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神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

蓬莱山 弘誓院 福満寺

2025-04-12 23:35:09 | 寺院
蓬莱山 弘誓院 福満寺(ほうらいさん ぐぜいいん ふくまんじ)。通称:柳戸観音。
場所:千葉県柏市柳戸612。千葉県道282号線(柏印西線)沿い「手賀中学校」前から東に約160m、「柏 ひがし聖地公苑」という案内看板の出ているところで左折(北へ)、約180mで「公苑」墓地駐車場。「弘誓院」本堂は「公苑」から北側へ下りたところにある。
寺伝によれば、大同年間(806~810)に行基菩薩が伽藍を建立し、自ら一刀三礼して桜の木を彫刻した三尺三寸(=1m)の本尊・聖観音像を安置したのが創建とされる。中世、高城下野守胤則・原兵部小輔胤定・相馬弥七郎胤光等の大檀越が珍宝等を喜捨し、仁王門・鐘楼等を造営したが、天正年間(1573~1592年)に火災に遭い、堂宇が全て焼失した。このとき、本尊の観音像は自ら大杉の枝の上に避難して災禍を免れたといい、「火防観音」とも呼ばれる。また、梵鐘が池に落ち、それ以来、この池を「鐘ヶ淵」と称するようになったという。なお、地蔵堂に安置される地蔵像は、伝教大師(最澄。天台宗の宗祖)の作と伝えられる高さ七尺余(約212cm)の木彫立像で、毎夜、村の各家を訪ねて泣く子をあやしたとか、本堂の普請に必要な木材の寄進を求めて回ったとかという伝説がある。因みに、旧来の諸堂は現在の鐘楼堂と同じ丘の上にあったとされ、その台地上から多くの板碑が出土している(もっとも古いものは嘉暦3年(1328年)銘がある。)。昭和45年、東京都千代田区大手町の高速道路工事現場から「下総国南相馬郡泉郷柳渡福満寺文正二年」銘のある古鐘が出土したが、これは文正2年(1467年)に当寺院に寄進されたものと見られている(なお、柏市大井の「教永山 積善院 福満寺」(2025年3月15日記事)のものとする説あり。)。因みに、文明10年(1479年)、武蔵国江戸城主・太田道灌が下総国の千葉氏を攻撃している(「境根原合戦」(境根原は現・柏市酒井根))ので、このときに道灌軍が鐘を略奪したのかもしれない。また、当寺院所蔵の「法華三部経版木」(千葉県指定文化財)は法華三部経を印刷するための版木で、室町時代頃のものと推定されている。当時、版木製作を含め印刷・出版には相当な財力が必要であっただろうから、当地の領主などからの庇護が篤かったことが窺われる。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は聖観世音菩薩(秘仏)。この観音像は桧(ヒノキ)材で像高79.5cm、鎌倉時代(13世頃)の作とされ、千葉県指定文化財。旧下総国西部(東葛飾郡・印旛郡)を巡る下総新西国三十三ヶ所観音霊場の第33番札所となっている。


柏市のHPから(聖観世音菩薩坐像・妙法蓮華経版木)

同上(弘誓院の銀杏樹)

柏市観光協会のHPから(夜あるくお地蔵さま)


写真1:「弘誓院」寺号標。正面に本堂。


写真2:境内に雌雄2本の銀杏樹(イチョウ)の大木がある(柏市指定文化財(天然記念物))。こちらは雌樹で、幹囲4.4m。乳柱(気根)が発生しており、母乳の少ない婦人が削って煎じて飲むと乳に恵まれるという。


写真3:同上、雄樹。幹周4.2m。


写真4:本堂


写真5:右:延命地蔵堂、左:大師堂。大師堂は東葛印旛大師八十八ヶ所霊場第83番札所・下総四郡八十八所霊場第83番札所となっている。


写真6:弁財天像。8臂の石造坐像。


写真7:本堂の南の台地上にある鐘楼。大正時代のもので、柏市都市景観賞受賞。


写真8:本堂の東側に隣接する「熊野神社」(祭神:家都御子大神)。創建時期不明だが、当寺院の山号「逢莱山」は神仙が住む島の名で、所謂「熊野三山」(現・和歌山県新宮市ほか)の異称でもある(秦の始皇帝の命を受けた徐福が辿り着いたのが熊野であるという伝説がある。)ことなどから、当寺院の鎮守として祀られたものとみられている。
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