東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

パワースポット!西新井大師

2022-01-26 | 散歩

  西新井大師は平安時代の天長3年(826年)、弘法大師空海が
  この地を通過した際に創建されたと伝えられます。
  本堂は昭和の時代に一度焼失したけど再建され、
  境内には戦前からの堂宇がたくさん残されています。

 

   山門を入ってすぐ塩地蔵。
   江戸時代より特に"いぼ取り"に効果があると伝えられ、
   その功徳があったときには倍の塩をお返しします。

 

 

   六角観音堂。
   後方に大きなクスノキ(楠)があるけど露店の陰で、、、。

 

 

   三匝堂(さんそうどう)はサザエ堂。
   螺旋階段を一方通行でたどると最上階へ登り降りできる仏堂で、
   その通路沿いには仏像が配置され参拝することができる。
   明治17年に改造された際に内階段が外階段になったと言われるけど、
   現在は外階段も無い。足立区登録有形文化財。

 

 

   加持水の井戸(かじみずのいど)。
   空海がここを訪れたころ村人は疫病に苦しんでいた、
   空海が祈るとお堂の西から湧き水が溢れ出し、
   人々の疫病を癒していきました。
   西の方に新しい井戸が、、、西新井の地名の起こりです。

 

 

   「四国八十八箇所お砂踏み霊場」。
   一周するとお大師様のご利益と観音慈悲の功徳を受けられるという、
   ここには四国八十八箇所巡りの霊場と高野山の砂が敷き詰められています。

 

 

   弘法大師立像。
   お大師さまが四国行脚をした際の立像を見ることができます。

 

 

   池のほとりには弁天堂が。
   この池には滝がありその下でたくさんの鯉が泳いでいました。

 

 

   如意輪堂(女人堂)。
   西新井大師は「女性の厄除け祈願所」として栄えていました。
   今でも大本堂の裏には女性のためのお堂があり、
   女性の様々な願い事にご利益がある場所として多くの女性が訪れます。

 

 

   出世稲荷明神。
   西新井大師の鎮守としてまつられる「出世稲荷明神」。
   五穀豊穣の神である稲荷明神ですが、
   商売繁盛・出世運のパワースポットとしても知られています。

 

 

   大師線大師前駅、西新井駅からひと駅の単線
   駅を一歩出たらそこはもう西新井大師です、
   かつて大晦日には終夜運転をしていたけどコロナ禍などで
   寂しくなりました。
   縁日の日などはたくさんの人たちが利用しているようです。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月21日  西新井大師

          

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広い境内にはお店がいっぱい

2022-01-25 | 散歩

  これは年末以上かな、
  境内は露店だらけで地面に店を広げる人たちも。
  広い境内は知ってるはずだけど露店がびっしり並んで
  今どこなのか分からなくなってしまうことも。

 

   おもちゃ箱をそのまま持ってきたようなお店、
   なにがなんだか分からないここの縁日です。

 

 

   本堂から見下ろしてみました、
   ちょっとした隙間にもお店が。

 

 

   ガラクタ(失礼)から食べ物まで
   なんでも商売になる縁日。

 

 

   西新井大師と言えばダルマさん、
   参道にもたくさんあるけど境内にもたくさんのお店が。

 

 

   昔はもっとたくさんあったけど露店は少なくなってきた、
   だんだん買い求める人が少なくなったのでしょうね。

 

 

   ここは古着屋さん?
   お天気がよくてよかったね。

 

 

   ここはどこ?
   藤棚の下あたりらしいけど様子が一変してしまった。

 

 

   花屋さんもお店を広げています、
   私が東京へ出てきたころの境内は花屋さんでいっぱいだった。

 

 

   燦燦と日差しを浴びて福寿草が開きかかっています、
   今年初めて見た福寿草。

   明日は境内にある社とかを巡ってみたいと、
   せっかく来たのに縁日だけ見て帰るのは申し訳ない。
   歴史がある境内も見てみましょう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月21日  西新井大師

          

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初大師は混んでいた

2022-01-24 | 散歩

  21日は初大師、北風ビュ~ビュ~の中を行ってきました。
  「まん防」発令の中どうなるのかなと行く前に調べてみたけど
  マスク着用で普通通りにお詣りできるとか。
  マスクは慣れたけど「まん防」にも慣れたみたいで混んでいましたが。

 

   参道はまあまあかなと思っていたけど
   その向こうは混んでいるみたい、
   ここは気合を入れて。

 

 

   山門から境内を見るとやっぱりね、
   ま、初大師なので仕方ないか。

 

 

   「仁王さま、おめでとう」、
   また一年よろしくね。

 

 

   露店は規制したとあったけど年末の"終いの大師"と同じくらい、
   お店にとってはかきいれ時だもんね。

 

 

   風はあったけど空は真っ青で東京の冬の見本みたいなお天気、
   空の青いは七難隠す?、ありがたいと思いましょう。

 

 

   香炉の煙がもうもうと、
   風下で流れる煙を浴びている人もいましたが。

 

 

   本堂の階段も一方通行になっていました、
   これから午後にかけて人出は増えるのでしょうね。

 

 

   本堂から見下ろしてみました、
   まだ余裕があるみたい、11時ごろだったのでこれから増えるのでしょう。

 

 

