シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

えーっ そうだったのか

2009年11月13日 | 歴史をひも解いて
写真は最初のドミノを一突きするワレサ元ポーランド大統領。
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秘密文書の記事を読むと、「西側もドイツ再統一を望んでいない」などという記述が出てきて、今更ながらびっくりするというか、半ば呆れてしまいますね。
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「巨大ドミノ倒しで祝福 "20年前、自由への扉が開いた" とメルケル首相」(11月10日 産経新聞/ベルリン)_ ※追加1へ

「"壁" 崩壊20年 取り残される北東アジア」(11月8日 山陽新聞) _ ※追加2へ

「"独統一" 阻む英仏、民主化止められず 旧ソ連秘密文書が語る壁崩壊」(11月7日 産経新聞/ロンドン)_ ※追加3へ

「ソ連の不介入は誇り="ベルリンの壁" 崩壊でゴルバチョフ」(11月5日 時事通信/モスクワ)_ ※追加4へ
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「英/仏/ポーランドそして米国でさえ、再統一は望んでいない。 西側は将来、再統一したドイツとソ連が "陰謀" を企てる可能性をつぶすため、ソ連と西独を衝突させることを望んでいる」(ゴルバチョフソ連大統領)

「英国も西欧も再統一は望まない。 大戦後の国境の書き換えにつながる再統一は容認できない。 国際情勢を不安定化させ、われわれの安全保障を脅かすからだ」(サッチャー英首相)

「再統一を阻むため、自然災害での共同行動を装った仏ソ軍事同盟の可能性さえ検討している」(ミッテラン仏大統領)
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再統一したドイツが再び強大化して、欧州の安定を損なう存在になりかねないことを西側諸国が大きく懸念していたことは疑いないですね。 なにしろ、"過去に2度も世界大戦のひきがねを引いたドイツ" という前科がありますから。

これが世界の首脳たちの考える「あらゆる可能性を排除しない多くの厳然たるシミュレーションの1つ」かも知れません。

ポーランドは何度もドイツに攻め込まれ、フランスもナポレオン以後はドイツに戦争で負け続け、イギリスは第2次大戦でロンドン空襲に悩まされ、ソ連も独ソ不可侵条約 (1939年) を破って攻め込まれ、チェコはドイツ人居住地域の割譲を迫られ … と周辺の多くの国々はドイツに振り回されてきた歴史があります。

西独でさえ西欧随一の経済力があるのに 更に東独まで加わって一緒になったら、人口 8,000万 の巨大な国がその要求を肥大化させかねないと本気になって周辺国は心配したのでしょう__今のままでいいよ、分断国家という不安定な状態のドイツで、と。

同じ20年前 ルーマニアでは革命で失脚、革命軍に銃殺刑によって公開処刑された元書記長がいましたが、ドイツでは武力に頼らない平和的なデモ行進を繰り返すことで、周辺国首脳の思惑を越え 再統一を呼び込んだのは素晴しいことだったのですね。

以上


※追加1_ 東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊から20年を迎えた9日夜、ドイツ政府主催の記念式典「自由の祭典」が開かれた。 メルケル独首相や東欧民主化を進めたゴルバチョフ元ソ連大統領、ワレサ元ポーランド大統領、ベルリンを分割統治した米英仏とロシア (当時はソ連) の首脳らが出席。 壁崩壊をイメージした巨大ドミノ倒しが行われると、ブランデンブルク門周辺に集まった数万人から大きな歓声が上がった。

壁崩壊は、第2次世界大戦後に自由主義と共産主義の両陣営に分かれた世界秩序の終焉、ドイツ再統一と欧州統合、経済のグローバル化の加速をもたらすなど、世界の転換点となった。

式典にはクリントン米国務長官/ブラウン英首相/サルコジ仏大統領/メドベージェフ露大統領のほか、欧州連合 (EU) の首脳が勢ぞろいした。

冷たい雨が降る中、メルケル首相はブランデンブルク門前で「20年前、自由への扉が開いた。 人々を分断し、倒すことができないように見えた壁が崩れ、欧州が突然つながった。 私の人生にとって最も幸せな瞬間の1つ」と回顧した。

クリントン長官は「物理的な壁は壊されたが、まだ克服されねばならない壁は存在する」と述べ、「統一ドイツに旧東独育ちの女性首相が、同盟国の米国でアフリカ系の大統領が誕生すると思った人はほとんどいなかった。 人類の運命は人類によって作られる」と語るオバマ米大統領のビデオメッセージを紹介した。

冷戦終結の立役者であるゴルバチョフは「私とコール元西独首相の洞察力をもってしても、あんなに早く壁が崩れるとは思わなかった」と振り返った。

壁の跡に全長 1.5km にわたって並べられた発泡スチロール製の巨大ドミノがワレサの音頭で倒されると、沿道を埋めた市民が歓声を上げて壁崩壊を祝福した。
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※追加2_ 東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が1989年11月9日に崩壊した。 あれから20年になる。

「ベルリンの壁」は、第2次大戦の敗戦国ドイツが米国、ソ連など戦勝国によって東西に分割され、ベルリン市街にも厚い壁が築かれた。 ソ連など東側陣営と、米国など西側陣営の最前線となった。 壁崩壊の翌年、ドイツが統一した。
 
壁崩壊後、中東欧諸国に民主化が広がり、欧州連合 (EU) への加盟が加速していく。 分断と憎悪がはびこっていた欧州は統合が進み、今年12月1日には EU 大統領などを設けて国際影響力強化を目指す EU の新基本条約、リスボン条約が発効されるまでに深化した。「一つの欧州」への歩みは確かだ。
 
