シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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誤爆か意図的空爆だったのか?

2014年08月23日 | アート/書籍/食事
写真は、米空軍の B-2 爆撃機と “Anti-American protests in Beijing, China, 1999”。
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1999年 ベオグラードの中華人民共和国大使館が NATO の航空機によって爆撃された事件があり、「誤爆」といわれて国際問題に発展したことがあります。 なぜ 今頃この15年も前の “誤爆” に興味を持ったかというと、読んでいた下記の本に載っていたからです。
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『東欧の解体 中欧の再生』(堀 武昭著/新潮選書 2000年刊) から__249ページ目 “中国大使館を襲ったミサイル” ~ 目標の位置から降下角度まで精密にセットされた五発のミサイルが、中国大使館めがけて打ち込まれ、建物の内部はほぼ全滅状態だった。 中国政府が激怒し、(中略) 時を経ずして米政府は「誤爆であった」旨の公式声明を出すと共に直ちに中国政府に謝罪した (※追加1へ)。
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著者は、続けてこう書いています __「ミサイルの一発は大使館地下を間違いなく狙って撃ち込まれている。 全フロアを嘗め尽くすような形で破壊されていることから、特殊な爆弾が使われたことは間違いない。 逆に、それはまた 大使館内で如何なる “秘密作業” を行っていたかを疑う要因にもなる」の “秘密作業” とは何だったのでしょうか?

さらに 261ページに、「イギリスの新聞『オブザーバー』が、NATO 幹部の証言として “ベルグラードの大使館誤爆事件は、同大使館がユーゴ軍のための無線中継を行っていたため、意図的に爆撃した、十分に練られた作戦だ”」と報じたとあります。
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“誤爆” も “意図的空爆” も、どちらもありうるのでしょう。 中国の “秘密作業” を処理するためには、“誤爆” を装った “意図的空爆” だった可能性は大いにありえます。 当時の日本のマスコミは、あまり突っ込んだ報道をしなかったように記憶しています。 つまり 一般の日本人は興味が薄かったということで、ニュースバリューが無かったということでしょうね。

私の推理はこうです __ 米 CIA は中国大使館がユーゴ軍のために情報提供を行っていることを掴み、これを阻止する作戦を練り始めました。

並行して NATO によるセルビア空爆 “アライド・フォース作戦” が進展し、CIA は中国大使館の情報提供を叩き潰す絶好の機会と捕え、ピンポイントで大使館情報提供部署を完全に処理する方策を米軍の爆撃メニューに加えました。

実際に空爆した NATO の米空軍は知らなかったのでしょう、”目標が中国大使館” だとは。

そして 発覚しても “誤爆” を装うこととし、CIA は上層部に あえて事前報告しませんでした。 中国政府に何度もいい訳しているうちに、米上層部も薄々気づき始めたが、米政府は “意図的空爆” を認めるわけにもいかない。

そうこうするうちに 中国政府もあまり強行に出ると、大使館がユーゴ軍に情報提供していたことが明らかになる恐れがあることに気づき、手打ちを模索し始め、半年後 これに乗った両国はお互い “顔をゆがませながら” 決着することにした …
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そして この本の誤爆に関する結論は、「たとえ それが事実だとしても、それ以外に NATO に何が出来たでしょうか」(スホツカ女史 ポーランドの政治家、法学者。 1992〜93年ポーランド共和国首相) ということになるのでしょうか?

