goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

ノーベル賞 受賞者の泊まるホテルに泊まった(ストックホルム) ホテル8

2008-12-07 11:56:52 | 外国-旅
ノーベル物理学賞、化学賞の授賞式がまもなく開かれます。益川敏英 京都産業大教授、小林誠高エネルギー加速器研究機構名誉教授、下村脩 元ウッズホール海洋研究所上席研究員の、ストックホルムにおける行動が報じられます。

何回も訪れている街なので、思い出の場所が紹介されます。宿泊のホテルが、古くて格式のあるグランドホテルとのことです。客室が紹介されましたが、格調の高い、広い部屋です。

ストックホルムでは、5つのホテルに泊まりました。滞在を延長したら、フルシーズンで、延長も他のホテルもとれないことがありました。朝、当日限りの宿泊を斡旋するオフィスに並び、小さなホテルを確保したこともあります。

夫婦で訪れたとき、グランドホテルを奮発しました(1995年)。3万円くらいだったでしょう。場所は、湾内の観光船発着所の前で、眺望も便利もいいホテルです。

ただ、安い部屋だったので、裏通りを眺めるだけでした。レストランのキャパシティも小さく、予約が取りにくかった記憶があります。
このホテルについては、18-Apr-2008でもとりあげました。


大学は温室風 トロンハイム(ノルウェイ) 大学 5

2008-12-03 11:49:58 | 外国-旅
北極圏に近いトロンハイムは、かつて首都が置かれたこともあります。戴冠式は、ここのニダロス大聖堂で開かれます。古い建物の多い、フィヨルドに面した街です。

トロンハイム工科大学で学会が開かれ、この街にしばらく滞在しました(1995年)。他では見なかったのは、建物間がガラスで覆われ、温室の中に校舎があるような構造です。写真は建物間のロビー風空間で、ポスターセッション開かれて居る様子です。

バンケットなどが行われた、トロンハイム大学も同じ構造でした。また、泊まったロイヤル ガーデンホテルは、4棟の建物が温室の中にある構造です(2008年4月20日の記事ホテル7で紹介)。

他では、このような建て方を見たことがありません。太陽の光を待ちわびる北の国、寒い国だから発案されたものでしょう。

王立工科大学(スエーデン)に滞在したことがあります 大学4

2008-12-02 11:37:11 | 外国-旅
スエーデンの王立工科大学は、ストックホルムにあります。ここに、世界的に有名な音声科学の教授が居るので、彼を核とした音声・音楽音響学科があります。

専門分野なので、何度か訪ねました。2週間滞在したこともあります(1984年)。おかげで、ヨーロッパの大学の、学科の様子がよくわかりました。

教授は2人です。それを支えるスタッフが数十人になります。パートや兼務の研究者もいます。外国からの客員研究者も10人程度でしょうか。大学院生は10人あまりです。

多くのファンドから研究資金を集め、基礎研究が中心です。ただ、研究成果を装置や、ソフトの形で市販するベンチャーとの連携もあります。

うらやましかったのは、キッチン付きの談話室です。ゼミなども開かれます。数十人のキャパシティがあり、簡単な食事ができます。また、コーヒーがあり、お茶の時間には手の空いた人が集まります。ゲストは食事が無料でした。

昼食時、お茶の時間には、雑談もしますが、研究上の議論も盛んでした。私も自分の仕事を話したり、“座禅の意味、組み方”を紹介しました。
多くの国、分野の研究者の集まっている組織として、非常にうらやましく感じました。
写真左側がこの学科です。前回の大学は、ハーバード大(10月26日)です。

セントローレンス河の日の出 ケベック2 街歩き 22

2008-11-25 13:21:42 | 外国-旅
ケベックの街歩きは、セントローレンス河を望む、ホテル シャトウ・フロントナック前のウッドデッキからの展望でした。休んでいる人、展望を楽しんで居る人が多く、河には大型の観光船が停泊していました。

朝、早めに起きて、このデッキから日の出を見ました。河の向こうからの日の出はなかなかのものです。久しぶりに日の出を見ました。それに、夕方と違い、他の人は誰もいないので、太陽を独占しました。(2008年9月)

ケベックはまた行って見たい1-昔の商店街- 街歩き 21

2008-11-24 11:04:40 | 外国-旅
昨23日の、NHK“世界の街歩き”はケベックでした。2年前になりますが、番組でも紹介されたホテル、シャトウ・フロントナックに泊まり、観光しました。セントローレンス河の風景、ロワータウンの古い町並みと、家々は印象深いものがあります。

昨夜の番組の風景は、大半が記憶にあるものでした。ただ、新知識もあり、もう一度行くと、実りの多いものになりそうです。

街の人とのインタービューは、すべてフランス語でした。また、ケベックの歴史に、誇りを持っていることが感じられました。

写真は、北米最古の商店街、ロワータウンのプチシャンプレーンの通りです。

なお、ケベックについては“街歩き6(1月10日、2008年)”、だまし絵を“ユーモア2(5月11日、2008年)”で取り上げました。

毎回、違う理髪店に行った(米国で) 理髪店の規制から想起

2008-11-11 13:59:25 | 外国-旅
今日の朝日新聞に、理髪の記事があった。ヘアカット専門の理髪店でも、洗髪台が必要なこと、理容師と美容師は同じ店で働いてはいけないなどの、規制があることは初耳だった。時代に合わない気がする。

