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ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

カルガリの オリンピック・サイトを訪ねました

2010-02-09 11:07:12 | 外国-旅
バンクーバーのオリンピックが、近くなりました。出場する日本選手の動向・メダルの予想が賑やかです。

1992年10月に、学会発表でカナダのバンフ スプリングスへ行きました。カルガリでレンタカーを借りたので、カナディアン・ロッキーへも回りました。帰途、オリンピックのジャンプ台が見えたので、寄りました。

カルガリのオリンピックは、1988年に開かれました。スケートの500mで、黒岩彰が銅メダルを獲得しています。

オリンピック開催後、4年なので、施設はそのまま残って居る感じです。参加国の旗が立っていますし、見学者もちらほらしていました。
ジャンプ台などに雪はみえますが、平地にはありません。オリンピックのとき、雪はどうだったのでしょうか。

大倉山は、札幌の街を望みますが、カルガリは広々としています。交通の便も、車しかありませんね。

バンクーバーへ行く前に、カルガリで練習した日本のチームがあります。しかし、このときの施設かどうかは知りません。

外国旅行-ツアの思い出  残念な話です

2010-02-06 10:44:48 | 外国-旅
* 五つ星ホテル の悲哀
夜遅く 着いて早出で 何も見ず : 夕食は外部。外観もわからない。ショップはクローズ・・
 写真は デルタ・ロッジ・カナナキス、カナディアンロッキー、2006年10月、7時半出発前

* 安いホテルで
このトイレ 使った後は 止まらない : 水音は十分
出たお湯は コーヒー入りと 勘違い : 茶色

* 有名美術館
急ぎ足 通り過ぎたが 一部だけ : 鑑賞どころではない

* 有名レストラン
店立派 値切った料理 ありきたり : ワインは高かった

わからない ワインと水が 同じとは : ワインが安いと思いましょう!

* おみやげ店によく寄ります
見学を 端折って店で 休憩し : 特に友誼商店(中国)では長い
OKは 牧場でなく お土産や : 巨泉が経営。今まで5カ所も寄りました。
全員が トイレすむまで 滞在し : 一つしかない。作戦?

* マウイ島で
展望が 売りの山頂 雲の中 : 稀に晴れるとか


機内食はあこがれの“ごちそう”でした

2010-01-22 09:24:03 | 外国-旅
JALの再生プログラムが、始動します。JALには、当初お世話になりました。最初の機内食は、1966年、JALの羽田―ホノルル間でした。まだ、レストランでの食事など、縁の遠い時代です。
当時のメニューが残っています。前菜、野菜付きのメイン、サラダ、デザート・・は、普段食べることはありませんでした。メインはヒレのステーキですね。感激して食べました。

一方のメニューは、UA国内線の昼食です。こちらは、ステーキとチキンが選べたようです。この時代、ソフトドリンクは無料ですが、アルコールは有料でした。JALでは、ビール、ワイン、ウィスキーなど180円(50セント)です。

ともかく、このようなタイプの食事は、夢?みたいなものでした。その後、新宿伊勢丹に、機内食と同じ?ものを出すレストランがオープンしました。1968年頃、一度トライしましたが、感激するほどではなかったですね。700円ぐらいしたようです。

外国旅行へ行く機会は増えましたが、だんだんおいしくなくなった気がします。それには、一般の食事の質が、よくなったこともあるでしょう。ただ、コストを切り下げ、義務的な食事になったせいかもしれません。エコノミーの旅では、特に、食事は期待できない気がします。

最低だったのは、1971年に乗った、ロンドン-ブダペストの、マレブ航空(ハンガリー国営)です。昼食は、簡単なサンドイッチと、ミカン水のようなジュースでした。
経営危機のJALも、食事の質は落としてほしくないものです。


テレビでナイアガラが詳しく紹介されました ただ、カジノは相応しくないように思うが・・

2010-01-10 20:20:04 | 外国-旅
今日、BSフジで、7時からナイアガラmapという旅番組があった。ナイアガラは、日本からはトロント経由で行くのがコースである。

