神が宿るところ

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唐松神社

2016-09-10 23:49:58 | 神社
唐松神社(からまつじんじゃ)。
場所:秋田県大仙市協和境字下台94。国道13号線「上淀川」交差点から北、約800mのところ(「日進モータース」の向かい)から狭い道路を西へ進めば、当神社参道正面に出るが、ややわかりにくい。「上淀川」交差点から西に入って突き当りを右折(北へ)、つまり国道の1本西の道路(旧道?)を約800m進むほうがわかりやすい。自動車の場合は、当神社「一の鳥居」を通り過ぎ、更に約100mのところ(交番のすぐ先)を西へ入ると、駐車場に行ける。
社伝によれば、当神社は本来「韓服宮」といい、三韓征伐を行った神功皇后に因む宮とされる。新羅征討に参加した物部膽咋連(もののべいくいのむらじ)が神功皇后の腹帯を拝受し、当社を創建したという。あるいは、膽咋連の子孫に当たる物部守屋の子・那加世が物部氏滅亡に際して東北地方に落ちのびて当地で祖先神を祀り、後に、深く崇敬した神功皇后を合祀したともいう(現・社家の物部氏は那加世を初代として60代以上続いているとのこと。)。また、現社殿の南西、「唐松山」山頂(標高約88m)に元宮があるが、ここには「唐松山勝軍権現(愛宕権現)」が祀られていたらしい。伝説によれば、「前九年の役(前九年合戦)」の折、八幡太郎こと源義家が当地で敵・安倍貞任の軍勢に囲まれて窮地に陥ったとき、大男が現れて義家を救った。この大男こそ「唐松山権現」であり、義家は戦勝後の康平6年(1063年)に社殿を修復したという。現在の社殿は平地より低いところにあり、石段を下りて参拝するが、近世、久保田(秋田)藩第3代藩主・佐竹義処(さたけよしずみ)が当神社前の下馬札を無視して通り過ぎようとして落馬したことに怒り、社殿を平地に下させた。ところが、その後も同様のことがあったため、平地より下の窪地に社殿を移させたのだという。ところが、義処の娘・久姫が難産で苦しんでいたところ、当神社に祈願したところ無事安産となったことから、以来厚く庇護されるようになった。現在も参道に立派な杉並木があるが、これは義処が植えさせたものという。また、こうした由来から、女性一代の守り神、授子安産子安の神様として庶民にも信仰され、「唐松講」(「八日講」)と呼ばれる講が多数組織された。現在の祭神は、軻遇突命(カグツチ)、息気長足姫命(オキナガタラシヒメ=神功皇后)ほか。


秋田県神社庁のHPから(唐松神社)

玄松子さんのHPから(唐松神社)

写真1:「唐松神社」参道入口、一の鳥居


写真2:参道途中の鳥居


写真3:社殿前の鳥居


写真4:社殿。石段を下がって参拝する。


写真5:元宮の参道入口の鳥居。「唐松神社」の南、淀川を渡ったところにある「まほろば唐松 能楽殿」の背後から山道を登る。


写真6:山上にある「唐松城」石碑


写真7:「唐松神社」元宮


写真8:同上、内部



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