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ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)

情報・通信の世界に半世紀以上います。擬科学の横行には??です。世情の動きにも切歯扼腕することがあります。

ショパンの生家にて(ワルシャワ郊外) 旅と音 5 (4は3月1日)

2008-06-17 14:52:58 | 外国-旅
ワルシャワ滞在中(1997年)、イースターの休日が挟まり、店もレストランも休みでした。ショパン(1810-1849)の生家-博物館は開いているとのことで、約50キロ西に走りました。

広い木立の中に、生家はあり、小川に面しています。当時のままに室内は残され、種々の記念品が陳列されています。写真はショパンが使ったピアノで、自筆の楽譜が掲示されています。当時のアップライトは、このような形をしていたのでしょうか。

他にも、グランドピアノや、日本製のピアノもありました。売店には、ショパンコンクールで優勝した人のCDを販売しています。日本人の名もありました。
自然が一杯の環境です。それが、天才を育てたのでしょうか。

クラスメートとの出会い(ボストンで)  旅の偶然

2008-06-16 19:54:57 | 外国-旅
旅で偶然とも言える、希な経験をすることがあります。ただ、事故には遭いたくないですね。

ボストン滞在中の1967年、日本食が食べたくなりました。大学のクラスメート、M君が同じMITにいました。彼を誘って、唯一とも言える日本食レストラン「京都」へ行きました。

日本人客が7,8割でしょうか。遠くで食事している1人が、何か見覚えがあります。相談の上、声をかけてみたら、2年まで級友だったU君でした。彼は出張中で、たまたまボストンに来ていました。15年振りの再会です。

ビールとつまみを買い込んで、近くのM君の部屋へ行きました。フィラデルフィアで、同じタクシーに2度乗ったことがありますが、確率的にはもっと少ないでしょう。

親切なマネージャーは60マイル離れたスキー場へ案内 ホテル 9

2008-06-15 14:31:11 | 外国-旅
滞米中、何度かスキーに行きました(1967年1-2月)。ボストンから1-2時間走ると、手近なスキー場へ行けます。医科歯科大のN先生夫妻と遠出して、ニューイングランド最高峰のMt.Wasington(ニューハンプシャー州)付近のスキー場に行きました。

ただ、雪質には恵まれませんでした。見かけたGlen House & Cottageに泊まりました(絵はがき、1泊6ドル)。30室くらいです。ロビーに居たら、マネージャーが、“日本人か”とのことです。彼はスコットランド出身で、新聞記者をしていたとき、日本に居たとのことでした。

日本の話で盛り上がり、チャーハンをご馳走になりました。雪質の話になったら、“友人の居る会員制のスキー場が、北向きで雪質がいい、明日連れて行く”とのことです。どのくらい遠いのかと聞いたら、“60マイル”でした。

100キロ離れた地を案内してくれるなど、日本では信じられません。1時間で行けるは、本当でした。おかげで、会員制のスキー場で滑るという、得難い経験をしました。

学生寮に泊まってみました(ロンドン) ホテル 8

2008-06-14 15:31:09 | 外国-旅
王立理工科大学で学会が開かれました(1974)。Kensington Garden、Hyde Parkと、地下鉄のSouth Kensingtonの中間です。ロイヤル アルバート ホール、地下鉄の駅も数分の距離で、地の利のいい場所です。

大学が学生宿舎を開放するので、申し込みました。夏期は、学生は退寮して、それをサマーコースや、学会の宿泊に利用するのが、欧米流です。

アメリカの学生宿舎は知っていましたが、日本とは質的に大きな差があります。若かったので、英国で経験しようと考えまし。

10階建てで、エレベータがあります。広さは10-12畳くらいで、クローク、立派な机と電気スタンド、洗面台にベッドです。ホテルより広い感じがしました。テレビはありません。5室に対して、共用のバスが1つ、シャワールームが2つ、トイレが2つです。

食堂で、朝食をとりました。おかずは簡単でしたが、食べ放題、飲み放題です。日本の学生宿舎は、まだこのレベルに追いつきませんね。

荒れているが空港ビルです 中国の風景 11/旅のトイレ 7

2008-06-13 22:44:34 | 外国-旅
敦煌空港が閉鎖中で、300キロ以上離れた嘉峪関に降りました(1993年)。ここに、万里の長城の西端の関、嘉峪関があります。

写真は駐機場から、空港ビルへ入る乗客です。この草の生え方は、不吉な感じをあたえました。慌てて、トイレに飛び込みました。実は、西安からの飛行機は、トイレが故障で、1つしか機能していません。多くが、我慢していました。

結論、トイレが汚れすぎていて、入る気が起きません。男女とも、多くの人が草むらへ入りました。広い空港を、草がおおっていました。空港が汚れ放題は、ローカル空港とはいえ信じられません。15年前のことです。今はこんなことはないでしょう。

2挺拳銃のウェイトレス(西部です) ユーモアのある風景 14

2008-06-12 14:21:27 | 外国-旅
ボストン埠頭の「シーフード レストラン Jimmy’s」 は、ウェイターがルイ王朝時代の召使いスタイルでした。建物、港の雰囲気とぴったりでした。