私は、1967年夏と2006年の秋に、ナイアガラを訪れた。最初はボストンから車だったが、2度目はトロントからのツアである。
ナイアガラの風景、霧の乙女号など、なつかしく見た。夜、滝がライトアップされるが(写真)、その演出の照明係も紹介された。

2回の訪問に、約40年のギャップがあるが、観光地としての整備状況は大変な差がある。1500万人も観光客が来るのだから、当然かも知れない。しかし、カジノが存在し、しかも活況を呈していた。日本でも、”沖縄にカジノを”と言う政治家もいる。しかし、観光地のワンパターン化ではないだろうか。

ナイアガラは、他にない観光資源である。その偉大さを、十分に知ればいいのでは無いだろうか。

「アナザースカイ」はナポリ・ポンペイ 私の関心は外れています

2009-12-26 19:55:02 | 外国-旅
日本テレビ、25日、荒俣宏の「アナザースカイ」は、ナポリ、ポンペイでした。2001年に訪ねた地です。
ナポリは、普通では訪ねない場所の裏見学でした。地下都市など、古い都市の、歴史の深さを感じさせます。

ポンペイは、公開されている場所の見学なので、ほとんどのシーンに、見覚えがあります。紀元前に、都市計画に沿った街があり、その政治、経済、生活が伝えられていることは、驚きです。

個人的には、車道・歩道の完備、水道などに関心があります。水道管に、鉛管が使われ、それがイングランド産との説明がありました。この時代に、“管をつくる技術があったのか”など、変なところに疑問を持ちました。工学部に居たせいでしょうか。

我が国の歴史に比較すると、ローマ時代の文明には驚くばかりです。写真は、ポンペイの道です。

旅とタバコ タバコ税値上げのニュースから・・

2009-12-22 13:34:47 | 外国-旅
政府は、タバコ税を5円値上げするとのことです。わたしは、喫煙者ではありません。したがって、影響はありません。吸わないために、困ったこともありません。

吸いません、1966年に渡米しました。JALはサンフランシスコまでで、国内線に乗り換えましたが、食事に数本入りのタバコと、チョコレートが付いているのに驚きました。その後も、国内線に乗ったとき、タバコのサービスがありました。
ボストンの街をあるいていると、数本入りのタバコを配られることがありました。タバコ会社の宣伝です。タバコが健康に害がある、などは言われませんでした。

外国旅行のとき、タバコをお土産にしたこと、小道具に使ったことがあります。学会のバンケット会で、日本のタバコを配りました。話題づくりになります。また、タクシーなど、チップに追加しました。これは、喜ばれましたね。

ところが、バンケットの席上、7,8人が居る席で、タバコを吸う人が1人居るか居ないかいになりました。1992年を最後に、タバコを持っていくことは止めました。

1993年、調査団でアメリカに行ったとき、一行の半数が喫煙者でした。ところが、ほとんどの建物内が禁煙です。また、航空機内、空港内が禁煙で、半日以上も禁煙タイムが続きました。このとき、タバコを吸わないことの幸せを実感しました。
かつて、航空機の中で、タバコの煙に悩まされたことが、信じられない世の中です。タバコは、1箱千円でも構いません。

日米で大雪情報 アメリカの寒波にぶつかったことがあります

2009-12-21 13:18:25 | 外国-旅
日本海側は、12月としては記録的な大雪に見舞われています。一方、ニューヨーク、ボストンなど、アメリカ東海岸も大雪と報道されています。

2000年から2001年に変わる時、アメリカ東海岸で過ごしました。何年ぶりかの寒波で、ニューヨークに出ても、ティファニーやトランプタワーで、暖をとる有様です。

バスで30分ほどのニュージャージーで、新年を迎えました。30日から、31日にかけて雪です。住宅街ですが、2,3時間おきに除雪車が走るのに驚きました。車社会ですから、自動車が走れないと、致命的です。

あまりの寒さに、マイアミに移動しましたが、マイアミでも暖かさを感じませんでした。

1967年の新年はボストンで迎えました。12月に雪は降りましたが、量は多くありません。ただ、寒いため、春まで残りました。スリップした車が、目の前で事故を起こす様子も見ました。鹿児島育ちの身には、初めて経験ばかりでした。


