団塊世代以前の方には懐かしい情景でしょう!
若い方もいつかドラマで見たような・・・
そうです 日本人の原点なんです・・・
「 セピア色のちゃぶ台 」
心でしか 帰れない セピア色の 思い出
無性に なつかしくなることが ありませんか
小さな ちゃぶ台を 家族みんなで 囲んで
少ない おかずを みんなで 分けあった
耳を澄ますと ・・・・
みんなの声が 聞こえてくるでしょう
テレビも 電話も ストーブも なかった
聞こえてくるのは 明るい声 だけです
小さな火鉢が ひとつでも みんなの体温で
すき間風の 部屋が ポカポカ 温かかった
・・・・
・・・・
今では 便利すぎることに 麻痺して 飽きて
また もっと 便利なものを 欲しがって
便利という魔物に 振り回されて
便利という魔力に 引かれ続ける
便利というものと 引き換えに 無くしたものは
一体 何だったのでしょうか
本当に こんな便利を 望んでいたのでしょうか
・・・・
2005年10月22日
笠原 道夫
若い方もいつかドラマで見たような・・・
そうです 日本人の原点なんです・・・
「 セピア色のちゃぶ台 」
心でしか 帰れない セピア色の 思い出
無性に なつかしくなることが ありませんか
小さな ちゃぶ台を 家族みんなで 囲んで
少ない おかずを みんなで 分けあった
耳を澄ますと ・・・・
みんなの声が 聞こえてくるでしょう
テレビも 電話も ストーブも なかった
聞こえてくるのは 明るい声 だけです
小さな火鉢が ひとつでも みんなの体温で
すき間風の 部屋が ポカポカ 温かかった
・・・・
・・・・
今では 便利すぎることに 麻痺して 飽きて
また もっと 便利なものを 欲しがって
便利という魔物に 振り回されて
便利という魔力に 引かれ続ける
便利というものと 引き換えに 無くしたものは
一体 何だったのでしょうか
本当に こんな便利を 望んでいたのでしょうか
・・・・
2005年10月22日
笠原 道夫
丸いちゃぶ台で みんながまあるくなって
みんなのかおをみながら 同じものを食べる
こんなことが日本人の、そして家族の原点
(ラジオはありました・・)
聞きながら用事が出来る。
どちらかと言うと貧乏だったかも知れないけれど
家族の和が一番大切だと、いつも夕食が終ると
まあるいちゃぶ台で駄菓子を食べながら、みんなが今日を語った。
いつもそこは温かかった。
物が溢れているのに、心が貧しくなった?
こんな世の中でも、心豊かに家族が仲良く暮らせるのは、
母のお陰だといつも有難く思っております。
子供達にもその心を伝えて行く責任を感じながらの日々です。
とても素敵な詩、ありがとうございます。
ほっとした気持ちになりました。
今日も、いい一日でありますように・・。
ご紹介、感謝いたします。
豊かな想いやり・優しさ・分かち合う気持ちが薄れましたね。
今こそ、われわれの出番だと思います。
物の豊かさが心の豊かさにつながらないのは、
豊かで便利なものを作りだした先人様への畏敬の念、
感謝がないからだと思います。
決して当たり前ではないこと、
当たり前に感謝して使わせていただく「ありがとう」を伝えていけるのは、
心が賢い我々大人の使命だと信じます。