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ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

ロンドン近郊に“ヴァンパイア”の家がある  映画の舞台 11

2009-10-16 11:50:33 | 外国-旅
ルーマニア・トランシルバニアのブラン城の記事が、10月15日の朝日新聞朝刊にあります。この城は、「ドラキュラの城」として知られています。今、イメージを変えたテーマパークに衣替え中だそうです。

ドラキュラ伯が有名になったのは、アイルランドのブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ(1897年)」によります。日本では、ドラキュラ・吸血鬼(ヴァンパイア)は、それほどの受け入れられません。ヴァンパイアものの映画も、ヒットしませんね。

それは別にして、ヨーロッパの古城を見学すると、お化け・妖怪のでそうな雰囲気のところが多い気がします。古さ、構造、石造り・暗さが原因かも知れません。

ロンドンから、テームズ河上流にミニクルーズしました(1974年)。花に飾られた家々が、岸辺に望まれます。ガイドが、“あの家は、ヴァンパイアの出るホラー映画に使われました”と紹介しました。題名も言いましたが、記憶にありません。家は開けた緑に囲まれています。日中では、ホラーの雰囲気はありません。しかし、古いたたずまいは、ホラー映画の舞台になりそうです。
(映画の舞台 10 は1-Mar-2008)

デパートのトイレは最上階だけ(ストックホルム) 旅のトイレ 6

2009-10-14 10:27:20 | 外国-旅
ノーベル賞が発表になり、授賞式が近づくと、ストックホルムの紹介・ニュースが多くなります。アメリカは別として、1974年以来、訪ねた回数も多いので、懐かしい風景や、経験が思い出されます。
ダウンタウン、ショッピング街はよく行きました。歩行者天国で、屋台が沢山出ているときなど、店を覗くのは楽しいものです(写真は1984年撮影)。

日本とちがって、トイレが少ないのは困りものです。そのために、レストランに入ることもあります。

街中でトイレを探しても、期待する方がムリです。デパートならあるはずと、店内に入りました。売り場のマップがありますが、トイレ表示はありません。1階づつマップを見ながら、上に上がりました。

やっと見つけたのは、最上階です。ここに、かなり大型のトイレがありました。日本の大型店は、各階にトイレがあります。日本の美点?ですね。
旅のトイレ5は、5-Jun-2008です。

日本美術を学んだボストンの美術館 Museum 6

2009-10-06 10:58:33 | 外国-旅
ボストンの隣、ケンブリッジに住んだので、ボストン美術館にはよく行きました(1966-67)。当時、日曜はデパートを始め、商店がクローズなので、出かける先が限られます。

最初に行ったとき、作品群に圧倒され、頭痛をおこしました。有名な絵として知っている絵もあります。また、ミレーやモネの作品が、1室を占めていることに驚きました。

日本美術のコレクションは有名です。2室か3室日本美術の部屋があり、版画・日本画、陶磁器など、有名作家の作品も見ることができました。しかも、ときどき入れ替えがあります。

個人所有の作品が展示されていること、維持のための会員など、目新しいものでした。アメリカでは普通のことですが。

1994年の訪れたら、入り口などすっかり改装されていました。バリアフリーになり、明るくなりました。写真は1994年撮影の入り口です。

ピッツバーグにも恐竜の博物館が・ ・ Museum 5  (4は 1-Aug-2009)

2009-10-03 19:47:38 | 外国-旅
恐竜ブームで、恐竜に詳しい子供達が大勢居ます。これは、洋の東西を問いませんね。

滞米中(1966~)から、恐竜に接する機会がたびたびありました。アメリカは、恐竜の化石が各地で発掘されるので、展示する博物館が沢山あります。ニューヨーク自然史博物館の展示には、その大きさ、完全な骨格に圧倒されました。