ホテルがハイヤーを営業? シアトルで

2009-12-14 12:16:33 | 外国-旅
シアトルのウェスティンホテルに、1週間ほど滞在しました(1998年6月)。帰国するので、ベルボーイにタクシーを頼みました。

すると、“ホテルの車で行かないか。タクシーと同じ料金だ“。車種は不明ですが、正面に立派なセダンが止まって居ます。ここのタクシー料金は、ゾーン制で、空港までの料金はわかっています。

今まで、ホテルが有料の車をだす話は聞いたことはありません。運転手とベルボーイの臨時収入、とも思いました。しかし、タクシーより立派な車なので、乗りました。
2度とは無いような経験です。
写真は、同ホテルからSpace Needle 方向です。

シアトルは日本人にはなじみやすい! 世界街歩き 25

2009-12-12 16:20:28 | 外国-旅
11日夜の、NHK世界街歩きはシアトルでした。懐かしい風景が出るかと思ったら、古い町並み中心で、場所が違い残念でした。

街の中心ウェスティンホテルに泊まりました(1998年)。パイク・プレース・マーケットに近く、毎日のように行ってみました。食べ物も安く、レベルの高い大道芸もあります。

西にあるIssaquahの、Boehmsチョコレート工場、滝、屋根のある橋などは訪ねました。
また、湾内のBlake Islandの Tilligum Villageで、先住民族の風物を見、インディアンスタイルの鮭の料理をいただきました。写真はパンフレットからです。

ホテルに日本料理店がありましたが、魚が美味しく、お寿司も日本と遜色ありません。イチローが行く前で、シアトルの知名度はない時代ですが、リピータになりたいと思いました。
アメリカ西海岸は、日本人には馴染みやすいですね。
24は 10-July-2009です。

ロックフェラーセンターのクリスマス ツリー 寒かった!

2009-12-04 10:12:31 | 外国-旅
昨日、ニューヨーク・ロックフェラーセンターで、クリスマスツリーが点灯しました。クリスマスの風物詩です。
ニューヨークはたびたび行きました。ただ、ロックフェラーセンターへ行ったのは、2度しかありません。1966年11月のときは、スケート場がオープンしていました。2000年は、12月29日ですが、前で写真を撮りました。夜でないのが残念です。

個人的な感想では、ツリーは建物の間ではなく、広場の方がいいですね。人の多さと、寒さの記憶がのこります。この夜、大雪になり、翌日は交通が混乱しました。雪の中の夜景を見るべきでした。

アメリカのクリスマスの時期は、街・家庭の電飾がきれいです。電飾以外にも、いろいろな飾りが道行く人を楽しませてくれます。かつてのボストン・コモンの公園、ニュージャージーの住宅街の飾り付けなどが、印象に残ります。

1ドルが360円の時代、日本人は貧乏だった! 統計外!

2009-11-29 10:33:05 | 外国-旅
米国に1966年に渡りました。1ドル=360円で、レートが固定制の時代です。
当時の私の給与を、ドル建てにして説明すると、それで生活できるのか、と言われました。いわゆる生活保護レベル以下とのことです。大卒12年で、70ドルくらいなので当然でしょう。

私の居たマサチュウセッツ工科大学MITでは、卒業後にどのくらいの給与をとるか、統計をとっていました。ところが、日本で給与を貰うと、米人とかけ離れ、統計値が低くなります。そこで、日本人は除外すると聞きました。

時代は変わりました。この円高の時代、日本人の収入をドルに換算すると、欧米人に比べて、かなり高給取りです。しかし日本人の生活の実態は、今まで豊かと感じたことはありません。どこに差があるのでしょうか。

ヘイマーケット(ボストン)は、相変わらず活気があります

2009-11-07 11:18:00 | 外国-旅
土曜日の朝、TBSの番組に、“知っとこ”があります。そのコーナーに、街の紹介と新婚さんの朝食作りがあります。7日はボストンでした。新婚さんの料理に、名物のクラムチャウダーがありました。
40年以上も前に、大ボストンに滞在していたので、懐かしい名所、風物に接しました。大きな差は、歩く人が多くなり、観光の視点で整備されたことでしょう。

