goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

ワルシャワのカレーが美味しかった! 旅の料理 15

2009-07-18 12:10:45 | 外国-旅
イースターの頃、ポーランドのワルシャワに、10日ほど、滞在しました(1997年)。JICAの仕事です。先方との会議、日本側だけの会議の連続です。

JICAの事務局が、昼食・夕食もいろいろ心配したので、ホテルの夕食は1回ぐらいでした。時間の節約のため、昼食は日本食堂から弁当をとることもありました。

イースターでは、ホテルのレストランも半分しかオープンしません。街も休みです。昼食に困りました。キリスト教以外の国のレストランなら、開いているだろうと、日本、韓国、イスラム系などを電話したが、休みで電話もつながりません。従業員や、仕入れの関係のようです。

やっと、インド料理店を見つけました。カレー、ナン、ライス・・で、久しぶりに美味しくいただきました。なお、日本、韓国料理店は、素材の関係もあり、ちょっと不満でした。

最近、日本では、インド人、パキスタン人、バングラデシュ人などがシェフのカレー専門店が多く見られます。どこも期待を裏切らないようです。

パスタは、イタリア以外では裏切られました。カレーは、国際的?で大丈夫でしょう。

ボストンの鰻丼―缶詰だった 旅の料理 14

2009-07-16 11:51:47 | 外国-旅
1966年渡米しました。最初の1ヶ月は、米と縁のない生活をしました。初めての米食は、中華料理店です。チンジャオロースとご飯を食べたとき、米食の美味しさ、ありがたさを感じました。

当時、ボストンには、和食の食堂(レストランだが、酒をサービスできない)は、“京都”だけでした。シンフォニーホールの近くにありました。
1月に1回くらいのペースで、友人と行きました。最初に注文したのは、カツ丼です。1.75ドルで、みそ汁が30セントです。日本では見た事もないほど、カツが厚いことに感激しました。肉が安いし、アメリカ流の量だから、当然だったのでしょう。

あるとき、“鰻丼”を注文しました。ところが、日系のウェイトレスが、“やめなさいよ。ウナギは缶詰だから。缶詰は”Yoshinoya Shop”で売ってるよ“です。

当時、冷凍技術は発展途上、真空パックもありません。保存は、缶詰がメインでした。このShopは、私のアパートの近くです。1缶が2ドルでした。360円/ドルの時代ですから、ちょっとした値段です。“
自炊はほとんどしなかったが、何回かご飯を炊いて、鰻丼にしました。帰国してから、缶詰売り場で、ウナギを見つけたことはありません。国内では、その必要性がないからでしょう。味的にも、サンマに近く、満足できるものではありません。

1994年にボストンを訪ねたとき、“京都”を探したがありませんでした。しかし、あちこちに日本レストランがあり、ウェスティンホテルには、板前が黒人のスシやもありました。年月の差を感じました。

なお、京都の人気メニューは、ビーフの照り焼き、すき焼きでした。写真は、日本人会報に掲載された、手書きの広告です。

天皇・皇后両陛下が訪れたビクトリア ホテル 14

2009-07-12 11:07:04 | 外国-旅
天皇・皇后両陛下は、カナダを訪問中で、各地でのご様子が報道されます。昨夜は、ビクトリアでの様子、皇后陛下の子守歌が紹介されました。

ビクトリアは、最初は学会で滞在しました(1997)。翌年、観光でシアトルからフェリーで訪ねました。リピーターになる、花のきれいな落ち着いた街です。
大きな街ではなく、歩いて主な場所へいけます。ホエールウォッチングもありますが、港内一周しかしませんでした。

ゆっくり滞在するのに、いい街です。写真はロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館から、エンプレス・ホテルの方向です。ビクトリアで、もっとも格式の高いホテルで、ティータイムが有名です。初回に泊まりましたが、レートの安い部屋だったので、ウォーターフロントではありませんでした。

食事も美味しいし、また行きたい街です。(関連:ビクトリア大学 大学6 3-Apr-2009)

クライスト・チャーチで オールブラックスの選手にサインして貰った 街歩き24

2009-07-11 10:39:45 | 外国-旅
昨10日の、NHKの街歩きは、ニュージーランドのクライスト・チャーチでした。公園と花の多い街ですが、昨夜の歩きもそれが中心でした。
市街電車の中で、朝食をとることができます。3周する間に朝食を食べる、珍しい経験をしました。この電車トラムも、街歩きで紹介されました(2002年9月撮影)。

街を散策すると、ラグビー用品の専門店が目につきました。次男がかつてラガーだったので、ジャージーを買いに立ち寄りました。品を決めて支払うとき、店員が“オールブラックスの選手が来ているので、サインをしてもらえるだろう“とのとです。白インク?のペンでサインしてくれました。

ニュージーランドは、ラグビー王国です。クライスト・チャーチの運動公園には、10面のラグビー場があるとのことでした。また、オールブラックスのメンバーになるのは、ラガーの最大の名誉とのことです。思いがけない、経験、記念でした。
(街歩き 23 は5月9日)

