シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

平成の失言王

2013年08月02日 | 政治家 政治屋?
写真は、麻生 太郎衆議院議員。
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この議員は失言が多すぎる。 そのような人は議員として不適格で、早くお辞めになるべきであると思う。 もう72歳なんだから、引退して代わりに議員として相応しい人に代わってもらった方が、回りにも、日本にも、また世界にとっても、もちろん本人にもハッピーだ。 問題は、”本人がそのことをよく分かってない” ことだ。 麻生議員の失言は聞き飽きた。
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「麻生氏の発言要旨」(8月1日 時事通信) _ ※追加1へ
「韓国 : 麻生氏発言を批判」(7月31日 毎日新聞/共同)
「中国外務省、麻生氏発言を批判」(7月31日 日経)
「麻生副総理 ナチス発言、ドイツで批判」(8月1日 毎日新聞/ベルリン ※)

ウィキペディアから__ 麻生 太郎 (あそう たろう、1940~) は、日本の政治家、実業家。 衆議院議員 (11期)、副総理、財務大臣、金融担当大臣。_ ※追加2へ
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※記事の最後に「ドイツの DPA 通信は1日、『麻生氏は失言で知られている』と伝えた」とあるのには、つい笑ってしまった。 追加文でウィキペディアから失言例文を拾っているうちに、あまりにも多いので 取り上げるのにも飽きてしまった。 それほど多い。 この人には “表題” を称号としてお贈りしたい。 歴史には失言政治家として残るだろう。

政治家にならずに、実業家のままだったらこれほどマスコミは取り上げなかっただろう。 実業家であるだけなら、社員たちは「ああ また社長がおかしなことをいってるな」「また悪い癖が出た」「給料に響くから 黙って我慢して聞いてやるか」くらいで済むのだが、これが一国の首相や大臣 党要職にある人となると、それでは済まない。

だから 政治家は有権者の前で何度も発言して、何年も鍛えられ批判されて、議員としてはどう発言すべきか育つ。 党に所属すれば 党内での勉強会や党友との交流会で色々な例を聞かされて、何を注意すべきか、どうあるべきか理解していく (だろうと想像する__私は政党には所属したことはないので)。

この人は1979年から政界入りしているから、政界歴は34年にもなる。 けれど 発言の勉強はしなかったようですね。 海外留学経験があって、英語も流暢に話すようですが、その前に日本人として 日本語による発言をもっと勉強すべきですね__72歳でも遅すぎることはありません。 人生一生 勉強の連続です。 日々鍛えなければ、老化するだけです。

困るのは__取り巻きの連中だろう。 議員事務所、秘書、そして所属政党だ。 日本人の私も実は困っている。 もし外国人に、「彼の発言の真意は?」と聞かれたら、どう答えたらいいのだろう__「いやー あれは、そのー なんていうかねー 元々失言癖のある人だからね …」とかいって話しを濁すか、別の話題を持ち出して、早くこのトピックから逃れたいために 肩をすくめてしまうかの態度しかとれない。
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経歴を読んで想像すると、父は実業家、母は吉田茂元首相の三女というから、普通に考えると いわゆる “オボッチャマ”。 総理就任中は漢字の誤読が多く、学習院大学では本を読んでいたのだろうか?と疑いたくなってしまう。

恐らく 学生時代や実業家になってからのスピーチでも誰も指摘しなかったのだろう。 指摘されないから 本人も分からない、間違ったまま覚えてしまう、よくあること。 失言癖も同じ構造だろう__指摘されないから 本人も分からない、思ったことをそのまま口に出してしまう。 どこまで口に出したらいいか、イケナイのか、自覚しないままトシを取る。 繰り返しになりますが、日々鍛えること、これ以外に妙案はありません。

以上


※追加1_ 憲法改正も、護憲と叫んでいれば平和が来るなんて思ったら大間違いだし、改憲できたからといって世の中が全てうまくいく、(と考えるのは) 全然違う。 改憲は単なる手段で、目的は国家の安寧とわれわれの生命財産の保全だ。 この手段をどうやって現実的にするかというとき、狂騒の中で決めてほしくない。 よく落ち着いた世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。 そうしないと間違ったものになりかねない。
 
ドイツのヒトラーは民主主義によって議会で多数を握って出てきた。 ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下でヒトラーは出てきた。 憲法がよくてもそういうことがあり得ることは頭に入れておかないといけない。 憲法改正を静かに、きちんと考えてほしい。
 
靖国神社も静かに参拝すべきだ。 国民のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わないほうがおかしい。 いつから騒ぎになったのか。 マスコミ (のせい) だ。 騒がれたら中国も騒がざるを得ない。 韓国も騒ぐ。 だから静かにやろう。
 
憲法もある日気が付いたら、ワイマール憲法もいつの間にナチス憲法に変わっていた。 誰も気が付かないで変わった。 あの手口、学んだらどうかね。「いい憲法」「これは」とみんな納得してあの憲法は変わっているから。 僕は民主主義を否定するつもりも全くないが、重ねていうが、喧騒 (けんそう) の中で決めないでほしい。
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※追加2_ 内閣総理大臣 (第92代)、経済企画庁長官 (第53代)、経済財政政策担当大臣、総務大臣 (第3・4・5代)、外務大臣 (第137・138代)、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁 (第23代) などを歴任した。

本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。 口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。 べらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。 周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径 2メートルの男」とも呼ばれる。 一方で、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。

発言録__
「1979年の総選挙のとき、麻生は『日中貿易なんかやっても無駄。 中国はお金を持っていない。 代金を払ってくれないよ』と発言していた」「1983年の総選挙の時に、麻生は『平民の皆さん』と呼びかけた」(週刊新潮)

「衆議院選挙に初出馬した1979年、地元の飯塚市での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して『下々の皆さん』と呼びかけたという」(週刊現代)。 ただし この発言については、「実際には、飯塚市の下三緒 (しもみお) 地区における演説で『下三緒のみなさん』と発言した」という証言がある。

「年寄り代議士が何人か死ねばね」(当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対する応答/週刊現代 2008年)

「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年 高知県議選の応援演説にて、国が女性に参政権を与えていることを批判した/しんぶん赤旗)

「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。 安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。 麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した (2008年)

… この間の例があまりにも多いので割愛 …

「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。 さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。 しかも、政府のお金で (終末期医療を) やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。 さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した。 与野党から「TPO というものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された (2013年)

以上

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