備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム61.備前48ヶ寺再考(その3)

2008-10-11 18:49:51 | Weblog
同じ備前国でも、「神名帳」と「48ヶ寺」では分布がかなり異なる。

         神名帳        48ヶ寺
和気郡  |  9社( 7%) |  8寺(17%)
磐梨郡  | 18社(14%) |  3寺( 6%)
邑久郡  | 18社(14%) | 11寺(23%)
赤坂郡  | 29社(23%) |  8寺(17%)
上道郡  | 18社(14%) | 12寺(25%)
御野郡  | 11社( 9%) |  3寺( 6%)
津高郡  | 12社( 9%) |  3寺( 6%)
児島郡  | 11社( 9%) |  0寺( 0%)
小豆島郡 |  2社( 1%) |  0寺( 0%) 

まず、「48ヶ寺」のほうは児島郡・小豆島郡には1寺もない。また、和気郡、邑久郡、上道郡といった、備前国でも東南部に多くなっている。
「神名帳」のほうは、邑久郡、上道郡も少なくはないが、北部の赤坂郡・磐梨郡にかなり多い。特に赤坂郡は「鴨」系の神社が多いのだが、式内社は4社しかない(磐梨郡は、なんと0社)。
御野郡は、「神名帳」では11社で、少ないというほどではないが、必ずしも多くはない。しかし、11社のうち8社(73%)が式内社という高率である。「48ヶ寺」のほうは3寺と少ない。このあたりの選定割合をみると、(いつかは不明だが)選定当時の政治状況が少しわかる気がする。
例えば、「神名帳」選定時は、延喜式完成より時代が下り、式内社の庇護者が衰えたかわりに、赤坂郡を中心として「鴨」系の神を信奉する実力者がいたのだろう。「48ヶ寺」のほうは、山上伽藍と言いながら、実際には山麓近くに下りてきている例が多く、東南部の比較的豊かな地域にあって勢力を蓄え、領主との関係も良好であったことが窺われるのではないか。

写真は、報恩大師の墓との伝承がある「報恩大師供養塚」。瀬戸内市千手にある永倉山(報恩山)山頂にある。

瀬戸内市のHPから(弘法寺報恩大師供養塚):http://www.city.setouchi.lg.jp/history/list/093.html