河童松(かっぱまつ)。
場所:茨城県牛久市城中町2690-3(「小川芋銭記念館(雲魚亭)」の住所)。国道6号線「牛久市遠山町」交差点から牛久土浦バイパスに入り、約1.1kmで左折(西~北西へ)、約450mで左折(西へ)、約350mで「牛久市観光アヤメ園」(住所:牛久市城中町2831-2、駐車場あり。)。「小川芋銭記念館(雲魚亭)」にも駐車場があるが、道順がわかりにくく、道路も狭くなるので、上記駐車場から牛久沼畔(「牛久沼かっぱの小径」)を散策しながら行くことを推奨(ただし、台地上に上るので少しきつい。徒歩約15分)。
河童は全国区の妖怪で、茨城県内にもいくつか河童伝説が残る場所がある。現・茨城県小美玉市、日本で1社とされる河童を祀る「手接神社」(2019年2月9日記事)について既に書いた。こちらは梶無川という川の河童だったが、茨城県での河童の本場といえば牛久沼で、河童に教えられた秘薬、河童に相撲を挑まれる話、河童に尻子玉を抜かれて水難に遭う話、沼の近くを通った農民の籠から好物のキュウリを盗られる話など、多数の伝説がある。その中でも有名なのが「河童松」という話で、次のようなものである。「牛久沼の河童はいつも悪さばかりして、村人を困らせていた。そこで、力が強くて泳ぎも得意という百姓・彦右衛門が大変な格闘の末、河童を捕らえ、沼辺の大きな松の木に縛り付けた。炎天下に三日三晩晒された河童は、頭の皿の水を失って弱り、ついに命乞いを始めた。村人らは哀れに思い、二度と悪さをしないよう約束させ、許してやった。その後、河童は悪さをしなくなったばかりか、沼の邪魔な葦などの草を刈り取って掃除するようになった。」。この河童を縛り付けたという松の木を「河童松」と呼んでいたが、残念ながら昭和30年に枯死し、現在のものは2代目だという。
因みに、牛久沼の河童が広く知られるようになったのは、河童をこよなく愛し、数多くの河童の絵を残した日本画家・小川芋銭(おがわうせん)によるところが大きいと思われる。芋銭の住居兼アトリエであった「雲魚亭」は「小川芋銭記念館」となっており、芋銭の業績を称える河童の碑などもある。芋銭は、牛久藩の大目付の家に生まれたが、廃藩置県により牛久沼畔で農業を営みながら画業を続けたという。
写真1:「牛久市観光アヤメ園」の河童像
写真2:同上
写真3:牛久沼
写真4:牛久市指定文化財「河童の碑」(正式名称は「芋銭先生記念碑」)
写真5:牛久市の「市民の木No.41」に指定されたスダジイの巨樹。樹高約15m・樹幹周り約4m、樹齢推定400年という。
写真6:「改善一歩」石柱。大正11年、青年たちが道標を立てようとしたことを知った芋銭が石柱を寄付したもの。
写真7:芋銭のアトリエ「雲魚亭」
写真8:茨城県初の女性医師・石島ゑいが大正3年、現・茨城県土浦市に開業した産婦人科「土浦病院」(平成30年閉院)から移設された「女護不動尊」石碑。
写真9:「河童松」。「雲魚亭」前の牛久沼を見下ろす台地上にある。
写真10:牛久沼に注ぐ稲荷川河口に架かる三日月橋にも河童像がある。
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