シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

日本の半導体産業のピーク映像

2021年03月11日 | 電子産業は花形?
番組冒頭と、進行役2人の掛け合いの様子。
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30年前 1991年に放送された番組が YouTube に投稿されており、興味深い内容でした。
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電子立国 日本の自叙伝 ①(新・石器時代 ~驚異の半導体産業~ 60分)1月27日放送
電子立国 日本の自叙伝 ②(トランジスタの誕生 90分)3月24日
電子立国 日本の自叙伝 ③(石になった電気回路 90分)3月31日
電子立国 日本の自叙伝 ④(電卓戦争 90分)7月28日
電子立国 日本の自叙伝 ⑤(8ミリ角のコンピューター 70分) 8月25日
電子立国 日本の自叙伝 ⑥(ミクロン世界の技術大国 97分)9月29日 __ ※追加1へ
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1980~90年代は、ある意味 日本の半導体産業が世界の頂点だった時代です。 頂点だったという事は、今は頂点より “下の位置” にある意味でもあります。

半導体産業といっても メモリー ロジック ディスクリートなど様々な分野があり、当時 日本勢はメモリー 特に DRAM で世界1の出荷額を達成したのです。 しかし メモリー単価の浮き沈みは激しく、90年代半ばにはメモリー不況となり、以降は投資を絞らなかった韓国勢が世界1の座を維持し続けています。

1999年 日本の DRAM 勢はエルピーダ1社に統一され、孤軍奮闘の末 最終的には2013年 米マイクロン社に吸収され、マイクロンメモリジャパンとなり、工場は広島県にあるのみです。 以後 日本の DRAM メーカーはありません。

日本の DRAM 産業が米韓メーカーに敗北したのは、コスト差 つまり単価販売額で差があったといわれています。 日本製は高品質のためコストが高く、それに比べ米韓製はそこそこ品質のためコストが安く、市場で負けてしまったのです。

日本製は全ての電算機に使われても、ほぼ永久に不良品とならないよう品質を高く維持していましたから、当然コストが高くなります。 しかし 当時から PC 向け DRAM 需要先が最大となり、PC 向けパーツはせいぜい10年持てばいいとの判断から、米韓勢は高品質ではない 低コスト DRAM を量産し、日本勢に勝利したというわけです。
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また 多くの電子機器を製造していた日本の機器メーカー向けに、多くの半導体を供給していた日本の半導体メーカーは、お互いに持ちつ持たれつの関係だったのですが、段々と日本の機器メーカーは製造コストが安い海外の工場製造品か 海外の機器メーカーから調達して、自社ラベルを貼って販売するようになります (OEM といいます)。

すると それらに搭載する半導体は必ずしも日本製とはならなくなり、日本の半導体メーカーの販売先が縮小していきます。 販売が縮小すれば、巨額の設備投資もできなくなります。 悪いスパイラルに入ったのです。

日本の半導体メーカーは垂直統合型 (IDM) といって、設計から製造まで全てをほぼ自社内で行っていました。 米国では分業化が進み、設計に専念して 製造は低コストの台湾などの国外メーカーへ発注するケースが増えてきました。 今 米国内に残る IDM はインテルかマイクロン社くらいだろうといわれています。

一方で 最先端の微細 IC を作る資金力を持つ半導体メーカーは、今ではインテル・サムスン・TSMC 3社といわれ、中でも 台湾 TSMC が最も先を走るといわれています。 残念ながら 今の最先端半導体メーカーに、日本のメーカーは入っていません。 何千億円もの設備投資の負担ができないからです。

インテル社が開発した DRAM・ROM・CPU・周辺素子などをコピーして、本家よりも安価な製品を世に送り出してきた日本勢に対し、メモリー類の分野からは撤退しましたが、コピー CPU は裁判に訴えて排除し、PC 向け CPU はほぼインテル社が独占しました。

次々に類似製品を出されて市場から弾かれたファーストランナーのインテル社は、当然 面白いはずがありませんでした。 それが、次のノイスのインタビュー発言に繋がっています。



電子立国 日本の自叙伝 ⑥から ロバート・ノイス (1927~1990)。 左は40代と中央と右は60歳前後?
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最後の6回目 (https://www.youtube.com/watch?v=w3e7FYsrwvk) の番組最後に ノイスがインタビューに応じるシーンが出てきます。 この人は “米半導体の顔” で、フェアチャイルドセミコンダクター (1957年創業) とインテル (1968年) の共同創業者の1人ですが、インタビュー収録翌年に亡くなりました。

