同じ備前国でも、「神名帳」と「48ヶ寺」では分布がかなり異なる。
神名帳 48ヶ寺
和気郡 | 9社( 7%) | 8寺(17%)
磐梨郡 | 18社(14%) | 3寺( 6%)
邑久郡 | 18社(14%) | 11寺(23%)
赤坂郡 | 29社(23%) | 8寺(17%)
上道郡 | 18社(14%) | 12寺(25%)
御野郡 | 11社( 9%) | 3寺( 6%)
津高郡 | 12社( 9%) | 3寺( 6%)
児島郡 | 11社( 9%) | 0寺( 0%)
小豆島郡 | 2社( 1%) | 0寺( 0%)
まず、「48ヶ寺」のほうは児島郡・小豆島郡には1寺もない。また、和気郡、邑久郡、上道郡といった、備前国でも東南部に多くなっている。
「神名帳」のほうは、邑久郡、上道郡も少なくはないが、北部の赤坂郡・磐梨郡にかなり多い。特に赤坂郡は「鴨」系の神社が多いのだが、式内社は4社しかない(磐梨郡は、なんと0社)。
御野郡は、「神名帳」では11社で、少ないというほどではないが、必ずしも多くはない。しかし、11社のうち8社(73%)が式内社という高率である。「48ヶ寺」のほうは3寺と少ない。このあたりの選定割合をみると、(いつかは不明だが)選定当時の政治状況が少しわかる気がする。
例えば、「神名帳」選定時は、延喜式完成より時代が下り、式内社の庇護者が衰えたかわりに、赤坂郡を中心として「鴨」系の神を信奉する実力者がいたのだろう。「48ヶ寺」のほうは、山上伽藍と言いながら、実際には山麓近くに下りてきている例が多く、東南部の比較的豊かな地域にあって勢力を蓄え、領主との関係も良好であったことが窺われるのではないか。
写真は、報恩大師の墓との伝承がある「報恩大師供養塚」。瀬戸内市千手にある永倉山(報恩山)山頂にある。
瀬戸内市のHPから(弘法寺報恩大師供養塚):http://www.city.setouchi.lg.jp/history/list/093.html
神名帳 48ヶ寺
和気郡 | 9社( 7%) | 8寺(17%)
磐梨郡 | 18社(14%) | 3寺( 6%)
邑久郡 | 18社(14%) | 11寺(23%)
赤坂郡 | 29社(23%) | 8寺(17%)
上道郡 | 18社(14%) | 12寺(25%)
御野郡 | 11社( 9%) | 3寺( 6%)
津高郡 | 12社( 9%) | 3寺( 6%)
児島郡 | 11社( 9%) | 0寺( 0%)
小豆島郡 | 2社( 1%) | 0寺( 0%)
まず、「48ヶ寺」のほうは児島郡・小豆島郡には1寺もない。また、和気郡、邑久郡、上道郡といった、備前国でも東南部に多くなっている。
「神名帳」のほうは、邑久郡、上道郡も少なくはないが、北部の赤坂郡・磐梨郡にかなり多い。特に赤坂郡は「鴨」系の神社が多いのだが、式内社は4社しかない(磐梨郡は、なんと0社)。
御野郡は、「神名帳」では11社で、少ないというほどではないが、必ずしも多くはない。しかし、11社のうち8社(73%)が式内社という高率である。「48ヶ寺」のほうは3寺と少ない。このあたりの選定割合をみると、(いつかは不明だが)選定当時の政治状況が少しわかる気がする。
例えば、「神名帳」選定時は、延喜式完成より時代が下り、式内社の庇護者が衰えたかわりに、赤坂郡を中心として「鴨」系の神を信奉する実力者がいたのだろう。「48ヶ寺」のほうは、山上伽藍と言いながら、実際には山麓近くに下りてきている例が多く、東南部の比較的豊かな地域にあって勢力を蓄え、領主との関係も良好であったことが窺われるのではないか。
写真は、報恩大師の墓との伝承がある「報恩大師供養塚」。瀬戸内市千手にある永倉山(報恩山)山頂にある。
瀬戸内市のHPから(弘法寺報恩大師供養塚):http://www.city.setouchi.lg.jp/history/list/093.html
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