神が宿るところ

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小野小町の腰掛石

2020-08-08 23:49:29 | 名石・奇岩・怪岩
小野小町の腰掛石(おののこまちのこしかけいし)。
場所:茨城県土浦市小野。茨城県道199号線(小野土浦線)「朝日トンネル南」交差点から北西へ約300m(次の交差点)で右折(北東へ)、約450m進んだところで左折(北西へ)、約200mで「小野の里」という観光施設(観光案内、土産物・農産品販売、そば処など)があり、駐車場がある。「小町の里」入口付近から、西側の道路を(小川を遡るように)北へ約280m。
小野小町は平安時代前期(9世紀)の女流歌人で、六歌仙の1人。「世界三大美女」の1人とも言われるように絶世の美人であったとされるが、肖像画などは残っておらず、あくまでも伝説である。ただし、教養があって、有名な「花の色は・・・」の歌からすれば、自らの美貌を意識していたとも取れるので、美人であったことを否定するものでもない。ただし、出自も最期も不明で、各地に生まれ故郷や墓がある。生まれは、従三位参議・小野篁の孫に当たり、出羽国郡司・小野良真の娘とする説が有名だが、これも確証はないらしい(秋田県湯沢町に遺跡とされるものが多い。「小野小町遺跡(小町堂)」2016年8月6日記事ほか参照)。晩年も不明だが、不遇のまま各地を放浪したとの伝説があって、各地に「小町の墓」と呼ばれるものが存在する。
ということで、茨城県土浦市小野にも「小町の墓」と伝えられる五輪塔がある。また地名も、朝日峠の南側が土浦市小野、 朝日峠を越えた北側が石岡市小野越として残っている。小町は、京都から故郷の奥州へ向かう途中、「清瀧観音」(前項「清瀧寺」)から「北向観音」(石岡市小野越)に向かってお参りした後、病に倒れた。 この地の一族の長、小野源兵衛宅に身を寄せていたが、元慶7年(883年)、69歳で亡くなったとされる。「小町の墓」は昔から婦人病に御利益があるとされ、「焙烙(ほうろく)」を奉納するならわしがあった。 また、参拝すると美人になるとの評判で、多くの参拝者があったという。現在は、個人宅の中にあるようで、参拝謝絶となっているとの情報がある(小生が訪問したときには特に謝絶とされていなかったが、参道途中にゴミが捨てられていたりして、参拝客のマナーの問題だったら残念だ。)。このため、「小町の里」の場所の案内は遠慮した。
「小野小町の腰掛石」は、小町が「北向観音」に参詣の際に、峠越えの途中で腰を掛けて休憩した石とされる。階段状になった石で、確かに面白い形をしている。管見ながら、三段になっているところが重要で、3枚の平たい石が積み重なったようにも見えるのが仏教用語の「三昧(さんまい)」(瞑想、精神集中などの意味)に通じる。あるいは「清瀧寺」の関係者が作り出した伝説かもしれない。


土浦市のHPから(小野の館)


写真1:「小野小町の腰掛石」入口。小川を渡る。


写真2:「小野小町の腰掛石」


写真3:「小野小町の墓」参道入口(門の左側)


写真4:「小野小町の墓」


写真5:同上、五輪塔。
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