事態を憂慮せざるを得ません。
もしかしたら、もう一度映画の見方を考え直すターニングポイントなのかもしれません。

映画というのは、観た人の数だけ解釈があることで良いのだと思います。
絶望的なバッド・エンドですら、その中に光明を見いだすこともあるし、陳腐なハッピー・エンドの中にも主人公の葛藤を感じることもあります。
鑑賞者の心情を映し出す鏡、もしくはリアライズしてしまう何かでは。
自分はこの映画を観てこう思う、ということを感じられる、もしくは同化してしまう映画が上質な映画ではないかと思うのです。
鑑賞後に監督の思惑とは全く違っていた私見としても、そう考える余地を与えてくれる作品に出会えたことが「この映画を観てよかった」ともう所以なのでは。
『面倒だからとにかく派手で楽しいのだけ見せてくれ』という声だけになったとき、映画は一体どうなってしまうのか。

ところで、この手の映画を見終わって、席を立つやいなや「あー、すごいわかるー」とか「なんかイマイチー」で済ます人、そういうのやめてもらえないでしょうか。それって、静かな店で良い気持ちで飲んでいるときに隣でバカ騒ぎされるのと同じなんですよ。


本作がアカデミー作品賞・監督賞を受賞したということはちょっと驚きですが、やっぱりこれ以上のクオリティの映画はそう無いんだろうなぁ。