備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム70.大神神社と備前車塚古墳

2008-10-20 22:46:37 | Weblog
「大神神社」(岡山市)の参道脇に不思議な道標がある(写真上)。何の変哲もない石柱だが、銘を見ると「大神神社へ北千三百米」「昭和二年五月吉日」などとある。何が不思議かというと、この写真に写っている交通標識のところ、低いブロック塀が見えるが、この中が「大神神社」境内なのである。道標から、距離は30mほどしかない。
「大神神社」はかつて、現在地の背後(北)にある「惣堂山」山上にあったという(「岡山市史」(昭和43年3月))。なお、「高島村史」(昭和12年8月)によれば、「社司の説に、古伊勢国なる鳥羽より鎮座せるものにして、今の社地より五町許りなる東北に、松山といふ所ありて之古の社地の跡なりと。」と記述されている。
写真上の道路を真っ直ぐ進むと階段があり、一段高いところにバスが通る広い道路に出る。そこの少し左(西)に「東が丘団地」バス停があり、「中央集会所」がある。ここが「竜ノ口八幡宮」に至るハイキング道の入り口になっている。そのハイキング道の途中に「備前車塚古墳」への道もある。上道郡の条里制の残る水田を見下ろす山(写真中)の頂上にある、この古墳が「大神神社」の旧社地かと思ったのだが、どうも違うようだ。ちなみに、「大神神社」からは800mほどの距離だが、かなりの急坂を登る。道標からハイキング道を1300m行くなら、「四御神奥池」あたりまで行ってしまう。
昔の小字の図をみると、古墳の下(南)あたりが「車塚」という地名で、その東が「惣堂」という地名となっている。一方、「松山」というのは、万治4年(1661年)の絵図「上道郡図」に照らし合わせると、ちょうど写真上の右上に写ってい山のようだ(「市営東ヶ丘団地」の白い建物が見えているところ)。絵図では、「松山」の東端に「イナリ」と記されており、これが現在の「正一位稲荷大明神」だろう。なお、「大神神社」の境内末社に「松尾御崎神社」があり、これは「大神神社」が創建される前の地主神であるというが、「松山」というのは、あるいはこれと関係があるのかもしれない。
いずれにしても、現社地から400~500mくらいであり(5町=約545mというのには概ね符合するか)、写真上の道標から「北へ1300m」というのは、どういうことなのかわからない。

なお、「コラム7.柿本神社・梨本神社」(2008年6月15日記事)では、「柿本」「梨本」の小字が東西に並んでいるように書いたが、条里制の地図などを参照すると、南北に少し離れているようだ。資料に基づくと、下記のHPによる推測が概ね正しいようである。

岡山市電子町内会、竜ノ口連合町内会のHPから(地名「四御神」の由来):http://townweb.e-okayamacity.jp/tatsunokuchi-r/yonzinja-yurai.htm



写真上:大神神社参道脇の道標


写真中:備前車塚古墳は、この山の山頂にある。


写真下:備前車塚古墳