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ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

花の公園に流れるオルガンの響き 旅と音 2

2008-02-22 11:01:52 | 外国-旅
 ヨーロッパの町中で、ストリートオルガンを見かけることがあります。アムステルダム郊外のキュッケンホフ公園の中で、その演奏がひびいて居ました(2005年5月)。

 このオルガンは、空気の流れを孔の空いた、幅広の紙テープでコントロールします。紙テープを取り替えると、曲が変えられる小型のパイプオルガンと見ることが出来ます。

 花の公園に流れる、オルガンの音色はいいものでした。

野生カンガルーの居るゴルフ場  旅と動物 8

2008-02-21 11:15:43 | 外国-旅
 ケアンズの北に、“野生のカンガルーが出没するゴルフ場があります”、とのことでツアの途中で立ちよりました(2004年、8月)。

 木立の多い、平坦なゴルフ場で、あちこちにカンガルーの姿が見えます。プレイしている人より、カンガルーが多かったようです。カンガルーは、ボールに興味を持たないから、プレイのじゃまにならないでしょう。オーストラリアらしいですね。

北京の大鐘寺-ミュージックベル?  旅と音 1

2008-02-20 21:42:12 | 外国-旅
 仕事柄、旅でも音に関係するものには興味を持ちます。定番は、教会の鐘、お寺の梵鐘です。しかし、定番ではないものに会うと嬉しくなります。

 大鐘寺(1732)、古鐘博物館が北京にあります。高さ6.75m、直径3.3m、重さ46.5トンの永楽大鐘など、多くの鐘があります。興味を惹いたのは、音楽を奏でる-ミュージックベル?-です。教会などのベルから見ると、大きさも数も違います。

 西欧音楽の律とは、違う音程と思いますが、実際の演奏を聴きたかったですね。
日本の観光客は訪れることは、少ないでしょう。国際音響学会(1992)のツアだったので、コースに含まれたのかも知れません。

浮かび上がるプラハ城 旅の夜景 5

2008-02-19 18:05:12 | 外国-旅
 チェコのプラハ城は、ヴォルヴァ河に面した丘の上にあり、14世紀までに建てられました。王宮、宮殿、教会などがあります。今は、博物館、美術館になって居ます。大統領府もあり、衛兵が入り口に立っています。

 夜はライトアップされ、壮大な建築が浮き上がります。プラハは尖塔の街と言われ、多くの教会がありますが、プラハ城は夜の主役でしょう。(2000年8月)

グーズの歩くゴルフ場(米、ミシガン州) 旅の風景 37

2008-02-18 17:53:37 | 外国-旅
アメリカのプロゴルフシーズンが、始まりました。私はゴルフ落伍者で、数回の経験しかありません。ゴルフに対しての感覚は、日米で大きな差がありますね。

ゴルフ場は、自然の中に作られます。ただ、場所によって、その特徴が違います。写真はデトロイトから1時間ほど北にある学園都市、イースト ランシングのゴルフ場です。

予約なしでプレイでき、日本の数分の一か十分の一のフィーです。下手で時間がかかるので、後の組に追いつかれたら、先に行って貰うつもりでした。遂に、追いつかれませんでした。皆、のんびりしていますし、人も少ないですね。
クラブハウス前を歩いて居る鳥の群は、グーズでしょうか(1995年夏)。

南極の石 観測隊のお土産です  旅の土産 2

2008-02-17 10:50:05 | 外国-旅
 最近、南極の極点に到達した女性が、ニュースになりました。一方、南極観測隊の活動は、ニュースになることも少なくなりました。
 今日の新聞は、2月15日に観測船「しらせ」がその役を終え、帰国の途に付いたと報じています。48次の越冬隊、49次の夏隊が帰国します。

1次(1956年発)の観測隊から、勤務先の研究所は、越冬隊員、夏隊員を派遣しています。同じ研究室の同僚は、3次隊で越冬しました。したがって、南極の写真や越冬生活、観測についても種々の知識を仕入れました。
 初期は、探検の要素がありました。多くの観測の成果-オゾンホールの観測などがあります。まだ未知の事象を極めるための観測・研究が続けられています。

初期のお土産に、南極の氷があり、それを使った水割りで、氷が音を立てることを知りました。最近は、南極の氷も珍しくないですね。南極の砂、石などのお土産もあります。写真の石はその一つですが、いつのお土産かはわからなくなりました。

アトランタ オリンピックの年、大ホテルに泊まる ホテル 3

2008-02-16 14:50:14 | 外国-旅
 アトランタ・オリンピックの1996年、アトランタに滞在しました。アーサー キング牧師の記念館、コカコーラ、CNNの本社もあります。マーガレットミッチェルの家が再建されています。南北戦争の激戦地でもあり、記念館もあります。