マサチュウセッツの田舎に、恐竜の骨を売る小さな展示場・土産屋?がありました(4-Jun-2008の日記)。

鳩山首相のG20出席で、ピッツバーグを紹介しました(27-Sep-2009)。その写真に、Three Rivers Stadiumとカーネギー・サイエンス・センターが写っています。センターには、Dinosaur Hallがあります。多くの化石・骨格が展示されていますが、照明を落として雰囲気を出しています。1994年に訪れました。ここで、恐竜に会うとは思いませんでした。

鳩山首相の外交デビューで ピッツバーグ が浮上 

2009-09-27 09:57:40 | 外国-旅
鳩山首相の外交デビューで、ピッツバーグが浮上しました。ここで、G20が開かれ、また鳩山さんがパイレーツの始球式に登場しました。その練習で、ピッツバーグに居たことのある桑田が、投球のコーチをしました。

1994年、ピッツバーグに行きました。アメリカ最古(1878年)のケーブルDequesne Inclineがあります。上の駅から、川沿いにある球場を眺めました。そのときの写真で、Three Rivers Stadiumとカーネギー・サイエンス・センターです。ところが、今の球場は少し離れたところにあり、2001年にオープンしたPN Parkです。以前は、フットボールと同じスタジアムだったので、新設されたそうです。

ピッツバーグは、日本から観光で行くことは少ないでしょう。カーネギー・メロン大、ピッツバーグ大があり、かつては製鉄が盛んでした。ステーション・スクエアには、名前だけ知っていたベッセマー転炉が展示してありました。いろいろと、鉄の名残のある街です。

2007年12月12日にケーブルの、2008年10月23、24日に、大学の記事を書きました。

ロシアの民芸品 マトリョーシカ が危機!  旅の土産 6

2009-09-04 13:47:23 | 外国-旅
9月4日の朝日新聞に、ロシアの民芸品“マトリョーシカ”が、不況で危機にあるとの記事がありました。観光客の激減が背景にあるようです。ただ、その3割は、和風にデザインされ、日本に輸出されているとか。“こけし”などの下地があるせいでしょう。

入れ子の人形は、ロシアのお土産の定番でした。わたしも、モスクワ空港で、購入しました(1988)。毛皮製品も有名ですが、お土産としてはマトリョーシカの方が無難です。長年、孫達のおもちゃにもなりました。
ただ、その原点は日本にあり、こけしや、七福神の入れ子の人形から発達したと言われます。塗りも“こけし”を思い出させます。

ハンガリーに2000年に行きました。各地でマトリョーシカを売っていたので、びっくりしました。デザインが、ロシアとは違います。もっと素朴な感じです。
しかし、1971年にハンガリーを訪ねたときは、どこにもこの人形はありませんでした。便乗でしょうか。記念に買いましたが、オリジナルがいいようです。

写真は、両者を並べています。どちらがホンモノのマトリョーシカかは、すぐわかりますね。(土産の5は、2008年12月26日)

テキサスは広い! 土地は平方マイルで売る?

2009-08-18 14:54:09 | 外国-旅
テキサス州は広く、その住民は、大きいこと、おおぼら話が好きだと言われます。私は、ヒューストンで乗り継いだ以外、テキサスは行ったことがありません。飛行機から、その石油の井戸を見て(写真、1993年)、映画「ジャイアンツ」の舞台であることを再認識しました。

カナダのバンクーバー島から、バンクーバーへフェリーで渡りました。船上で、リタイアしたテキサスの夫婦に会いました(1997年)。テキサスの広大さ、テキサス人の気質などが話題になりました。

バブル後だったので、日本の土地価格の話をしました。銀座で坪数千万円のころです“1インチ平方で、値段を付けるとなじみの金額で、**ドルくらいだろう”と言ったら、「その金額なら1平方マイルが買えるのでは・・」。

