外国の小説を読んでいると、有名な詩が引用されることが多い。あるいは、主人公が詩を暗唱することがある。また、詩の朗読会が紹介される。
かつて、漢詩には造詣の深い人がいたし、その知識が教養でもあった。しかし、今の日本では、いわゆる“詩”を引用することは少ない。外国の文化とは違うと思ったが、日本ほど詩人の多い国はないだろう。
“詩”というと、漢詩や現代詩、歌詞・・いわゆる詩人の作品を指すかもしれない。しかし、和歌、俳句、川柳、狂歌も詩の一種である。その作者は、広義の詩人だろう。
和歌や俳句の同人誌は数多い。新聞にも、その投稿欄がある。寡聞だが、外国の新聞に詩の投稿欄があるだろうか。
しかも、万葉集や歌集となると、1000年もの歴史がある。しかも、そのころから詩人だけでなく、一般人も詠んだ。漢学の盛んな時代には、漢詩にもチャレンジする人も多かった。
西欧流の詩人の作を唱え、引用はしないが、和歌、俳句では多くの有名な作品が身に付いている。
また、上手下手は別として、和歌、俳句などをひねった経験は多くの人にある。詩のセンスに関しては、世界に冠たる歴史があり、現在がある。
一つには、自然を友としてきた、文化、民族性もあるだろう。このような文化、感性は世界に誇れるものである。大切にしたい。
(続く)
かつて、漢詩には造詣の深い人がいたし、その知識が教養でもあった。しかし、今の日本では、いわゆる“詩”を引用することは少ない。外国の文化とは違うと思ったが、日本ほど詩人の多い国はないだろう。
“詩”というと、漢詩や現代詩、歌詞・・いわゆる詩人の作品を指すかもしれない。しかし、和歌、俳句、川柳、狂歌も詩の一種である。その作者は、広義の詩人だろう。
和歌や俳句の同人誌は数多い。新聞にも、その投稿欄がある。寡聞だが、外国の新聞に詩の投稿欄があるだろうか。
しかも、万葉集や歌集となると、1000年もの歴史がある。しかも、そのころから詩人だけでなく、一般人も詠んだ。漢学の盛んな時代には、漢詩にもチャレンジする人も多かった。
西欧流の詩人の作を唱え、引用はしないが、和歌、俳句では多くの有名な作品が身に付いている。
また、上手下手は別として、和歌、俳句などをひねった経験は多くの人にある。詩のセンスに関しては、世界に冠たる歴史があり、現在がある。
一つには、自然を友としてきた、文化、民族性もあるだろう。このような文化、感性は世界に誇れるものである。大切にしたい。
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