シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

もう20年も経ったのか

2009年11月11日 | 歴史をひも解いて
19世紀のドイツ統一 (1871年) は戦争の勝利で成し遂げられました。  20世紀のドイツ統一は平和裡に成し遂げられました。 なぜそのようなことが可能だったのでしょうか?
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「ドミノ倒しで壁崩壊20周年祝う 各国首脳ベルリン集結」(11月10日 朝日新聞/ベルリン)_ ※追加1へ

「巨大ドミノ倒しで祝賀=壁崩壊20年」(11月9日 時事通信)_ ※追加2へ

「ベルリンの壁崩壊から20年で記念式典、米独ソの元首脳が出席」(11月1日 ロイター)_ ※追加3へ
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
百年経って、人間は進歩したものだとつくづく思いますね。 しかし、その他の世界の様々の地域では今も戦争が繰り返されています。

私は、最も大きな役割を果たしたのは、東側体制の頂点にあった当時のソ連の「ゴルバチョフ元大統領」だと思いますね。

彼が従来の東側体制を堅持しようと、チェコ事件 (1968年) の時のようにソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍を介入させたら、 20世紀のドイツ統一は実現しなかったでしょう。

なぜソ連は30年前のように動かなかったのか? その理由は山ほどあると思いますが、その中で最も大きな理由は「経済問題」だったと想像します。
………………………………………………………
東側体制の国々は、体制維持のために膨大な「軍隊/警察/諜報組織」を使っていました。 大多数の国民はそれを望んでいないのに、強権政治で国民の頭を押さえ、体制に反抗しないように警察力を強化していました。

また、反体制の動きの芽を摘もうと 旧東独は数人に1人といわれるスパイ組織も維持していました__シュタージ (後述) といわれる悪名高い組織です。 ドイツはスパイ活動では有名で、”ゲシュタポ” (戦前の秘密警察) や戦前の日本で暗躍した “ゾルゲ” などが出ています。
………………………………………………………
第一次大戦で、英国が戦費を調達できたのは、ロスチャイルド銀行が資金を貸したからともいわれるくらい 戦争にはお金がかかります。 日本も日露戦争 (1904年) では、外債を発行して戦費を調達しました。

ヴェトナムは先の戦争で米軍を追い出し (1975年)、南北を統一しましたが (76年)、その後何十年も国際経済には復帰できませんでした__米国に疎まれたのがその最大の理由といわれます。 95年クリントン米大統領が外交関係樹立を発表、アメリカと和解してからじゃないでしょうか? ヴェトナムが国際経済に大手を振って登場したのは。
………………………………………………………
統一したドイツは旧東独の復興に 1兆ユーロ (130兆円) も費やしたそうですが、それでも戦争で人命をなくし、瓦礫の山から再建するより遥かに良かったことはいうまでもありません。

過去に2度も世界大戦のひきがねを引いたドイツは、これ以上 国としての威信を落として 戦争をすることはできなかったのでしょう。
………………………………………………………
国際間の紛争解決に軍隊を動かして「力づく」で解決しようとすると、必ずウラミが残り、あとあと復讐戦が起きないとも限りません。

ユーゴ紛争 (1991〜2000年) の時は、ドイツも参加する NATO や国際連合の介入により紛争は収められました。 03年から始まったイラク戦争には、ドイツはフランスと共に最後まで反対、米国のウラミを買いましたが、今では米国も恨んだことを後悔しているのじゃないでしょうか?

ドイツは戦後 半世紀近くも分断国家を経験しただけ、国際紛争には一歩先を行っているのかも知れません。 翻って、日本はどうなのでしょうか?

私は米国の核のかさの中に入ったせいで、考えることを止めてしまったんじゃないかと思います__ブッシュさんが始めたイラク戦争に真っ先に賛成した小泉元首相がいい例です。 ではどうすべきだったのか? それを事前に多くの人達が考えておくことが重要です、首相個人の判断にまかせるのではなく。

以上


※追加1_ 東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊してから20周年となった9日、欧州連合 (EU) や米国、ロシアなど約30の国と地域の首脳らが参加した独政府など主催の記念行事「自由への祭典」があった。
 
分断の象徴の一つ、ベルリン中心部のブランデンブルク門であった式典は、壁崩壊当日にベルリンでオペラの収録をしていたという世界的な指揮者、ダニエル・バレンボイム氏の率いるベルリン国立歌劇場の管弦楽団がワーグナーの「ローエングリン」第3幕への前奏曲などを演奏して、幕開けした。
 
式典の目玉は、かつての壁に沿って 1.5km にわたり並べられた約1,000個のドミノ倒し。 高さ 2.5m の発泡スチロール製で、世界各国の人々 1.5万人 が色とりどりのデザインを施した。 ドイツに先立って民主化を始めたポーランドのワレサ元大統領が午後8時半過ぎ、1つを押すと、1.5m おきに並べられたドミノが順番に倒れ、雨の中を集まった市民らから歓声が上がった。

式典では戦後の分断ベルリンに駐留していた仏英米とロシアの首脳らがあいさつ。
 
メドベージェフ・ロシア大統領は「壁崩壊は家族を統一に導き、鉄のカーテンと国境を取り除いた。 今日、世界にソ連も東ドイツも存在なしない」と語り、ブラウン英首相は「二つのベルリンは1つに。 2つのドイツも1つに。 2つの欧州も1つになった」と、壁崩壊20周年を祝った。 サルコジ仏大統領は「壁崩壊は世界各地で地域や人々を隔てている壁を崩せと我々に呼びかけている」と話した。
 
式典には欠席したがオバマ米大統領はビデオメッセージで「自由への活動は終えてはならない」と話し、メルケル首相は「自由なくして民主主義はあり得ず、多様性や寛容もなく、欧州の統一もない」と話し、20年前の壁崩壊の意味を力強く語った。
………………………………………………………
※追加2_ ベルリンの壁崩壊から20年を迎えるドイツ・ベルリンの名所ブランデンブルク門。 祝賀行事「自由の祭典」の目玉となるのは、壁の崩壊をイメージした巨大ドミノ倒し。 写真手前に巨大ドミノが並んでいる。………………………………………………………
※追加3_ 10月31日、東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」崩壊から20年を迎えるのを前に、コール元独首相(右)とブッシュ元米大統領(中央)、ゴルバチョフ元ソ連大統領(左)が出席して記念式典が開催された。
………………………………………………………
ウィキペディアから _ シュタージ (Stasi) とは、東ドイツ (ドイツ民主共和国) の秘密警察・諜報機関である国家保安省(Ministerium fuer Staatssicherheit) の通称である。 英語の「state security」に相当するドイツ語の「Staatssicherheit」の太文字部分を読んで 「Stasi」 と呼ばれた。 徹底した監視態勢で東ドイツ国民を震え上がらせるばかりでなく、西ドイツにもスパイを送り込み、東西両ドイツ国民から恐れられた。

以上

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。