大笑いになりました。日本全国が、カリフォルニアより狭いのですから、しょうがないかもしれません。旅の出会いは、いいものです。

ブラックパワーに圧倒されたワシントン 劇場の客、私以外は黒人だった 

2009-08-16 10:13:14 | 外国-旅
15日のTBS「フシギ発見」は、ワシントンのスミソニアン博物館がテーマでした。ここは、何度か訪ねました。ところで、ワシントンでは、一生一度の経験があります。

学会の発表を、好評裡に終えました(1976年4月)。ディナーは、ステーキにしましたが、1ポンドはあったでしょう。

街を歩いていると、立派な劇場Palace Theater が、生演奏らしいので、入ることにしました。切符売りのおねーさんが、“これは映画ではないが、それでいいのか?”と何度も念をおします。「音楽を聞きたいのだから・・」と、入場しました。

大劇場で、7分の入りです。ところが、お客は黒人しかいません。間もなく始まったが、盛り上がり様は、すごいものです。舞台と お客が一体となっています。

雰囲気に圧倒されました。その中で、東洋人は場違いです。30分ほどで、退散しました。おねーさんが、念を押した意味がわかりました。

その後、Tavares の名は、一度日本で聞きました。ネットで探索したら、70年代に活躍した、ディスコミュージックのファミリーとあります。

ワシントンの住民は、白人が少数派であることを実感しました。また、音楽にエキサイトする、黒人パワーを知った一夜でした。
ガイドブックなどで調べてから、行くべきでしたが、後の祭りです。

オーストラリア、ニュージーランドは時差が小さい! ホント?

2009-08-07 11:58:59 | 外国-旅
研究所に居るとき、オーストラリアの研究者が来訪しました。“時差がほとんどないから、楽でしょう”に対して、「半年もあります」と言われました。それまで、季節差は、時差ではないと思っていました。

1994年以後、オーストラリア、ニュージーランドへ4回行きました。欧米と違って、時差の小さいことー意識しないでいいことは実感しました。
シドニーから帰国、「3日後にアメリカ行き」なども、それほど負担に感じませんでした。ただ、オーストラリアが夏、アメリカは冬です。日本を中継しなかったら、着るものも大変だったでしょう。

夏にケアンズへ行きました。向こうは冬ですが、北に位置し、泳げるので、違和感はありません。秋のニュージーランドは、気候は似ているので、過ごし安かったですね。

カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで、巨泉の「OKショップ」を見かけ、立ち寄ったこともあります。北半球、南半球でビジネスをして、気候のいい方に滞在するなど、生活もエンジョイする姿勢には感嘆です。真似はできません。

北海道のスキー場は、オージーに人気です。時差の活用は今後も有効でしょう。

時差ぼけ ― 20時間以上寝た 笑えない話

2009-08-05 10:36:19 | 外国-旅
外国旅行の時差は、悩みの種です。何度かの旅行を通じて、ムリしても現地の時間で生活することが、時差惚け解消に有効なことがわかりました。
慣れない時は、失敗があります。

その1 最初にアメリカへ渡ったとき(1966年)

初日はホテルに泊まったが、翌朝、大学へ行き、アパートを斡旋して貰って引っ越しました。
目が覚めると、陽が当たっています。時計は昼頃だが、止まっていると考えました。

近くのカフェに行くと、モーニングサービスの張り紙があります。それを注文したら、“モーニングサービスは終わりだ”と、時計を指されました。それで、12時間以上寝ていたことがわかりました。
大学へ行き、約束の時刻をすっぽかしたので、平謝りです。3日目からは大丈夫でした。

その2 旧知のS先生が、学会参加でボストンへ来られました。海外は、初めてです。空港へ迎えに行き、夕食をともにしました。翌晩、教授宅でパーティがあるので、参加のため、6時に落ち合うことにして別れました。

ところが、その場所にあらわれません。ホテルに電話すると、オペレーターが、“電話に出ません”。鍵はどうなっているかと聞くと、“鍵は預けてないが、持って行ったのではないか”です。