 北京のような騒ぎはありませんが、街はオリンピックの工事が盛んでした。

 マリオットマーキスホテルに泊まりました。都心にあり、1674室の大ホテルです。ホテルのロビーから、上空を見た造形美は、大変なものです。なんとか、カメラに納めました。

クリントン ホテルに泊まりました(ニュージャージー) ホテル2

2008-02-15 10:20:01 | 外国-旅
民主党の大統領候補、オバマ vs ヒラリー クリントンの戦いは、白熱しています。オバマ優勢のようですが、国内では、オバマと発音が同じ小浜市、島原の小浜温泉などが、オバマ候補を応援し、話題になります。
ヒラリーの名は、ちょっと日本ではなじみがなく、競走馬の名前や沖縄にゆかりがあるとのことです。

マンハッタンから、バスで30分余、ニュージャージーのテナフライ市(Tenafry)に、クリントン道路があり、クリントン イン(Clinton Inn)があります。2000年末に、2泊しました。近くに、長男が住んで居た縁です。

小さな街ですが、鉄道は撤去され、小さな駅舎付近に、スーパーや店が集まっています。そこから数分の所に、低層建築のホテルがあります。周囲には、木立に囲まれた建物が散見されます。写真は、レストランの入り口です。晴天ですが、2日後には、大雪になりました。

1泊210ドルは、ちょっと高かったですね。モテルと同じ位置づけの宿でしょう。

ボストンの空がアメリカ風?に変わった 夜景 4

2008-02-14 11:07:39 | 外国-旅
 なじんでいたボストンは、27年ぶりに訪れたら、すっかり変貌していました。かつて、都心でJ. F. Kennedy Center を中心に開発中でした。

以前はここに写っている高層建築物の多くははありませんでした。古い建物は残されていますが、近代化のイメージが強くなりましたね。写真の左側にも、多くのホテル、ビルが同じような高さを競っています。この写真は、ピア(Pier)4から撮りました(1994)。

以前は、“古いものを勝手に見てください”でした。市内観光バス、ショッピングセンター、ホテル、見せる展示等、観光のソフトが向上しました。すこし、きれいになりすぎたようです。

ワシントンDCは黒人が多かった? オバマ圧勝! 旅の風景 36

2008-02-13 18:23:51 | 外国-旅
ワシントンDCはじめ、近隣の州で、民主党オバマ候補が予備選で圧勝中とのことです。ワシントンで、黒人パワーに圧倒されたことを思い出します。

学会の発表を好評裏に終え、夕食をステーキにしました(1976年)。この機会に、何か実演を見ようと、劇場のある一帯を歩きました。

黒人バンド-Taverns-とあります。チケット売り場で“これは映画ではない、**音楽だ”とお姉さんが念をおします。わかっていると答えてチケットを買い、中へ入りました。その理由がわかりました。7割くらいの入りですが、私以外はすべて黒人客です。

バンドの演奏、トークに、客席は一体となり、すごく盛り上がります。しかし、場違いは明らかなので、30分余で退散しました。この楽団、日本のテレビで一度紹介されました。当時、ワシントンの住民の6割以上は、黒人とのことです。

写真は、ホワイトハウスの見学で、順番待ちの人です。わたしも1時間余り待って、中へ入りました。ここは、お上りさんばかりですね。

水陸両用車に乗りました(オーストラリア) 旅と車 5

2008-02-12 11:54:31 | 外国-旅
かつて、ドイツに水陸両用の乗用車(NSU?)があったとの記憶があります。日本では、大阪、諏訪湖などで、水陸両用のバスが運行すると聞いています。観光用として運行するので、多くの人が体験できるでしょう。

水陸両用車は、オーストラリアで乗れます。ケアンズの北にあるキュランダのレインフォレストです。1942-44に作られたアーミーダック(Army Dukw)が、観光用に運行しています。定員は20人ぐらいでしょう。エンジンは、当初のものではないそうです。

軍用ですから、悪路も大丈夫です。水上6ノット、地上50マイルでるそうです。2003、2004年の2回、のんびりと熱帯雨林の丘と湖を通して乗りました。湖には、ワニやウォータードラゴンがいます。運がよければ、幸運をよぶ青い蝶ユリシーズ・バタフライを見ることができます。

サンフランシスコでノブヒルに泊まった ホテル 1

2008-02-10 12:01:02 | 外国-旅
サンフランシスコは、坂の町、ケーブルのある町として有名です。アルカポネが収容されたアルカトラス、埠頭、ゴールデンゲートブリッジ、チャイナタウンなど、多くの名所があり、日本からの観光客も多いですね。