北欧は白夜を生かす 夏至から想起

2009-06-21 10:18:06 | 外国-旅
今日は夏至です。日が長いのですが、それほどありがたみは感じません。

北欧に、何度か行きました。冬は、昼間が短いことに驚きました。夏は、白夜をフルに生かして居ることを実感しました。

1995年の6月末です。ノルウェーのトロンハイム(旧都、北極圏より少し南)で、学会が開かれ、参加しました。

会議に平行して、いろいろなイベントが開催されます。ある日、エクスカーションとして、ハイキングと山小屋での夕食がありました。スタートは、発表会終了後の午後7時です。バスで30分ほど行き、山林の中を歩きました。写真は、8時半ごろでしょうか。1時間余で、小さな湖に着き、山小屋でトナカイのシチューがメインの夕食です。

ホテルに帰ったのは、11時半過ぎでした。1日が長かったですね。歩く催しが、夜7時出発など、日本では信じられません。

翌朝の学会は、8時40分にスタートです。タフでないと、付いて行けません。

デンマークのオープンサンドには感激した―サンドイッチの思い出― 旅の料理 12

2009-05-14 14:56:32 | 外国-旅
コペンハーゲンの街歩き(放映は5月8日、日記は9日)では、300年以上も続くパンやが紹介されていました。

私が外国へ行って驚いた事の一つは、サンドイッチの差でした。1966年では、日本のサンドは、食パンにハム1枚か、チーズを挟んで、きれいに切ったモノだけでした。
アメリカで、オーダーで頼むオープンサンド、サブマリンサンドにびっくりしました。ハムなど、10枚ものってきます。

デンマーク(1974年)で、オープンサンドの質がアメリカと違うことがわかりました。主流は海鮮です。小エビ、エビ、スモークド サーモンなどが、山盛りです。

写真では3-5クローネですが、当時は60円/クローネでした。ちょっと高いかもしれませんが、その量と新鮮さには驚きました。北欧は大体おなじサンドですね。昼食には、オープンサンドを愛用しました。ただ、トナカイのサンドは、チョット淡泊かも知れません。海鮮があるときは、やめました。

今は、日本のサンドイッチ系もひけをとらないでしょう。ただ、ハム、チーズなどの量はちがいます。
 旅の料理10は “アルバータビーフ・・29-Oct-2008”でした。

コペンハーゲンとアンデルセン・・  街歩き 23

2009-05-09 14:28:28 | 外国-旅
昨8日の、NHK世界街歩きは、コペンハーゲンでした。運河沿いの裏通り、自転車の進化が中心でしたが、定番の名所―チボリ、人魚の像なども紹介されました。

4月23日に、アマリエンボール宮殿前の衛兵を紹介しました。この番組の中も、衛兵が交代のために市街を行進して居る様子、宮殿前の映像がありました。

市庁舎の横に、アンデルセンの像があります。これをなでると、福が訪れるとの事です。1974年のとき、膝が光っていたのですが、昨夜紹介された像は、何人かが寄りかかり、座って居ました。膝を中心に、下半身が光り輝いていました。30年余の年月を感じます。

日本からみると、ゆったりとして、自然も多い首都コペンハーゲンです。

WHOも薬局も「ヘビ」のマーク

2009-05-01 19:25:50 | 外国-旅
豚インフルエンザは、フェーズ5がWHOによって宣言されました。成田到着の日本人女性に疑いがあり、精密検診が行われています。

今回、WHOからのニュースをたびたび目にします。そのマークが、地球とヘビの組み合わせであることを認識しました。

ヘビと杯の組み合わせが、薬局を意味することは、1971年、ブダペスト知りました。現地で知り合った、テレックスオペレータの青年が、街を案内してくれ、そのときに教わりました。以後、ヨーロッパの各地で見つけましたが、国によってデザインが違います。このヘビは毒蛇を意味するのでしょうか。毒と薬は紙一重ですね。

WHOのマークも、ヘビが使われているのは、その流れでしょう。

海外旅行の必需品 経験でノウハウ

2009-04-25 14:10:39 | 外国-旅
25日の朝日新聞「be」で、“海外旅行に持参して役立ったもの”が特集されています。1位はスリッパでダントツです。ウェットティッシュ、折りたたみ傘、洗濯ロープ、日本茶、貴重品入れ、目覚まし時計、梅干し、ひげそり、救急セットと続きます。

スリッパは、ホテルにないので、必需品ですね。傘はないと不便です。欧米人のように、濡れて歩く習慣もありませんし。シカゴで、傘を持たないで外出したら大雨になり、5ドルで買いました。日本のモノとは、たたみ方が違い、しかも大きいですね。