米国横断旅行(1967年)の途中、4人の大統領の顔の彫刻で有名なブラックヒルズ(南ダコタ州)に寄りました。近くの小さな町Custerで、写真のモテルに泊まりました。その絵はがきには、30室、エアコン付き、レストランは近くにあり・・などとあります。

そのレストランに入りました。ウェイトレスは、かつての西部の服装で、2挺拳銃です。ただ、どう見ても、女子高生のアルバイトでした。

ステーキの “ニューヨークカットはどんな肉か”、“リブロースの大きさは?”などと質問すると、その度に調理場へ駆けて行きます。商品知識はゼロに近いのですが、一生懸命さが伝わってきました。残念ですが、2挺拳銃姿の写真はありません。

夏休みに入ると、ファストフード、レストラン、商店の人手が増えます。高校生、学生が働いてお小遣いを稼ぐ季節-が実感されます。

17世紀の兵士はスニーカーを履いていた ユーモアのある風景 13

2008-06-08 16:12:06 | 外国-旅
ピルグリムファーザースが、メイフラワー号でプリマスに上陸したのは、1620年の12月26日です。ここに、米大陸への第1歩を印したプリマス ロックがあります。ボストンから、車で1時間余の地です。

近くに、1947年に開設した開拓村(Plymouth Plantation)があり、メイフラワーⅡ世号が係留されています。

プリマス プランテーションでは、当時のが再現され、生活の様子もわかります。砦でもあったので、砲があり、当時の服装をした兵士が、マスケット銃の試射のデモをします。おかげで、火縄銃の装填や打ち方がわかりました。

ただ、兵士の服装は当時を彷彿とさせますが、靴がスニーカーでした。ちょっとつや消しです。日本なら、わらじ履きだろうと思います。大砲も残念ながら、プラスティック製で叩くと軽い音がします。

ボストンには、18世紀の軍艦Old Constitution が係留され、見学できます。この船は軍籍があり、大砲もホンモノでした。
 
これらのサイトを訪ねたのは1967年ですが、今も運営されています。当時の入場料は、開拓村、船とも各75¢でした。(関連記事:2008年2月7日)

学位の授与にはガウンが似合います(ハーバード大学で) 旅の風景 90

2008-06-07 10:59:07 | 外国-旅
日野原重明先生(聖路加病院理事長、96歳)が、今日7日の朝日新聞Beで、ハーバード大訪問から、米国の私学、医学部についてコメントして居られます。

ハーバード大は、地下鉄1駅、徒歩20分の地に住んでいたので、よく訪ねました(1966-67)。歴史を感じる建物が多く、博物館もあります。また、籍をおいたMIT(マサチュウセッツ工科大学)とは、授業の提携もあります。生協(COOP)が共通だったので、よく利用しました。

1994年6月、久しぶりに訪ねました。学位授与が終わった所で、学内にはその名残があります。ガウンを着た年配の女性が、テレビのインタービューを受け、写真を撮っているところに出会いました。教官か授与された人かはわかりませんが、それなりの人なのでしょう。ガウン姿も、いいものですね。

埼玉大の博士の学位授与で、サンダル履き、セーター姿で学位記を受け取ったヒトがいました。一方、外国人はほとんどが、民族衣装の盛装でした。学位の重みの差でしょうか、意識の差でしょうか。

高速道路のトイレが有料だった(オランダで) 旅のトイレ 5

2008-06-06 21:04:32 | 外国-旅
日本の高速道路は、通行料は高いが、サービス エリアの施設は整っています。特に、観光バスが5,6台同時に着いても十分なトイレが完備しています。しかも、衛生的にも○でしょう。

欧米では、高速道路は無料が多いので、自由に道路を降りることができます。そのためか、日本的なサービス エリアにはお目にかかりません。

ベルギーからアムステルダムへの途中、高速道路沿いのドライブインに入りました(2005年5月)。カフェテリア、コンビニ並みの売店、マックがありました。

トイレは有料で、オバサンが入り口にいます。お目にかかったことのない“マックで有料トイレ”、のように思えました。習慣の差ですが、日本のサービス エリア、パーキング エリアの方がいいですね。

ニュージーランドの田舎で行列  旅のトイレ 4

2008-06-05 17:06:31 | 外国-旅
ニュージーランドの第1印象は、“空気がおいしい”でした。北島のオークランドから、南島のクライストチャーチへ飛び、バスの旅に入りました(2002年9月)。

1時間ほど走ったとき、広野の中の1軒屋-ウール製品中心の“Tin Shed”で、トイレ休憩をしました。名のとおり、ブリキの開拓地風の作りです。100人くらいのゲストは収容できるでしょう。ただ、トイレは男女各1ヶだけです。女性側は、写真のように行列でした。行列が終わってから出発との、店の作戦でしょうか。

