シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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サラサーテの小曲の魅力2

2015年07月21日 | ドイツ以外の音楽
写真はフィッシャー本人のフェイスブックなどから (https://de-de.facebook.com/julia.fischer.page)。
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スペインの往年のヴァイオリニスト・作曲家サラサーテの小曲集を見つけ 聴いてみましたが、これまた私の感性と一致したのか大いに気に入りました __ ドイツ人ヴァイオリニスト ユリア・フィッシャー Julia Fischer の弾くサラサーテ曲集です (2013年録音 DECCA)。

ヴァイオリニスト自身が書くライナーノート (LN ※追加1へ) を読むと、彼女自身が小さい頃 (9歳!) からサラサーテに興味を持って演奏しており、度々アンコール・ピースとして弾いていたらしい。 確かに 演奏会アンコールに時々出てくるらしい __

特に『バスク奇想曲』や『サパテアード』はよく演奏されるらしい __ ”らしい” というのは、私は実演でまだ一度も聴いたことはなく、YouTube にそれらのアンコール投稿映像が何本かあるからです。

CD はサラサーテ作品番号20から29までを 1曲を除いて網羅しており、こういう選曲はプロデューサーに勧められたからといっても出来ることではなく、本人の希望でしょう。 というのは、サラサーテ曲だけだと 人気曲ばかりでないから万人向けではない、当然売れ行きに影響するから CD 会社は企画しないと想像します。

演奏家の強い希望がないと受け入れないはずです。 除いた1曲はオーケストラが伴奏しないと弾けないから、これは本音だと思いますね (LN で確認できました)。

それは作品25の『カルメン幻想曲』で、ピアノ版が存在しないのでしょう __ と思ったら、保有 CD にカトリン・ショルツ (V) の弾くピアノ伴奏版 (冒頭写真小さなジャケットの真ん中) がありました。 作品25を構成する8つのうちの1つに J. ジンバリスト編曲とあったから、この人か誰か他の人によるピアノ伴奏版を使用しているのでしょう。

また 管弦楽版はレイラ・ジョセフォヴィッツ (V) の CD で聴けますが (同の上)、残念ながら 私は特に面白い編曲 演奏とは感じませんでした。
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フィッシャーの CD は __ スペイン舞曲 (作品26から2曲)、アラゴンのホタ (作品27)、アンダルシアのセレナーデ (作品28)、ナイチンゲールの歌 (作品29)、スペイン舞曲 (作品21から2曲 作品22から2曲 作品23から2曲 … この2曲目が『サパテアード』)、バスク奇想曲 (作品24)、ツィゴイネルワイゼン (作品20) の配列で収録されています。

作品番号順でない この配列がよく分からないのですが、最後の3曲が『サパテアード』『バスク奇想曲』『ツィゴイネルワイゼン』の有名曲となっており、どうやら演奏会と同じく 最後に盛り上がるよう CD 会社の編集者が配列したのではないかと想像しました。

普通 試聴する者は、CD をプレーヤーにかけて、そのままの収録曲順に聴くか、好きな曲だけピックアップして聴くのでしょうが、圧倒的に前者が多い。 すると いつのまにか終わるような配列よりは、印象の強い曲で盛り上がって終わる方が印象深く聴ける、こう編集者が考えても不思議ではありません。

最も有名で、最後に収録されている『ツィゴイネルワイゼン』を聴くと、他の多くの演奏より かなり抑制気味なのにすぐに気づきます。 イントロの後 “ポツン!” とピツィカートを弾 (はじ) くが、普通の演奏はこれをこれ見よがしに派手目に弾 (はじ) くのに対し、フィッシャーは ぽ つ ん とあまり大きな音を出さずに弾 (はじ) く。『ナイチンゲールの歌』でもフラジオレットを多用して “鳥のさえずり” らしい音を奏でるのも、曲として素晴らしい (かつ難しい)。

『サパテアード』『バスク奇想曲』などの難曲を、軽々と弾きこなすから ある意味 その大変なテクニックがよく味わえないまま弾き終わってしまい、唖然としてしまいましたね。 その難しさをわかってない人が聴いたら、フィッシャーの高度なテクニックを理解できないと想像します。