昔から、理髪店で細かい注文したことは無い。アメリカ生活を始めたときは、注文の仕方もわからなかった。しかし、“Not too close”ぐらいしか言わなかったが用は足りた。すべて経験と思い、毎回、違う理髪店に行った(1966年)。

基本は、ヘアカット専門理髪店と同じで、カットとシェービングで、洗髪はしない。バリカンとはさみで整えるが、切った毛髪は、小型掃除機で吸い取る。その後、日本でも導入されたが、石けんは発泡式で、日本との差が目新しかった。
ただ、所要時間は15分くらいだし、あらっぽい感じはする。料金は2ドル程度で、通常25セントのチップを払った。

理容師は、ほとんどイタリア系の人だった。陽気な、話し好きの人が多い。日本人とわかると、東京オリンピックの絵葉書を持ち出した人もいる。

最近の1000円~1500円の、ヘアカット専門店に行ったことはない。ただ、私には、1時間半もかかる丁寧な理髪には耐えられず、40分フルコースの店を愛用している。

オーロラをニューヨーク便で ・ ・ ・ 儲けた気がしました

2008-11-09 16:24:52 | 外国-旅
今日の朝日新聞“be”は、オーロラを取り上げています。日本人のオーロラに対する関心は、世界でも珍しいほど大きいそうです。自然に対する感性が、違うのかもしれません。

最初に勤めた研究所は、第1回の南極観測から、参加しました。越冬隊員による、南極の報告会が、帰国後に開かれます。当初から、南極の自然、動物、オーロラの話しや写真、映画に接する機会がありました。新聞の記事で紹介された、アラスカ大のオーロラの権威、赤祖父教授の話を聞いたこともあります。

関心は深かったが、オーロラを見る機会はありませんでした。ところが、1999年の12月23日に、ニューヨークへ旅行しました。カナダ上空で、 “オーロラが見えます”の 機内アナウンスです。それから、2時間くらいでしょうか、オレンジ色の空の中を飛びました。

残念ながら、カーテン状のオーロラではありませんが、初めてで、最後のオーロラ経験です。
ニューヨークは、零下10度、雪になりましたが、寒さとともに、この旅は記憶に残ります。

触ると幸いをもたらすレリーフ(プラハのカレル橋にて)  街歩き 20

2008-11-06 12:01:21 | 外国-旅
チェコのプラハは、ヴァルダヴァ河に沿っています。旧市街へは、バスが乗り入れられないので、プラハ城のある丘側から、カレル橋を歩いて渡ります。この橋は、14世紀に造られました。長さは616メートル、幅は10メートルとのことです。

橋の上は、観光客でいっぱいです。絵はがき、民芸品などを売る小さな露店が開いていますが、非合法のようです。

橋の中程に、聖ヤン・ネポムスキーのレリーフがあります。ボヘミヤの守護聖人で、ヴァルダヴァ河に突き落とされて殉教したそうです。この像をなでると、“幸い”が来るとのことで、像が光っていました(2000年8月)。

触ると幸福になる像 グランプラス(ブリュッセル)にて 世界街歩き 19

2008-11-04 14:47:35 | 外国-旅
ブリュッセル・グランプラスの南の通りに、ピカピカに光った寝像があります。14世紀、フランス軍と戦った英雄セルクラークスの像です。

この像の「右肩に触ると、幸福になる」とのことで、通りがかりの人がさわり、なでて行きます。長年の結果で、このように像全体がピカピカになったのでしょう。上の天使も光っています。

日本でも、水掛地蔵、おびんづるさま、ではありませんが、さわると無病息災になる像があります。このような習慣は、洋の東西を問いませんね。

歴史の街グランプラス 小便小僧など 世界街歩き 18

2008-11-03 16:34:59 | 外国-旅
昨夜のNHK世界の街歩きは、ブリュッセルのグランプラスでした。ここで、かなり散策したので、見覚えのある建物などが目につきます。ワッフルの試食なども、思い出されます。

この地で、有名なのは「小便小僧」です。昨夜は、何も着て居ない姿でしたが、800着の衣装が寄せられているとのことです。桃太郎の衣装もありました。

有名な像などは、見たときに、期待どおりと感じるものと、期待に反するものがあります。小便小僧は、歴史を感じる街角の一角で、昔から馴染んでいる感でした。日本も含め、世界中にあるようですが、街の雰囲気が必要ですね(2005年5月)。

ワインは水より安い? それほどでもないが、安いヨーロッパ!