土地にゆとりのある場所なのに、トイレに対しての考え方は違うようです。

恐竜の骨を売っていた ユーモアのある風景 12

2008-06-04 13:57:10 | 外国-旅
恐竜は、子供達の関心の的です。骨格や、模型の展示が博物館を中心に開かれます。40年も前は、日本では恐竜の地位は低かったですね。しかし、アメリカではニューヨークの自然史博物館を始め、各地で骨格標本を展示していました。アメリカで、多くの化石が発掘されることも一因でしょう。

1967年のことです。ボストンから西へ、大学の見学にでかけました。100キロほど行ったAmherstの近くで、ステゴザウルスの看板を見つけました。

行って見たら、小さな店で、骨の展示と骨や恐竜グッズを売っています。立っている骨には、“恐竜の脚の骨“と札がついています。ただ、Openの札は出ていますが、ロックされ、人はいませんでした。

「こんな商売があるのか」が当時の感想です。今もあるとしたら、盛況かも知れません。
なお、ピッツバーグの博物館では、恐竜の足跡の化石を売っていました(1994年)。

イエロウストンで、テントを張りました 旅の風景 89

2008-06-03 10:48:23 | 外国-旅
四川大地震のために、日本から400張りのテントが空輸されました。雨期の避難生活は、大変でしょう。テントでは不十分かもしれません。
私は、テントを利用したことは一度しかありません。場所柄、記憶に残ります。

1967年の夏、ボストン発でアメリカ横断旅行にでました。大学で知り合った、東大の佐藤先生のフォルクスワーゲンで、同行2人です。

 普通は、AAA(JAFのような組織)指定のモテルにとまりました。イエロウストン国立公園では、キャンプすることにしたので、パークレンジャーに指示を仰ぎました。「フォロウミー」でテントを張る場所まで案内して場所が決まりました。「熊がでるから、テントの中に食べものを置かないように」と注意がありました。

 キャンプサイトには、水道、水洗トイレがあります。当時の日本のキャンプの非衛生さは、有名だったので、そのギャップに感心しました。

テントを張りにかかったら、説明書のない借り物のテントで、完成時の形がわかりません。手こずっていたら、近所のテントから手伝いに来てくれました。次は、ホワイトガソリンランプの点け方がわかりません。これも助けて貰いました。米国人の親切さを感じる旅でした。

ユニバーサル スタジオ 設立して間もなく行った

2008-06-02 09:08:18 | 外国-旅
ユニバーサル スタジオ ハリウッドで、大きな火災が起きました。ホームページを見たら、休場との案内があります。ここは、1964年に設立されました。私は、1967年に訪問したから、まだ日が浅かったですね。

当時もスタジオの巡回、見学はありましたが、それこそ映画のセットをそのまま見せている感じでしった。ガイドの“このピアノは誰も弾けません。鍵盤しかないからです“などは、記憶にあります。

ディズニーランドへ先に行ったので、アトラクションに差を感じて、レピーターにはなれないと思いました。

1999年に再訪し、格段に進化したことがわかりました。しかも、USJと違い、アトラクションに待ち時間がありません。半日で、ほとんどすべてをクリアしました。

スタジオが多く、それがCMなどで利用されているとのこと、火に弱いのかもしれません。写真は当時の風景です。

”日付変更線通過証明書”をJALから貰いました

2008-06-01 14:59:10 | 外国-旅
鶴のマークの航空機が、運航を終わりました。淋しい気もしますが、時代の流れでしょう。
長い間、日本の国際線はJALだけでした。空港で日航機を見、日本語のアナウンスがあると、ホットしました。

1966年渡米のとき、羽田発のJALに乗りました。DC8で、米大陸への直行はできす、ハワイ経由です。

日付変更線通過証明書が、送られてきました。半面は、棟方志功の版画です。
当時の、往復運賃は60万円ですから、今の600万円くらいで、トンデモなく高価です。しかし、アルコールは有料でした。

1974年にロンドンへ行ったときは、アンカレッジ経由です。JALから“北極上空通過証”を貰いました。
JALの発着と縁のないボストンにも、立派なオフィスがありました。余分なコストをかけていましたね。

今のように、外国旅行が大衆化する時代が来るとは思いませんでした。

ストックホルムがゴミだらけでした 旅のユーモア 11

2008-05-31 14:47:04 | 外国-旅
イタリアのナポリが、ゴミで溢れている話は昨年から続いています。ゴミ処理のトラブルのようですが、軍隊が出動するなど、観光都市としてはイメージダウンですね。

ストックホルム滞在中、王様通り(Kungls Gatan)へ出てびっくりしました(1984年)。写真のようにゴミが続いています。このような風景は、他の都市でも見たことがありません。

この日は、6月1日です。学校は夏休みに入ります。前夜、街が盛り上がっているのは知っていましたが、これほどとは思いませんでした。

北の国では、夏休みは貴重で、楽しい季節です。区切りの日としてのお祭りでした。この日から、商店やファストフード、レストランの人手が増えました。学生のアルバイトです。
ゴミは、夕方までにはほとんど姿を消しました。得難い経験です。