シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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なぜ 宮沢りえの写真集の記録が破られないか

2008年07月10日 | 世相あれやこれや
左から「サンタフェ Santa Fe」、「Angel」、「NUDITY」
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世の中にはアイドル写真集なるものが数多く出版され続けていますが、90年代に相次いで発売されたヌード写真集の記憶があります。 その発端は、91年に発売された 18歳の宮沢りえのヌード写真集「サンタフェ Santa Fe」でした。

そして 95年台湾出身の20歳のビビアン・スーの「Angel」、97年20歳の菅野美穂の「NUDITY」が発売されました。
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ウィキペディアから …「サンタフェ Santa Fe」(写真集) は、91年11月に朝日出版社から発売された宮沢りえの18歳当時のヌード写真集のことである。 撮影は篠山紀信。 宮沢が当時人気絶頂だったこともあって大ヒットし、150万部のベストセラーとなった。 日本における芸能人写真集の売上記録としては08年6月現在でも破られていない (※追加1へ続く)。
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「サンタフェ」以前の、日本人のヌード写真は、どちらかというと日陰の存在で、後ろめたいイメージがありました。 それらの殆どが、男性週刊誌もので、コッソリと見る類いのものでした。

しかし 明るい陽光のもとでの宮沢りえの天真爛漫な姿は、そのイメージを一気に打ち破り、米プレイボーイ誌のような、あっけらかんとしたものへと変身、これが日本人女性によるヌード写真のイメージの転換点でした。

これに刺激されたのか、続々とタレントによるヌード写真集が発売され、中にはオバサマタレントによるものまでが発売されましたが __ 誰だったのか記憶に残っていません。 私の印象では、これら写真集の発売で、宮沢は好印象を残しましたが、スーと菅野はそうではなかったと思います。
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人気のあるタレントなのに、更にヌード写真集まで出して、もっと人気を得ようとしたのでしょうか? 単にプロダクション側の説得に応じたのでしょうか? 私の考えでは、その違いはカメラマンの違いではないかと想像します。

「サンタフェ」を撮影した篠山紀信はそれ以前から、評判のカメラマンで、「週刊朝日」の表紙写真シリーズでも好評を取っていました。 その表紙のモデルからタレントになった人も大勢いますね。

想像では、カメラマンは撮影の前に「こういう映像を撮りたい」と、明確なイメージを持ち、それを被写体の人物に伝え、それに近いものをフィルムに収めるでしょう。 被写体の好き勝手なポーズを何百枚も取って、その中から何枚かを選択して発表するといったことはしないでしょう。

その意味で、篠山はタレントのイメージや品格を損なうことなく、更にいいものを掘り起こして シャッターを切ったといえるのではないでしょうか?

他の二人のカメラマンは、そうではなかったのでしょう。 難しいものですね、ただシャッターを押すだけでも。 ですから カメラマンは気分を出させるのがうまい人種と想像します __「いいねぇ そのポーズ、こうするともっといい表情になるよ、そうそう 最高の笑顔だよ、世界中の男が君のとりこになるよ」__ なんてね。
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菅野美穂の「NUDITY」が発売された頃 世の中はインターネットが登場したばかりで、社内では社員1人1人に配布されたノート PC を使って社内メールが飛び交い始める、そんな時代でした。

そこには私的なメールも多く飛び交い、中には “添付ファイル” と称して怪しい写真を添付・転送する困った輩 (やから) も少なからずいました。 そんな輩の一人が、「NUDITY」の中の1つの写真をスキャンして取り込み、それを添付して社内のあちこちに送りつけたらしいのです。

受け取った “ウケ狙い” の人が、私にも “おすそ分け” と称してその写真を送ってきたのです。 添付ファイルが何だったのか分からず、開いて菅野美穂の裸写真が画面いっぱいに広がってしまい、慌てて閉じた記憶がありますね。

送信者からの送付先を見ると、はす向かいの独身女性の名前があり、その人から別人へ転送され、「仕事が終わったら見てね」と文章が添えられていました。 う〜ん こういう写真の拡散は分単位で恐ろしく早いものだと感慨深く思ったものです。

以上


※追加1_ 発売当時はヘアヌード (陰毛を修正せずに写しているヌード) が日本では黙認されはじめたばかりであり、発売1ヶ月前に全国紙にヌード写真の入った全面広告が掲載されたこともあって、発売前から話題を呼び、社会現象ともなった。 その後 多数の女性芸能人がヘアヌード写真集を出したが、サンタフェはそのパイオニア的存在となり、「ヘアヌード解禁」への道筋を作った写真集であったと言える。

この写真集は91年6月に米ニューメキシコ州の古都・州都サンタフェ市で撮影された。 同市は芸術の町としても知られている。 タイトルにはその市名を冠している。 この写真集の表紙に使われた扉がとしまえんに運ばれ、展示されたことがある。
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ビビアン・スー (シュィ・ルオシュエン 1975) は、台湾出身の外国人タレントであり、マルチタレント。  現在は台湾を拠点に活動をしており、歌手、女優、だけではなく作詞活動など幅広く活動している。

1995年1月 台湾で出版した写真集「天使心」(陳文彬 撮影) の日本版「Angel」の発売、アイドル雑誌「BOMB」への掲載によって日本のメディアへ登場。「台湾の宮沢りえ」「台湾の裕木奈江」と称された。
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菅野美穂は、97年8月22日 20歳の誕生日にヘアヌード写真集 (「NUDITY」 ルー出版  撮影:宮澤正明) を発売、記者発表の席で泣いたこともあって話題となった。

「好きな人以外に肌を見せるのは嫌」と当時語っていた菅野だが、このヌード写真集製作のきっかけは、「女優として限界を感じていた。 今までやりたいことばかりしていたから、今度は一番やりたくないことをやってみようと思った」と語っている。 そうして一皮剥けた菅野は女優としてさらに飛躍し、現在の地位を固める。

以上

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