また こうも書いています __ ”公式的にいえば、事実は永遠に闇の中に封じ込められたのだ” (263ページ) と。 また1つ、歴史が陽の目を見ることなく、秘密文書ファイルの奥深くにしまいこまれてしまったのでしょうか? 逆に考えると、そうした公にできない グレーな政治活動、軍事行動は掃いて捨てるほど、やまほどありますよといい換えることも可能でしょう。

何やら 映画『インディ・ジョーンズ 失われたアーク』の最後で、アークを箱詰めにして “最高機密” と記して封印、遠くが霞んで見えるような広大な倉庫の片隅にしまわれる場面を連想してしまいますね。

下記に “公になっている情報” も載せましたので、興味ある方は読んでみて下さい。 これによると、責任を取らされた米 CIA 中佐は “捨て駒” にされたといえるのでしょうか? 結局 この中佐は2009年に “殺人事件” で死亡していますから、また さらに謎が深まったといえますね。
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ウィキペディアから__ コソボ紛争は、バルカン半島南部のコソボで発生した2つの武力衝突 (1996~99年と1999年) を示す。 NATO によるセルビア空爆 “アライド・フォース作戦” は、1999年3~6月 最大で 1千機の航空機が作戦に参加した。 5月のはじめには、NATO の航空機が、ユーゴスラビア軍の輸送車隊と見誤ってアルバニア人難民の輸送車隊を攻撃し、50人ほどの死者を出した。 NATO は B-2 によってベオグラードの中華人民共和国大使館を JDAM 爆弾で攻撃し、3人の中国人ジャーナリストを殺害し、26人を負傷させた (※追加2へ)。
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※追加1_ (抜粋) _ 時を待たずして、アメリカは中国に対して誤爆の背景を詳細に説明すべく、大統領特使を中国に派遣した。 いわく、「地図に中国大使館を記載したものをアメリカは持っていなかった」「大使館のデータ集積でアメリカの政府関係者が何度も中国大使館を訪ね、情報を集めていたが、それが軍事データに反映されていなかった」「目標設定の審査でも過ちが見過ごされた」

案の定、中国政府を説得できなかったアメリカは次の手を打ち出し開き直った。 死亡した3人のうち2人はスパイだというのだ。 それだけでは十分でないと思ったのか、アメリカは今度はペンタゴンの連絡ミスだといい訳し始めたのだった。

次いで出てきたいい訳は、「戦闘機の派遣、軍需物資、戦闘部品の手当、ロケット弾の手配など全て3日作戦で進めてきたため、アメリカ及び NATO の参謀はパニック状態に陥ってしまった。 ここで古い地図が紛れ込んでしまったのだ」という。

始めから計画された大使館爆撃だが、米中両国ともこれ以上 自国の腹を探られたくないと感じたのであろう。 交渉は一気に進展し、アメリカは中国側の被害に見合った損害賠償金を支払うことで99年末に決着した。 
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※追加2_ これによって中国の世論は沸騰した。 当初 NATO は、「ユーゴスラビアの施設への攻撃であった」と主張した。 しかし 後に会議が開催され、アメリカ合衆国と NATO は誤りを認めて謝罪し、「CIA による地図が古かったことによる “誤爆” であった」とした。 この見解は、イギリスの新聞『オブザーバー』の記事 (1999年11月28日) や、デンマークの新聞『Politiken』から疑問が提示された。

それらの記事によると、「NATO は、中華人民共和国の大使館が、ユーゴスラビア軍の通信信号の中継 (“アーカン” と呼ばれる人物からセルビア人の暗殺部隊への情報通信) に使われていたことをアメリカ側が把握していたため、”意図的に” 大使館を狙って攻撃したのではないか」と主張されている。 この空爆によって NATO と中華人民共和国との間で関係が悪化し、北京にある西側諸国の大使館の周辺では攻撃的なデモが起こった。

なお 中国大使館を爆撃目標と指定したのは、米中央情報局中佐のウィリアム・J・ベネットであり、「誤爆」の責任を取らされて、2000年に CIA を解雇されている。

その後 2009年3月 ベネットが妻とともに公園を散歩していた際に、窓のない白い不審車両が公園に入って行き、激しい物音がした後に車が走り去るという出来事が発生した。 発見された時にはベネットはすでに死亡しており、妻も重傷を負っていた。

この殺人事件に関して、2009年4月に米誌『フォーリンポリシー』は、ベネットの過去の経歴が関係している「暗殺」であったと報じている。

以上

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