街の風物で、ダウンタウンの“ヘイマーケット(Hay Market)”が紹介されました。古い露天商が中心のマーケットでした。再開発でどうなったか心配でしたが、健在です。レタス2ヶで1ドル、大きな生の蛤が1ドルなど、スーパーより安いし、生きもいいようです。

当時の店は、イタリア系の人が多かったですね。果物屋のお兄さんが、オレを撮ってくれとポーズを作りました。
1994年に再訪したとき、ヘイマーケットに行かなかったのは残念です。

欧州のハブ空港 アレコレ

2009-11-05 12:15:20 | 外国-旅
3日の朝日新聞に、欧州のハブ空港の激戦がまとめられています。利用者数の多い順に、12空港をあげています。ロンドンのヒースローがトップで、6800万人、12位のミラノが2300万人です。12空港中、利用したことのないのは、イスタンブールとミュンヘンだけです。

日本では、成田が3380万人、羽田が6300万人とのことです。利用者数では、遜色ありません。
羽田が上位にあるのは、国内線の便が多いためでしょう。羽田は、都心に近いてんでは、ヨーロッパといい勝負かも知れません。しかし、ロンドンの二つの空港、パリの二つの空港は、羽田なみです。ニューヨークの3つの空港も近いですね。それに、日本との差は、滑走路の数・空港の広さ・ゆとりでしょう。綱渡り的な感じを持たせません。

成田が国際便、羽田が国内便の役割分担にしては、両空港の間は遠すぎます。羽田の国際便の増・ハブ化は、利便性と、アジアの各ハブ空港との競争からも必要と思います。

ファミリーレストランの初体験 ― 1966年、ボストンでした 旅の食事 24

2009-10-30 10:41:07 | 外国-旅
スカイラークが、閉店したニュースが放映されました。1号店は国立だそうですが、地元の国分寺店もそれに次ぐ開店だったと思います。駐車場がないので、閉店は早い方でした。

1965年の12月30日、忙しかったので、夕食を外食しようと街へ出ました。子供が小さいときです。ところが、駅前の洋食屋が休みです。スバル360で心当たりへ行きましたが、すべて休みに入っていました。
“スシや”と“そばや”は、開いていましたが、行く気になりません、結局自宅に戻りました。ファミレスはもちろん、スーパーもない時代です。

1966年、アメリカに渡りました。同じアパートのアメリカ人が、食事をおごってくれたのが、ファミレスの初体験です。ボストンのHoward Johnson でしたが、全国チェーンではなかったようです。大学の学長と同じ名前だったので、記憶に残ります。
メニューの豊富さと、安さに感激し、それから時々利用しました。日本でも、デニーズ、Volks、スカイラークなどがオープンしました。車で、30分かけて行ったファミレスもあります。

草分けのスカイラークの閉店は寂しい気がしますが、選択肢が増えましたね。歩く範囲に2軒、車で5分の距離に6軒くらいあります。今昔の感に堪えません。

五稜郭の原型のあるボルチモアで カニを飽食 旅の食べ物 23

2009-10-22 10:28:10 | 外国-旅
カニのシーズンです。カニのバラエティは、日本ほど多いところはないでしょう。アメリカでも、カニの有名なところがあります。メイン州では、道ばたで、ボイルしたカニを売っています。サンフランシスコでも試しました。

記憶に残るのは、ボルチモア(ワシントンDCから半時間程度)のカニです。NASAに居られたH博士のお宅に招かれました(1967年11月)。カニのシーズンだからと、用意されたのが適当なサイズで、1人あたり1ダースでした。越前ガニに似たカニです。火ばさみで、カニを大鍋に放り込み?ます。1ダースが2-3ドルと聞きました。

一生の中で、これほどカニを食べたことはありません。ボルチモアは、内陸だと思っていました。しかし、湾に面しており、五稜郭そっくりの 砦Fort McHenryがあります。1814年、英海軍との海戦もあったことを、このとき知りました。形状は五稜郭と同じですが、スケールは五稜郭の方がおおきいですね。