ロープは、ビニールヒモを持って行くと、洗濯にも、モノを縛るにも使えて便利です。ホテルの時計は、目覚まし機能がついているので、最近は持っていきません。

お茶は、持っては行きますが、イギリス系の国は、紅茶、コーヒー、クッキーなどがそろっているので必要を感じないですね。

デジカメ用に、充電器は必需品ですが、コンセントが合わないと悲劇です。多くのホテルには、シェーバー用の110Vのコンセントがバスルームにあります。これなら、日本の機器がそのまま使えます。2年前のイベリア半島旅行では、110Vのコンセントがありませんでした。フロントでアダプターを借りようとしたら、ほとんどのホテルでことわられました。

持って行って成功したのは、中国旅行のときのビクトリノックスのナイフです。ねじ、果物相手に役立ちました。ただ、トランクに入れる必要があります。

方位磁石を持っていったことがあります。カナダ、オーストラリアなどで、どのくらい狂うか楽しみにしていましたが、真の北が簡単にはわからず失敗でした。

何回かの旅行経験で、皆さんは持っていくものにノウハウができるのでしょう。ガイドブックにある品物のリストは参考資料ですね。

アマリエンボール宮殿前(コペンハーゲン) 衛兵 5

2009-04-23 11:09:47 | 外国-旅
コペンハーゲンを訪ねたのは、1974年の夏です。チボリ、人魚の像、ゲフィオンの噴水なども訪ねました。かなりの距離を歩く羽目になりましたが、自転車を借りるべきでした。

王の家族が住むアマリエンボール宮殿では、衛兵が交代するところでした。兵士の帽子は、英国と同じようですが、軍服の色も含めて、黒中心の寒色です。北欧らしいと思いました。

宮殿は広場に面し、衛兵の数も4人です。王と国民との距離が近いことを感じました。なお、エビやスモークサーモンなどが、山盛りのオープンサンドが名物です。これは、味・量とも記憶に残ります。

無名戦士の墓(ワルシャワ) 衛兵 4

2009-04-16 19:51:01 | 外国-旅
ワルシャワで、無名戦士の墓へ行く機会がありました(1997年3-4月)。街中です。丁度交代の儀式が行われましたが、1団で20人強です。行進のときに気がついたことは、制服が3通りあることです。陸、海、空軍でしょう。

一般の人、旅行者が結構大勢居ました。我が国の“無名戦士の碑”は千鳥が淵にありますが、あまり知られていません。靖国神社は“宗教施設”だし、日本は、戦士に対して曖昧で過ごしていますね。

ガムラスタン(旧市街)にある王宮(スウェーデン) 衛兵3

2009-04-13 12:06:53 | 外国-旅
王の居るヨーロッパの国は、いくつかあります。英国を除いて、王家と国民との間は近いようです。

ストックホルムの旧市街ガムラスタンには、王宮があります。前の広場には、古い大砲が並び、兵士が2人立っています。数回訪ねましたが、この写真は1995年の撮影です。警備は形式的ですね。

スウェーデン国王が、皇太子時代に、オリンピックに選手として出場したとのことです。また、デパートで側にいた小父さんに質問したら、国王だったとの投書を読んだことがあります。

ミロのビーナス像も間近に Museum 3  (2は 18-Apr-2008)

2009-04-11 11:41:21 | 外国-旅
 今、六本木ヒルズの国立新美術館で、ルーブル美術館展が開かれています。外国の有名な美術館の所蔵品が日本で展示されると、多くの人が訪れます。しかし、元の美術館を訪ねると、混んでいることはありません。

 ルーブルを訪ねたのは、1984年です。歴史的な名画、画集などで、紹介されている美術品を何気なく見ることが出来ました。日本と違うのは、三脚とフラッシュ無しなら撮影できること、多くの人が許可を得て模写していることでした。模写は、人によって個性があり、完全な模写から、原画は何だろうと思わせる絵もありました。

ミロのビーナスは、日本で公開されました。そのとき、すごい行列で行くのをあきらめました。何気なく立っていることに感激しました。

バッキンガムの衛兵交替 衛兵 2

2009-04-08 21:34:20 | 外国-旅
 衛兵交替で、一番華やかのなは、バッキンガム宮殿でしょう。英国には何度も行きましたが、交替を見たのは一回だけです(1974年)。華やかさは、世界一だし、観光し資源としても、英国最大かもしれません。

 それから35年以上も経ちますが、女王は当時と同じで、ご健在です。長寿の君主の代表でしょうか。

ミケランジェロがデザインーバチカンの衛兵 衛兵1

2009-04-04 16:29:58 | 外国-旅
先日、中川前財務相のローマでの事件で、バチカン見学の出来事も話題になりました。法王、教会以外の事件で、バチカンが報じられることは少ないですね。

カソリックの総本山として、多くの信者、観光客がバチカンを訪れます。わたしも、ローマ滞在中に、その例にならって、サンピエトロ大寺院を訪ねました(2001年)。記憶にのこる一つは、衛兵です。ミケランジェロがデザインした服で、スイスからの傭兵とのことです。英国はじめ、各国の衛兵をみましたが、これほどインパクトのあるデザインはありません。

ルネッサンスの時代ものが、現役で使われることはほとんどないでしょう。
ミケランジェロの、色彩感覚には、脱帽です。