オバマ米大統領の登場で、米国は圧倒的な軍事力と経済力を背景にあつれきを生んでいたブッシュ前政権の単独行動主義から脱却し、対話と協調を重視するようになった。「敵との対話を恐れるべきではない」というオバマ大統領の主張を、国際社会は歓迎している。
 
世界の変化は激しい。 だが、北東アジアを見ると、朝鮮半島はいまだに分断されたままで、冷戦構造が残っている。 世界の動きから取り残され、深刻な現状が続く。
 
北朝鮮の非核化を実現し、北東アジアに安定と平和を築かなければならない。 鳩山政権は、米国と対等な同盟を提唱し、東アジア共同体構想を掲げる。 従来、米追随だと批判されてきた日米関係を見直し、多極的で、主体的な外交への意欲がうかがえる。 問題は、実現への具体策がなかなかみえてこないことだ。 北朝鮮問題に対しても、積極的な取り組みの動きが伝わらない。 世界の新しい秩序構築に、日本のかかわりが重要だ。
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※追加3_「いっそ壁を我々の手で壊したらどうだ」「西側はドイツ再統一を望んでいない。 ソ連を動かして阻止しようとしている」

東西ドイツを分断していたベルリンの壁が1989年11月9日に崩壊する直前、ゴルバチョフら当時のソ連指導部が東独で高まる民主化要求に圧倒される様子が旧ソ連機密文書で明らかになった。 英仏首脳は再統一を阻むため極秘裏にゴルバチョフに働きかけたが、"ドイツ国民" の自由と再統一への希求を封じ込めることはできなかった (肩書きなどは当時)。

機密文書は、ソ連書記長、最高会議議長、初代大統領を務めたゴルバチョフの各国首脳との会談、ソ連指導部の会議内容を記録したもので推定5万ページ、ドイツ関連だけでも1300ページに及ぶ。 ソ連が崩壊した91年末、同氏がゴルバチョフ財団に移した。 同財団で研究していたロシア人学生パベル・ストロイロフ (26) がひそかに複写して英国に持ち込んだ。

同文書やストロイロフによると、東独で「自由選挙・旅行の自由」を求める「月曜デモ」が20万〜50万人に達したのを受け、ホーネッカーに代わって国家評議会議長に選ばれたクレンツが89年11月1日、モスクワを訪れた。 ゴルバチョフ最高会議議長と対応を協議するためだ。

ゴルバチョフは「英、仏、ポーランド、そして米国でさえ、再統一は望んでいないことを肝に銘じなければならない。 西側は北大西洋条約機構 (NATO) とワルシャワ条約機構の解体を求めていない。 われわれは2つのドイツを前提にすべきだ」と説いた。

クレンツは暴力的衝突という最悪の事態を避けつつ東独国民の要求に応える方法として、「クリスマスまでに旅行の自由を認める法律を人民議会で成立させる」と報告した。

しかし事態は両首脳の想像をはるかに上回るスピードで進んだ。 協議から2日後の3日、ソ連政治局で会議が開かれた。 翌4日には東独で史上最大のデモが予定されていた。

ソ連国家保安委員会 (KGB) のクリュチコフ議長が「明日、東ベルリンと他都市の街頭に50万人が繰り出す」と状況を報告した。

ゴルバチョフが「もし東独を失ったらわが国民に説明がつかない。 東独を維持するには西独が必要だ」と漏らすと、シェワルナゼ外相が「いっそ我々の手で壁を壊したらどうだ」とまで提案した。

この発言の真意は不明だが、「旅行の自由」を認めれば、壁は無用の長物と化すのでソ連が自ら取り壊した方が東欧諸国の大衆の支持を得られると判断したためとみられる。

クリュチコフ「壁を壊したら東独は窮地に追い込まれる」

ゴルバチョフ「西側は将来、再統一したドイツとソ連が "陰謀" を企てる可能性をつぶすため、ソ連と西独を衝突させることを望んでいる。 われわれは包み隠さず西独と東独の三角形で交渉を進めよう」

4日、東独のデモ参加者は100万人以上に達し、9日「旅行の自由」が発表され壁は事実上崩壊する。

「最後の冷戦戦士」と呼ばれたサッチャー英首相も再統一に反対していた。 機密文書によると、サッチャーは89年9月23日、モスクワでゴルバチョフと会談した際、記録に残さないよう念を押して、こう語った。

「英国も西欧も再統一は望まない。 大戦後の国境の書き換えにつながる再統一は容認できない。 国際情勢を不安定化させ、われわれの安全保障を脅かすからだ」

さらに「われわれは東欧の非共産化に介入し、後押しするつもりはない。 米大統領も同じ立場だ」と、東欧諸国の共産主義体制維持にお墨付きまで与えていた。

また、ミッテラン仏大統領は特別補佐官のアタリを通じてソ連側に、再統一を阻むため、自然災害での共同行動を装った仏ソ軍事同盟の可能性さえ検討していると伝えていた。 文書は市民の自由の追求を後押しすることより、地政学的バランスを優先させる首脳らの姿を映し出している。
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※追加4_ ゴルバチョフ元ソ連大統領は5日、1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊20周年を記念してモスクワで開催された国際会議で、当時のゴルバチョフ・ソ連政権が壁の崩壊を阻止するための介入を行わなかったことについて、「誇ることができる」と述べ、正しい判断だったと強調した。
 
ゴルバチョフ氏は、89年6月にコール西独首相 (当時) と会談した際、ドイツ統一は21世紀の問題だと思っていたが、「その数カ月後には壁が崩壊した」と語り、自らの予想をはるかに上回るスピードで事態が進行したと振り返った。

以上

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