そこでは日本の技術に対する痛烈な批判が紹介されています __「日本人は美味しいところだけつまみ食いして、食べかすだけを残すという話しがありますね。 外国の新しい技術革新をまねして、それを改良する。 確かに半導体製品の製造技術では素晴らしい成果をあげてきました。 今や 日本はアメリカにとって非常に手強いライヴァルになった。 しかし一方 技術革新への貢献、新しい技術を発明する点は、まだまだアメリカに遅れをとっている」

私が取り上げたいのは __ 東芝に所属していた舛岡 富士雄氏が1980年台に発明したフラッシュメモリは、その後 容量を拡大し続け、今や HDD を脅かすほどの大きな存在になっています。 また 世界中のスマホ・カメラの目に採用されている CMOS イメージセンサ (撮像素子) はソニーの発明品ではないですが、ソニーが改良を重ね 画素数をどんどん拡大して量産し、市場の半分を独占しています。

そして 高輝度の青 LED が日亜化学工業によって製品化され、開発者の中村 修二氏が2014年にノーベル物理学賞を受賞しています。 青・赤・緑色の LED が揃って、高輝度白色 LED ができ、今では一般家庭の照明に使われるようになりました。
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もう1つ、何十年も前から 半導体露光装置の代わりに、印刷技術を使った半導体マスク転写装置が出てくると期待されていますが、これはまだ実現していません。 光学技術を使う露光装置の代わりに電子ビームを使った描画装置が実現するかと期待された時代もありましたが、これは実現しませんでした。 一筆書きのため 量産性で劣っていたからです。

まだまだ 多くの技術革新へのタネがあちこちで研究されていますが、それが世の中に出るには多くの壁が立ちはだかっているようです。

これからも あっと驚くような新製品が半導体市場に出てくる事を期待したいですね。
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最後に 私がノイスの講演に出席した時の話しを紹介します。 1973年だったと思います。 経団連会館のホールで、ノイスが CPU の市場について見通しを述べたものです。 当時は OHP はまだなく、壁に貼られた大きな紙のグラフをポインターで示しながら説明していました。

講演最後に 将来は CPU がこのグラフよりも もっともっと大きく伸びるよと、飛び上がってポインターでグラフ上の壁を嬉しそうにポーンと叩くのです。 いやぁ 何てうまいプレゼンをする人だろうとビックリしたものです。 いまだに この人以上のうまいプレゼンを見た事がありません。 (中央写真でウエハーをかざして満面の笑みの) 笑顔が張り付いた 歌手のアンディ・ウィリアムズのような 陽気なアメリカ人そのものでしたね。

今日はここまでです。


※追加1_ ① 新・石器時代 ~驚異の半導体産業~ __ ノルウェーで採取された珪石を精製し、現代エレクトロニクスを支える電子部品の材料となる高純度のシリコン・ウェハーを作る過程、そして、ウェハーに電子回路を焼き付けていく過程を、実際の DRAM 工場内部の製造ラインの映像を交えながら描く。

② トランジスタの誕生 __ ベル研究所でトランジスタが開発されて以降、量産に難航した点接触型トランジスタから、プレーナー型トランジスタへ移行するきっかけとなったエピソードの紹介、日本企業が量産に乗り出す際の苦心を描く。

③ 石になった電気回路 __ ジャック・キルビー、そしてロバート・ノイスが発明した集積回路を取り上げる。

④ 電卓戦争 __ カシオ計算機のリレー式計算機、シャープのトランジスタ式電卓、TI 社の電卓用1チップ LSI を使った電卓、カシオの「カシオミニ」を経て、トランジスタ式電卓が誕生し放映当時までの30年弱の間に、50万円を超えていた価格が 1000円前後まで下がり、机の半分ほどの面積を占有し 20~30kg もあった筐体がカードサイズになるまで安く・小さく、そして大量に生産される様になった様を追い、電卓の量産技術が確立するまでを描く。

⑤ 8ミリ角のコンピューター __ 電卓用 LSI の開発を契機として嶋正利らにより Intel 4004 などのマイクロコンピュータが誕生した様子と、その発達を描く。

⑥ ミクロン世界の技術大国 __ 半導体製品を支える、チップの切断機械 (ダイシングソー)、リードフレームの製造技術などの工業技術を取り上げる。 ディスコ・新川・ニコン・三井ハイテック等の企業が登場。 また 初回放送前に逝去したロバート・ノイスの葬儀の様子とインタビューが放送されている。


続編として新・電子立国が制作されている。 続編はソフトウェアの発達史であり、日本のみならず米国、そして世界のソフト業界も含めて紹介した。

以上

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