これ以外の曲をまだ詳細に聴いたわけではないが、派手目ではない 抑制されたテクニックで確実に弾 (ひ) く、これがフィッシャーの奏法のようです。 もちろん 南国、情熱の国 スペインの作曲家の作品だから、情熱的 ダイナミックな演奏があってもいい。

一方 アルプスの北国、情熱的とはあまり形容しない国 ドイツの演奏家だからなのか、このフィッシャーのような奏法も またいいのではないでしょうか。

色々な演奏表現があっていい。 そして聴き手は自分の感性にあった演奏を聴けばいい。 ユリア・フィッシャーのそれは正に私にピッタンコです。 このままだと、彼女の以前所属していた PentaTone 時代の録音 CD も買ってしまいそう ...

ブラームスのヴァイオリン協奏曲・ドッペルコンツェルトなど __ でもジャケットデザインがイマイチなんですよ (同下)。 その意味で DECCA のジャケットデザインはよくできていると思います。
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その DECCA の CD を取り出すと、裏表紙の裏 つまり透明な CD プラスチックケースの下に印刷されているのが、”ヴァイオリン本体だけ” の写真。 恐らく録音に使用した楽器なんでしょうが、楽器名も何も書いてない。 解説書にも書いてない。

彼女は、「2004年 1742年製 (1750改製) グァダニーニを購入、12年には現代ヴァイオリン製作者フィリップ・アウグスティンの2011年製を購入し、現在はそれらを使用している」(ウィキペディア) らしいから、そのどちらかでしょう。 CD 表紙ジャケットに映っていたのはオールド楽器のようだったから グァダニーニかも。

何も書かないが、ファンだったらご存知でしょう、というのも心憎い。 逆に書いてあると、これまた これ見よがしにも見えるというものです。 これもフィッシャーの奏法にも通ずるような気がするというのは考え過ぎ?

以上


※追加1_ ライナーノート『WHY SARASATE? なぜサラサーテか?』(Julia Fischer) の私の拙訳です __

なぜ この CD を録音したかったのか、なぜ サラサーテを数ある作曲家の中から選んだのか、訊かれて答えるのは難しい。 彼の音楽は単に平凡で技巧的だと人々はいう。 であるのに対し 私はもっと複雑なレパートリーを処理している。 一方で 私はコンサートでサラサーテを殆ど演奏しないとも人々は指摘する。 そう、なぜ サラサーテなのか?

最近までコンサートでサラサーテを滅多に弾かなかったのは事実だ。 弾いたのは、いつもアンコールが普通だった。 私のプログラムにもっと多く 彼の曲を含めるようにしたのは、ここ数ヶ月のことだ。

けれど これは私が彼の曲を長い間知らなかったということではない。 最初に彼の曲を学んだのは9歳、アナ・チュマチェンコ Ana Chumachenco 教授からで、『アンダルシアのロマンス』(作品22の第1曲) だった。 その時 彼の曲を本当に楽しんだ。 技巧的で技術を要したが、パガニーニのように事実上演奏不能ではなかった。 素晴らしいメロディーに溢れ、悲劇的な倍音もなかった。 そのあと 間もなく『サパテアード』(作品23の第2曲)、『カルメン幻想曲』(作品25) を学んだ。
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それから 私は十代に入り、練習は基礎的なものに変わり、”真面目な” “偉大なレパートリー” __ バッハ/モーツァルト/ベートーヴェン 他主要なヴァイオリン協奏曲やソナタ __ を益々弾くようになった。 私はリサイタルで技巧的な小品を避け、プログラムをソナタで埋め尽くした。

「コンサートの目的は聴衆を楽しませることではなく、人々に霊感を与えることだ。 娯楽の世界の一部としての舞台には行かず、芸術の世界の舞台には行く」と私はいったことがある。 なぜ クロスオーバーを拒否するのかと訊かれ、この発言を繰り返している。 クロスオーバーはクラシック音楽を人気にするとは思えない。