あきらめて、教授宅へ行ったが来ません。電話を借りて何度かホテルを呼びました。8時ごろ、彼が電話に出たが、第1声は、“ボストンは夜が明けるのが遅いですね・・”です。12時間、勘違いしています。20時間以上、ぐっすり寝たようです。
タクシーで駆けつけ、パーティには間に合いましたが、知っている限り、最大の時差ぼけでした。

“タイの天ぷら”、何を想像しますか 旅の食事 19

2009-08-03 14:21:57 | 外国-旅
アメリカでの生活(ボストン地区、1966~67)で、時々自炊しました。米飯を食べたくなったときです。日本商品を売る“Yoshinoya Shop”で、食料品を物色します。ただ、冷凍技術が初期、真空パックもない時代なので、品は限られます。現地の値段は、円=セントが目安でした。1ドル360円の時代なので、インスタントラーメン(30円)が、100円くらいに当たります。

ある時、“鯛の天ぷら”の缶詰を発見しました。初耳です。買って見ましたが、“さつま揚げ”です。内容も何種類かの魚です。疑問は残りましたが、2度とは買いませんでした。

それから、10年以上経って、新聞に缶詰の表記で、外国からクレームがでたことを知りました。それが、“鯛の天ぷら”です。いわゆる“天ぷら”ではない、とのことです。納得しましたが、島根、鳥取では、東京で言う“さつま揚げ”を、“天ぷら“と言うためとのことでした。

 いわゆる“天ぷら”と“天ぷら(さつま揚げ)”との関係は、わかりません。ただ、ローカルな呼び方は、誤解を招きますね。


世界中から運んできた大英博物館 Museum 4

2009-08-01 15:39:57 | 外国-旅
トリノ・エジプト展が、上野で開かれています。トリノ・エジプト博物館の存在を知りませんでした。ミイラにお目にかかったのは、大英博物館です。

ヨーロッパでは、日曜は商店が休みのことが多く、博物館、美術館へ行く機会が増えます。1974年ですが、入り口で手荷物検査がありました。初めての経験でした。
ゆっくりと見学しましたが、第一印象は、“よくも世界中から遺産・遺跡を運んできたものだ”でした。大英帝国が、世界中版図にしていたのだから、自由?に搬入したのでしょう。昔の栄華の名残でしょうが、“収奪”の言葉が浮かびました。

ミイラの展示(写真)だけでも、数十体以上でしょう。説明のついているものもあります。クレオパトラのミイラを見つけましたが、年齢は7歳でした。。

トリノにエジプト博物館があることは、イタリアへも多くの品が運ばれた訳です。ローマ帝国の時代かと思ったら、ナポレオン以後の品が多いようえです。

一説では、盗掘で散逸するより、学術的?発掘の結果が、外国に行く方がいいとも言います。しかし、本来の場所にあるべきでしょう。世界各国が、過去の遺跡の一部、遺産の返還を求めることもわかります。
Museum 3 は、4月11日です。

コンビニで仕入れたサンドにカビが生えていた(米で) 旅の食べ物 18

2009-07-29 16:29:35 | 外国-旅
コンビニでは、賞味期限を切る食品を廃棄しています。その量は、1日あたり、8~12キロになると報じられています(7月28日)。

廃棄が、“もったいない”ことから、割引して売るかどうかが、議論されています。
1966年にアメリカへ渡ったとき、スーパーの知識はありましたが、Convenience Storeを知リませんでした。当時、東京でも、スーパーは何軒もなかったでしょう。

深夜、大学から帰るとき、食料を仕入れるのに、コンビニが重宝でした。MINI ATOP は、当時のコンビニで記憶があります。

日本のコンビニは、セブンイレブンのノウハウを導入してからでしょう。
1995年、ミシガン州の大学町、East Lansing を訪問しました。歩いていると、Seven Elevenが目に付いたので、サンドイッチと飲み物を買いました。ところが、食べようとしたら、チーズサンドから、2センチくらいのカビが延びています。賞味期限の表示もはっきりしません。日本では、こんなことはないだろうな、と思いました。

