備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム59.備前48ヶ寺再考(その1)

2008-10-05 15:48:39 | Weblog
備前48ヶ寺開基とされる報恩は、一般に「報恩大師」と呼ばれるが、「大師」号を許されたのは最澄(伝教大師。767~822年)が最初なので、奈良時代の「報恩大師」は後世の通称であろう。15歳で日応寺に入り、三十歳から吉野山で修行して観音呪を修め、孝謙天皇の病気を加持祈祷により平癒させたことから、勅願を得て、生まれ故郷の備前国に48ヶ寺を開創したとされる。千手山弘法寺の向かい側「永倉山」山上には墓があるともいうが、これは供養塔であろうといわれている。大和国の伝承では、養老2年(718年)頃大和国で生まれ、天平4年(732年)頃出家して約15年興福寺で修行、その後吉野山に入ったとする。亡くなったのも、延暦14年(795年)に大和国子嶋山寺においてであるという。
このように、報恩大師が架空の人物とまでは言えないものの、半ば伝説的な人物であり、あるいは多数の僧の伝説が「報恩大師」の名で伝えられてきた可能性は高い。
次に、「備前48ヶ寺」ということにも、いろいろ疑問は多い。例えば、
①48ヶ寺のうちには、行基や鑑真など報恩大師以外の開基とする寺院も多い。
②48ヶ寺は本来、本尊はすべて(千手)観音だったとされるが、現在はもちろん、往古も必ずしも観音ではなかった寺院もあるようである。
③同様に、観音に因む数字は「33」(観音は衆生を救うため33の変化身で現れるという。)であり、「48」に関係が深いのは阿弥陀如来である(阿弥陀仏がまだ菩薩であったときに衆生を救うために立てた誓いが「四十八願」)。なぜ、「48ヶ寺」にしたのだろうか。
④報恩大師開基という寺院は他にも多く、例えば「法界院」(岡山市)、「妙教寺」(通称「最上稲荷」、岡山市)などといった大寺もある。選ばれた基準は何か。
⑤報恩大師開基とする寺院は、備前国だけでなく、備中国にもあるが、なぜ「備前」だけなのだろうか。

写真は、日蓮宗「大導山顕本寺」(岡山市北区芳賀2629)の境内にある「報恩大師産湯の井戸」。

顕本寺のHP:http://www2.oninet.ne.jp/namusan/