クラシック音楽には多くの娯楽小品があるからだ。 パガニーニ/クライスラー/サラサーテは、その時々 褒め讃えられたスターだった。 彼らは、芸術と娯楽を区別するとは考えていなかった。 不幸なことに 我々はこの伝統から遥かに引き離されてしまっている。 今日 我々は、真面目な音楽と軽い音楽を区別さえしている。
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これはいつも正当な論拠とはならなかった。 メニューイン/エルマン/ハイフェッツは、パガニーニ/クライスラー/サラサーテの作品をよく弾いた。 そうしたことで 芸術家としての彼らの真剣さを疑う者はいなかっただろう。 パールマンでさえ繰り返し弾いた__今でも弾いている__リサイタルで技巧的小品を。

今では 芸術家がアンコールで何か技巧的なものを弾くと、技巧の腕前を誇示したがると批評家は度々書く。 この CD のヴァイオリン・テクニックで興味を魅く積りは全くない。 というよりも__そして “なぜサラサーテか?” の質問への答えの一部として__これを制作する考えに私が感じた喜びと感激を分かち合いたいのだ。

2年前 私は友人とフェロー学生のルーデンス・トゥルク Rudens Turku とリサイタルに出演した時、プログラムには噂でしか知らなかった小品『マラゲーニャ』(作品21の第1曲) が含まれていた。 それは私が初めてコンサートで聴いたサラサーテだった。 最初の音符を聴いて圧倒されてしまった。 この素晴らしい曲の喚起する 何という雰囲気! 数小節で飛び跳ね、踊り、歌いたくなってしまった。
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このときの経験から、デッカ社にサラサーテ・アルバムを捧げるという提案をするのに時間はかからなかった。 20世紀前半に当然と考えられた このレパートリーを、私はコンサート向けに貯め込みたかった。

サラサーテの曲を調べて、『アンダルシアのセレナーデ』(作品28)『ナイチンゲールの歌』(作品29) などを 私は完璧に知らなかったことに躓いてしまった。 そして私は、彼が『カルメン』だけでなく、『魔弾の射手』や『魔笛』『運命の力』など 幾つかのオペラ・ファンタジーを書いていることを発見した。

私はこの CD を制作するにあたって、作品番号 20~29 の順に選ぶことにした __ オーケストラ伴奏を要する『カルメン幻想曲』(作品25) は飛ばすことにしたが。 それぞれの小品は、雰囲気とストーリーのある 小さな宝石だ。 ピアニストのチェルニャフスカ Milana Chernyavska と私は録音セッションの間中 有頂天で感情をかき立てられた。 この興奮の感覚が皆さんにも届けばいいのだが。
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“なぜサラサーテか?” への第二の答えは、より多くの人々がクラシック音楽にどうして興奮するのかと度々不思議に思うことと、私の観点から どうして真面目な音楽と軽い音楽を区別するに至るかということだ。

私が有効だと気が付いた唯一の区別は、良い音楽と悪い音楽の間にある。 良い音楽は私たちを刺激し、影響を与え、哲学的な思索さえ与える。 更に 喜びにも広がり、踊ったり歌ったりするほど元気付けてくれる。

多分 バッハ/モーツァルト/ベートーヴェンなどの傑作作品を始めることだけが、人々にクラシック音楽を紹介する道ではない。 この録音での作品群を仕上げる仕事は全てがとても短く (長くて8分ほど)、作品は練習や知識、説明を必要としないので、人々はすぐ身近なものに感じるだろう。

作品群は素晴らしい細密画で、スペイン舞曲を元に、複雑なことを要せずに明確な雰囲気を表現している。 興味深いことに、サラサーテの同時代人たちは明らかに とても深い尊敬を抱いていた。 その中の作曲家の、サンサーンス/ブルッフ/ラロなどは作品を彼に献呈した。

この録音の現実のサウンドが、彼が如何に堂々たるヴァイオリニストであり、音楽家であったかを詳細に実演するものと__。


(原文のドイツ語 “WARUM SARASATE?” の英訳文から和訳。「Schwer zu sagen, … 難しいって、いうのは」と始まる。 段落、大段落は私が勝手につけました)

以上

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