その数年後でしょうか、日本のセブンイレブンが、Seven Elevenを傘下に収めました。子と親が入れ替わったようなものです。

品揃えと品質保持では、日本のコンビニはハイレベルです。ただ、安全係数が大きく、もったいない廃棄が多いのでしょう。「一部商品は、品揃えが切れてもよい」でもいいような気がします。競争社会では、難しいでしょうが。

バカ安アイスクリーム(ニュージーランド) 旅の食べ物 17

2009-07-28 13:31:04 | 外国-旅
テレビ朝日の月曜深夜の番組に、ファミレスなどの、人気メニュー ベストテンを当てる番組があります。お笑い系のタレント6人でチャレンジします。ただ、食べてから順位がわかるので、当たらないと数多くの料理を食べなければなりません。

27日夜は、アイスクリームの“31”です。ここに、76ものメニューがあるとは、知りませんでした。31種あるから、店の名にしたとの知識は、古かったようです。ベストテンを当てるまで、30種類ものアイスクリームを、徹夜で食べるのは苦行です。

最初にアメリカに行ったとき(1966年)、アイスクリームの濃さ、種類に驚きました。当時、日本は“アイスクリン”の時代で、脂肪分10%などは存在しません。日本風のあっさりした味が懐かしくなり、シャーベットが中心になりました。
イタリアでは、いろいろなジェラードにチャレンジしました。“ティラミス”のジェラードを勧められ、その存在と濃厚さにオドロキました。

ニュージーランドでは、ファーストフード、お土産屋などで、アイスクリーム“Tip Top”の看板が目に付きます。12種類くらいのアイスクリームがストッカーにあり、“31”と同じように、コーンに盛って呉れます。ただ、驚いたのは価格で、シングルが1ドル、ダブルが1.5ドルでした。1NGドルは、60円だったので、その安さにはオドロキです(2002年)。さすがに、酪農の国と感心しました。ただ、質的には、31ほどではありません。

アマエビが食べ放題(ノルウェイで) 旅の料理 16

2009-07-26 14:02:21 | 外国-旅
25日夜の、TBS「世界ふしぎ発見」は、グリーンランドでした。温暖化で、氷河が融けているそうです。南部では、羊が飼えるようになったとのことでした。

漁業は盛んですが、結氷が減ったため、5割ほど水揚げがふえたそうです。“日本への輸出が最大の水産物は何か“が、最終のクイズでした。答えは”甘エビ“で、スシだねになっているそうです。国産の甘エビと同じかは、知りません。デンマークの小エビ山盛りのサンドイッチ(旅の料理12、5月14日)、ノルウェイでのエビ体験を思い出します。

北緯63.5°に位置する、トロンハイムで開かれた学会に参加したときです(1995年)。フィヨルド内で、1キロほど沖にある島、ムンコホルメンの見学と夕食のツアがありました。全景写真は、パンフレットからのものです。要塞ですが、王がここに幽閉されたこともある、寒々しい孤島です。

7時発、島を見学しましたが、小さい島なので、多くの時間はかかりません。食事は、ビュッフェ形式ですが、料理?は茹でた小エビと、レタス、パンだけです。ワインとコーヒー、紅茶は飲み放題でした。

山盛りのエビを、食べるしかない・・食事です。同じテーブルには、旧知のドイツの教授夫妻がいましたが、彼らの食べっぷり、飲みっぷりには驚くばかりでした。
夫婦で、1生分のエビを食べたのでは、と話ました。しかも、アノラックを持って行ったが、寒くて震えました。6月末ですが。

グリーンランドは、北緯60°より北にあります。緯度が同じような北欧と、水産物は似て居るのでしょう。

茹でた小エビは、料理と言えるかどうかわかりませんが、記憶に残る“ツア・食事”でした。しかし、スシ屋の甘エビも外国産-グリーンランド産が多いとは、オドロキです。