東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

木母寺を見てみようかな

2019-07-19 | 風景
  木母寺は976年梅若丸を弔って塚(梅若塚)をつくり、
  脇に植えられた柳にちなんだ「梅柳山」の山号が与えられた。
  のちに梅の字の偏と旁を分けた現在の寺号「木母寺」とした、
  1976年、白髭防災団地を建設するために現在の地に移りました。


  

     起源は古くても建物自体はわりと最近作られた寺、
     ちょっとモダンな感じの寺ですね。
     ただこの"表札"が読みにくいことおびただしい。




  

     そして数メートル先にも門らしいものと梅若塚の石柱が。
     何かの行事のときにでも開けるのかな、開いたところは見たことないけど。




  

     この二階が本堂らしい、一階は住まいかな
     これでは気楽にお詣りは出来ないのでここのお詣りはパス。
     先ほどからあたりが暗くなってきました、心中穏やかではありませぬ。




  

     「梅若念仏堂」
     このお堂は梅若丸の母、妙亀大明神が梅若丸の死を悼んで
     墓の傍らにお堂を建設したものであるといわれています。
     総ガラス張り、写り込みが激しくどう撮れっちゅうの?、
     撮影者も写り込んでいます、右のぼんぼりの下あたり両肩が、これで写り込み"最小化"です。




  

     梅若念仏堂に並んで左に「梅若塚」。
     貞元元年(976)梅若丸が亡くなった場所に、
     僧の忠円阿闍梨が墓石(塚)を築き、柳の木を植えて供養した塚です。
     前のお寺の場所から移転したのでしょう、このあと前の場所にも行ってみます。




  

     絵馬はこのように子を思う母の姿や芸道上達を願う絵馬が多いようです。




  

     境内には「身代わり地蔵」。
     「辛いこと、苦しいこと、悲しいことがおこったら
     このお地蔵様に訴えて「身代わり」をお願いして
     あなた自身は元気を取り戻してください」と。




  

     「三遊塚」
     三遊亭円朝が先師初代円生追福のため明治22年に建てた碑です。
     題字は山岡鉄舟、銘文は高橋泥舟の書だそうで。




  

     天下之糸平の碑。
     高さ5m、幅3mを越す都内一の巨碑、
     明治の初め貿易で成功を収めた田中平八(通称天下の糸平)の石碑です。
     親交のあった政治家、伊藤博文の書とか。




               

               広重「江戸名所百景」木母寺内川御前栽畑

               明暦3年(1657)には木母寺の境内に将軍の別荘とも言える隅田川御殿が建てられ、
               歴代の将軍や京からの訪れも頻繁にあったらしい。
               タイトルに見える御前栽畑とは、その御殿付属の畑のことであると。

               ものはついで、という言葉があります。
               ついでに前に木母寺があった場所へ行ってみましょう、
               なに、自転車で数分ですから、、、それくらいの間なら空ももってくれるでしょう。

          data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4。 撮影 7月17日 向島・木母寺
          
コメント (4)
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