2008-11-01 10:38:20 | 外国-旅
かつて、フランスでは水の方がワインより高いとの話しを聞いてびっくりしました。今は、日本でもミネラルウォーターや、水商売?が盛んです。

最初、ヨーロッパに行ったときには、レストランで水を注文することに抵抗がありました。今は、それほどではありませんが、お茶・水がサービスされるのは、日本のよいところと思います。

ただ、欧米のレストランで、グラススワインが、生ジュースやソフトドリンクと同じ値段とのことが多く、しかも大盛り?です。500ミリリットルの水と、だいたい同じ値段です。1年前のスペイン、ポルトガルでは、1本でも4~8ユーロでした。高いワインもありますが、普通の食事では飲むのは、この辺かハウスワインでしょう。日本のレストランでは、数千円からでしょう。

ワインが生活に密着している、といえます。

写真はリスボンのファド(民族歌謡)のレストランで、盛り上がった状態です(2007年10月)。ボトルは、赤、白、水です。安いから、飲む人にとっては天国ですね。

アルバータビーフがブランド(カナダ) 旅の料理 10

2008-10-29 11:50:07 | 外国-旅
ビフテキは、日本人には日本で食べた方が合っているでしょう。ただ、値段は信じがたいですね。米人に、ホテルのステーキは1万円-1万5千円と説明したら、ビックリ仰天しました。

日本では、牛肉のブランドはたくさんあります。しかし、米国ではxx産をウリにしている記憶はありません。シカゴのステーキ屋では、ポテトにはアイダホの旗が立っていました。

カナダでは、ビーフはアルバータ州産が有名です。ケベック州でも、アルバータのステーキがでました。写真は本場アルバータのカナナキスのホテル、デルタロッジの料理です(2006年10月)。ローストビーフで、美味しくいただきました。量も多いですね。

家の耐用年数 マイ経験から 

2008-10-28 16:21:41 | 外国-旅
欧米の街を歩くと、古い建物がそのまま使われて居ることに驚きます。マイセンでは、15-16世紀の年号の入った建物が、レストラン、土産物店、市役所でした。ブダペストでも、百年以上前の建物が、外観はそのまま使われています。

1966年、渡米して定めたアパートは、ボストンの隣ケンブリッジの街の中心から1分でした。木造3階建て、9室です。木製の2重マドで、年期が入っており、築50年以上かなと思いました。勿論、お湯は出るし、廊下、バスルームも温風暖房です。日本では、お湯の出る家はほとんどなく、全室暖房の家庭などなかったころです。

1994年、行ってみました(写真)。近所は整理され、駐車場になっています。しかし、まだ残っているのに感激しました。

数年前、グーグルアースで見たら、広い駐車場になっていました。台風のないせいか、設備が進んでいたからでしょうか。木造でも、日本より寿命が長いですね。
ヨーロッパの石造の建物が、数百年にわたって使われるのは、資源の利用からみても敬服します。

我が国は、鉄筋で50年、木造30年ぐらいで改築します。資源の無駄遣いが多いようです。

ブダペストの中央市場  街歩き 17

2008-10-27 14:36:03 | 外国-旅
昨夜(10月26日)のNHK・世界の街歩きは、先週に引き続き“冬のブダペスト”でした。今回はペスト側で、いくつかの見覚えのあるところが紹介されました。共産圏だった1971年と、2000年にこの地を訪ねています。街のにぎわいで、西欧化したことがよくわかります。

100年以上経つ建物は、外はそのままで内装を現代風にしているところが多いようです。これは見習いたいですね。

1971年にうろついた、中央市場は、外観はそのままできれいになり、品物が豊富でした。パプリカの存在を知ったのもこの訪問ですが、その品揃えはバリエーションがあります。

ただ、魚屋で、缶詰状態でアップアップしている生け簀?の魚は、今も変わりません。40年近く経っていますが、この写真と同じ生け簀のように思えました。「骨なしの切り身、31フォリント/キロ」とあります。当時、1フォリントが12円でした。
生け簀のナマズ、鯉、それに“コチョウザメ”には、食欲を感じません。

ハーバード大学 散歩コースでしたが 大学3

2008-10-26 21:42:02 | 外国-旅
世界一の大学として、ハーバード大学があげられます。1966-1967にかけて、ハーバード大のあるケンブリッジ市(ボストンの隣)に住みました。研究室はマサチュウセッツ工科大学MITですが、アパートはハーバード大とMITの中間です。地下鉄で一駅、歩いても20分かからないので、よくハーバード大へ行きました。

ハーバードの生協COOPは、MITのCOOPより立派でデパート並みでした。COOPが、両大学共通だった事にもよります。

構内もよく散策しました。少なくとも、当時は近代的建物が少なく、歴史を感じました。ガラス博物館にもよく行きました。

1994年に訪ねたときは、ちょうど学位授与式の後だったのか、ガウン姿の人が散見されました。一部の授業は、単位互換性があり、MITの講義にも何人か来ていました。今のニホンでは、取り入れられてていますが、当時では想像できないシステムです。

写真は、同大の図書館ですが、建築様式がゴシック調でしょうか(1994年6月)。