ショッピングなどの中心街、ユニオンスクエアから坂を上がった所に、ノブヒルがあります。かつて高級住宅があり、港が見渡せる風光明媚な地です。

ここに、歴史のあるフェアモント サンフランシスコ ホテル、インターコンチネンタル マークホプキンス ホテル、スタンフォードコート アル ルネッサンス ホテルがあります。この三つのホテルを使って、1994年に学会が開かれたので、スタンフォードコートに泊まり、各ホテルをゆっくりと巡りました。映画“風と共に去りぬ(1939)”に、スカーレットオハラが、豪華な階段を下りて来るシーンがありますが、マークホプキンスには、そのシーンを撮影した階段があります。

ホテルの部屋は、わが家くらいの広さで、カラーテレビが2台、電話が3台ありました。少しゴミがると、気がついたときにはゴミは片づけられ、タオルを使うと、タオルが新しくなるなど、今まで経験しないサービスを受けました。学会レートで、部屋代は119ドルでした。この部屋代の3倍も払った事がありますが、これほど行き届いたサービスは経験したことはありません。

写真は泊まったホテルの街角で、ケーブルの駅前でもあります。

チェックイン無しでした(トロンハイム、ノルウェーで) 旅の風景 35

2008-02-09 11:49:23 | 外国-旅
トロンハイム(Trondheim)は、ノルウェーの旧都で、オスローより北に1時間くらいの地です。史跡も多く、国王の戴冠式もここの教会で行われます。

フライトの時刻に合わせて、ダウンタウンからリムジンが出ます。それに乗って空港に着き、オスロー行きの搭乗手続きの列に並びました(1995)。学会の終了後でもあり、かなりの人数です。ところが、受付は1人しかいません。しかも、地元の人がトラブルらしく、その受付と延々と議論しています。外国では、どんなに行列が長くても、1人の客との対応が長びいても、急ぐことはしません。

出発時刻が迫るのをいらいらしながら、みんなじっと待っていました。出発予定の数分前、やっと決着がつきましたが、20人以上は待っています。すると係員は声を張り上げて、「皆、航空券は持っているか、持っているなら切り離して渡して進め、荷物は途中に荷物の投入口があるから、そこから下のトラックへ落とせ」とのことです。

したがって、搭乗券の発券もなく、トランクを押して飛行機の乗降口へ進みました。荷札のないトランクを、各人が滑り台風のダクト(写真)を通してトラックに落とします。もちろん、客席は自由席です。それでも、人も荷物も無事にオスローへ着くことができました。

ただ、落下の影響でトランクにひびが入り、次の旅行で完全に壊れました。荷物専用のダクトがあり、運搬用のトラックが下で待機して居るところを見ると、この手順は日常的のようです。

航空機は170人乗りくらいでしょうか。感心したのは、シート間隔が、国際線のSASより広かったことです。小さな飛行機に乗ったことはありますが、搭乗手続きがこれほどアバウトな経験はありません。
秒を争う処理、厳密さがなくても世の中は回転することも忘れないでいましょう。
 

空港のアシストカー(オランダ、スキポール空港) 旅と車 4

2008-02-08 22:14:58 | 外国-旅
 空港には特殊な車が多く、見ていると飽きません。しかし、広い空港のコンコースは、歩行の困難な人のための自動車と車椅子くらいでしょう。

 始めてアシスト用の電気自動車を見たのは、アムステルダムのスキポール空港でした(1984)。2005年に同空港で見た車は、ほとんど同じデザインでした。写真は最初に見た車で、充電中です。コドモにとっても、興味津々の乗り物です。

 欧米、オーストラリア、ニュージーランドの空港でも見かけました。年配の人が、荷物と一緒に送られます。しかし、日本の空港では、気がついたことがありません。存在しないのか、気が付かないだけかは分かりません。

メイフラワーに乗った(プリマス、米) 旅の風景 34

2008-02-07 11:29:55 | 外国-旅
 ピルグリムファーザースが、メイフラワー号でプリマスに上陸したのは、1620年の12月26日です。ここには、米大陸への第1歩を印したプリマスロックがあります。

 近くに、1947年に開設した開拓村(Plymouth Plantation)があり、メイフラワーⅡ世号が展示されています。ボストンから、車で1時間余の地です。

 メイフラワーは、102名を乗せるには小さな船です。66日かけて、大西洋を渡ったそうですが、厳しい船の生活が想像されます。それでも、赤ちゃんが2人生まれました。
 メイフラワーⅡ世号は、英国で作られ、1957年に帆走してこの地に着いたそうです。

 これらのサイトを訪ねたのは1967年ですが、今も運営されています。当時の入場料は、開拓村、船とも各75¢でした。