神が宿るところ

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愛宕山古墳(茨城県水戸市)

2019-03-09 23:20:16 | 古墳
愛宕山古墳(あたごやまこふん)。
場所:茨城県水戸市愛宕町10-5(「愛宕神社」の住所)。国道118号線「盲学校前」信号の1つ南東の狭い道路に入り北東へ約200m、突き当りを左折(北西へ)、約150m。駐車場有り。道路が狭く、一方通行路もあるので注意。
「愛宕山古墳」は、那珂川右岸(西岸)の台地上に立地し、那珂川流域における最大規模の前方後円墳。茨城県内でも3~4番目くらいの大きさ(現・筑西市の「葦間山古墳」(2018年7月28日記事)と同じくらい)で、墳丘全長約137m、後円部径約78m、前方部幅約75m。
また、現在では宅地化されているが、約23m幅の周濠もあったとされている。後円部墳頂及び裾部において大形の円筒埴輪が発見されたことから、墳丘は有段で、3~4列に及ぶ埴輪列の存在が推定されるという。本格的な発掘調査が行われていないため、古墳の築造年代には諸説あるが、6世紀初頭と推定されている。被葬者については、その規模からみて仲国の首長とみられ、伝承では仲(那珂)国造の祖である建借間命(タケカシマ)の墳墓といわれている。
因みに、後円部墳頂には「愛宕神社」(通称:「水戸愛宕神社」)が鎮座している。社伝によれば、天慶元年(938年)に常陸大掾・平国香が現・京都府京都市の山城国「愛宕神社」(全国「愛宕神社」の総本社)から常陸国府中(現・茨城県石岡市)に分霊を勧請したのが創建。長和3年(1019年)に国香の子である大掾貞盛が旧水戸城内に安置し、更に元亀年中(1570~1572年)に領主・江戸但馬守道勝が水戸城外三の丸に遷座して、一般の崇敬参拝が許されるようになった。そして、天正8年(1580年)に佐竹義宣が現在地に移したという。祭神は火之迦具土神(ヒノカグツチ)で、水戸城の守護神であるとともに、火伏せ(防火)の神として広く信仰されている。


茨城県教育委員会のHPから(愛宕山古墳)

水戸観光コンベンション協会のHPから(愛宕神社)


写真1:「愛宕神社」鳥居と社号標


写真2:鳥居を潜って石段を上る。ここが「愛宕山古墳」の後円部。


写真3:後円部墳頂の「愛宕神社」拝殿(南向き)


写真4:同上、本殿


写真5:前方部から後円部を見る。


写真6:前方部から南東側を見る。


写真7:南側から前方部をみる。


写真8:南側からの参道にある鳥居。社殿が南向きなので、本来の参道はこちら側なのだろう。前方部から上って、一段高い後円部にある社殿に参ることになる。
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