   "終いの大師"で見たときは咲き出したばかりだった寒桜、
   ひと月経った今は満開になっていました。
   梅はどうかなと見てみたけどこちらはまだみたい、
   牡丹の手入れが行われていたので
   今度来るのは牡丹を見に来るときかな。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月21日  西新井大師

          

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北千住宿場町通り商店街

2022-01-23 | 散歩

  東北地方への交通の要衝である日光街道の
  江戸からの最初の宿場町が「千住宿」。
  幕末には1万人が住む江戸近郊の最大の宿場だったとか、
  今も活気あふれる北千住、その街並みを歩いてみましょう。

 

   とにかく派手な北千住の街。
   向こうの"千住ほんちょう商店街"から歩いてきたけど振り返って、
   アーケードに日の丸が掛かっていて名前が読めない。

 

 

   ね、宿場までしか読めない。
   それはともかく入ってすぐ宿場町には不似合いな派手なビル、
   ここだけだから笑って許しましょう。

 

 

   道の駅ならぬ街の駅。
   無料でお茶をいただけたり、トイレを貸してもらえるので
   休憩所として利用できるほか、スタッフさんから
   北千住の街歩きに役立つ情報を聞くこともできます。

   新着:新型コロナウイルス感染症の影響により、令和4年1月21日(金)から
   2月13日(日)まで休館となる模様。

 

 

   上を向いて歩こう。
   以前は奥州街道の宿場に関した絵が掲げられていたけど
   ちょうどこの日取り換えられていました。
   新しいのは全国の宿場みたいでしたが「武州千住」を選んで。

 

 

   横山家住宅(足立区登録有形民俗文化財)。
   江戸のころの伝馬屋敷(運送業)、
   上野戦争で新政府軍に敗れ敗走してきた彰義隊が
   切りつけた玄関の柱の傷跡や戦時中に焼夷弾が
   貫いた屋根なども残っており百数十年の歴史が残る。

 

 

   千住絵馬屋・吉田家。
   看板屋さんてとこかな、中には初午に飾る地口行灯などが見える。
   当代の絵馬師は八代目、先代からの独特の絵柄と
   その手法を踏襲し伝統を守り続けている。

 

 

   そしてこんなお店も残っています、
   江戸だけではなく昭和も残っている。

 

 

   歩いてきたところを振り返って。
   左にプチテラスというか児童公園も併設、
   ちょっとしたお休み処となっていますが。

 

 

   こんなオブジェもあります、
   遊んでいる子供たちを覗いているのかな。
   銀座の街角に同じようなオブジェがあります、
   しばらく行ってないので懐かしく思い出したり。

 

 

   千住大橋から旧日光街道を歩いてきました、
   このまま行くと荒川土手にぶつかります。
   荒川は明治に掘られた運河、
   江戸のころはなかったのでこのまま川口辺りまで歩いたのかな。

   街道は千住新橋を渡って私んちの近くを通ってさらに続きます、
   そしてそこには奥州街道の名残もたくさん見られます。
   気が向いたらまたその辺も訪ねてみたいですね。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月17日  北千住宿場町通り商店街

          

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芭蕉も歩いただろう奥州街道

2022-01-22 | 散歩

  旧日光街道はここからずっと伸びて
  私んちのすぐ近くを通っています。
  当時荒川はなかったのでずっと地続きだったんですね、
  今では橋を渡って行くのでちょっと異な感じですが。

 

   さて、旧道に入るとすぐに「千住宿奥の細道プチテラス」、
   この辺はどこを見ても芭蕉さんがいます、
   そして旧道であることを表す道標もいっぱい。

 

 

   それぞれに芭蕉さんの像とか似顔絵があって
   またそれがみんな違うのも面白いです。

 

 

   芭蕉さんの足元にも道標が、もちろん新しいものですが。
   奥州街道は昔からあったけど日光に東照宮が出来てから
   日光への通行が多くなったので日光街道と呼ばれるようになったとか。
   そして「街道」ではなく「道中」との表記もあったようです。

 

 

   ちょっと進んで「やっちゃ場の地」の碑。
   東京の青物市場はやっちゃ場と呼ばれたようです、
   競り市場の掛け声で、「やっちゃやっちゃ」と聞こえてくるところから
   「やっちゃ場」と呼ばれるようになった、とか。

 

 

   道路の向かいに当時の業者の配置図が。
   問屋、卸屋が道を挟んでびっしりと並んでいますが
   この中には今でも残っている店もあります。
   これがやがて今の足立市場になりました。

 

 

   今でも残っている店。
   NHKの「ふらっとあの街 旅ラン10キロ」でつるの剛士さん、
   ここのご主人に話を聞いたら、「おばあちゃんが子供のころは
   『人と荷車がいっぱいで午前中は道の向こう側にも行けなかった』と聞いた」とご主人の弁。
   まあ道も狭かったけど混雑していたみたいです。

 

 

   ちょっと進むと急に賑やかになります、
   現日光街道と並行しているけど
   あっちの方より賑やかみたい。

 

 

   この辺りの左側に閻魔さまのお寺がありますが。
   さらに進むと「宿場町通り」商店街に入ります、
   こっちはさらに混んでいて車と自転車と人の群れ、
   とても写真なんか撮ってる場合じゃないけど、撮ってきました。
   もう一回続きます、「旧日光街道を歩く旅」。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  1月17日  旧日光街道・やっちゃ場を歩く

          

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