もう一つの世界 !

せめて 週末だけでも スマホを伏せて もう一つの 心の世界を 歩きましょう !

嵯峨野 紅葉レポート1

2006年11月26日 | 団塊世代
「赤く染まる瞬間・・・」

嵯峨野 常寂光寺の 紅葉

太陽が 背景から 射し

空気が 赤く染まる

瞬間を 待ちつづけました

陽光 紅葉 屋根 が

響きあう 瞬間を

切り撮れました


2006年11月25日
嵯峨野 常寂光寺にて
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世界一高いビルは 台北の101タワー 

2006年11月23日 | 団塊世代
世界一高いビルは台北の101ビルで、まさにお上りさんのように37秒で89階まで一気に昇りました。残念ながら近々世界一の座を明渡すことになるようです。

完成すれば世界一の高さになる160階建てのビルが中東のドバイで建設されている。

160階建て(160 plus story)、高さ700メートルとなり、現在世界一高い台湾の101階建てFinancial Towerビルより200メートル高くなり、世界一のビルになります。

日本でもバブル期には1000メートルを超える超高層ビル構想が発表されたことがあります。やる気と資金さえあれば、窓の外から雲海が望めるようなビルを建てることが可能らしいのです。

世界のベスト10のうち8つがアジアとはビックリですね。

1位 台北国際金融大楼 台湾・台北市 508m 101階 李祖原建築事務所 2004年
2位 ペトロナスツインタワー マレーシア・クアラルンプール 452m 88階 シーザー・ペリ 1997年
3位 シアーズ・タワー アメリカ・シカゴ 442m 108階 SOM 1974年
4位 金茂大厦(Jin Mao Tower) 中国・上海 420.5m 88階 SOM 1998年
5位 香港国際金融中心・第二期 中国・香港 415.8m 88階 シーザー・ぺリ 2003年
6位 中信広場(CITIC Plaza) 中国・広州 391.1m 80階 劉榮廣伍振民建築事務所 1997年
7位 信興広場(Shun Hing Square) 中国・深圳 384m 69階 K.Y.チェン 1996年
8位 エンパイアステートビル アメリカ・ニューヨーク 381m 101階 シュリーブ・ラム&ハーモン 1931年
9位 セントラルプラザ(中環廣場) 中国・香港 374m 78階 劉榮廣伍振民建築事務所 1992年
10位 中国銀行タワー 中国・香港 374m 72階 イオ・ミン・ペイ 1990年

2006年11月23日
笠原 道夫
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台湾 台北 訪問紀 その2

2006年11月18日 | 団塊世代


台北市内中心部に228記念公園がありました。行ったときは幼児の
音楽発表会が行われていて、まさに「平和」を絵に画いた風景が広がっていました。名前の228が妙に引っかかり、いろいろ調べてみました。

目の前の「平和」にいたるまで、どんな道のりがあったのか。
記念碑と背景の高層ビルが二つの歴史を語っているようでした。

(大分日日新聞の 高 明さんのブログが大変参考になりました。
  ありがとうございました。以下その一部です)

台湾228事件

1945年、台湾が解放されて大陸から進駐してきた「祖国」の国民党
政府と国民党軍の台湾人に対する暴虐圧政は目に余るひどさだった。
官公庁の主要ポストはすべて大陸からのものが占め、軍隊による台湾人への
強姦、略奪、強盗殺人などは日常的で、台湾の特産品の米はほとんど大陸
へ運び出された。それまで豊かだった台湾で、餓死するものが出るようになった。
規律正しい日本軍が去って国府軍が来たことを、台湾人は
「犬が去って豚が来た」といった。犬は「番犬」になるが豚は「貪り食う」だけ。

台湾人の国民党政府、軍に対する怒りは暴発寸前までになっていた。
国民党軍進駐の翌々年の1947年2月27日、台北市で闇煙草を売っていた
老婆が警官に暴行(後に死亡)され、これに抗議した群集に警官が発砲、
市民の一人が射殺された。

これが発火点となって、台湾全島に反乱、暴動が広がっていった。
「228事件」の始まりである。
翌28日、台北市では台湾人が放送局を占拠し、台湾全土に決起を訴えた。
これに呼応して、暴動は全島に広がり、台湾人は怒りをたぎらせて大陸から
やってきた「外省人」に暴行を加えた。
外省人を区別するのに、日本の歌を歌わせたという。歌えないものは
外省人というわけだ。
ただし、殺すことはせずもっぱら暴行を加えるだけだったという。

大陸の国民党政府は、共産軍と内戦の最中で、敗戦が続いていた。
国民党政府は、最後の砦となる台湾の状況の悪化に驚き、鎮圧部隊を
台湾に送り込み、島内各地で台湾人の虐殺を繰り広げた。
国民党軍と話し合いを続けてきた台湾人の代表委員はほとんど殺害
された。だまし討ちにあったのだ。
台北駅の西にある台湾鉄路局のベランダからの機銃掃射で、多くの市民が
バタバタと倒された。

暴動に関係ないものでも、台湾人であるということだけで、その場で手足を
縛られて射殺された例もある。
基隆市では、多くの台湾人が手のひらに針金を通されて射殺され、そのまま
港の海に投げ込まれた。
もっとも暴動が激しかった南部の嘉義市の駅前では、たびたび公開処刑が
行われた。

私が少年時代によく遊んだ台南駅前の広場でも、公開処刑が行われた。
この暴動は日本の新聞でも「南京発」の情報として報じられた。
李登輝・元総統も、身の危険を感じて一週間ほど山中に身を隠していたという。
反乱の掃討戦は一ヶ月ほどで終わり、台湾各地に血の跡を残し、台湾人と
大陸人(外省人)との間に、深い溝ができてしまった。

ところが、国民党政府の弾圧は、これだけでは収まらなかった。
この事件を契機として、日本時代の台湾人インテリを対象にした「虐殺」が
始まった。「白色テロ」である。
突然逮捕され、身に覚えのないことで裁判もなく処刑されるものが相次いだ。
台湾大学のキャンバスに、針金でぐるくる巻きにされた射殺死体が捨てられて
いた。文字通り「暗殺」である。こんなことが珍しくなかった。
台湾人は恐怖のため、夜も安心して眠れない状況に追い込まれた。

李登輝・元総統が、故司馬遼太郎氏との対談で「かつてわれわれ70歳代の
人間は夜はろくろく寝たことがなかった」といっている。
大戦中の軍部独裁といわれる、わが国の治安警察(特高警察)と憲兵による
圧政下でも、国民に不安を与えることはなかった。
それはいまの台湾からは想像もつかない「恐怖の時代」であり、それを体験した
人々が現在も生きているのである。

2006年10月21日
 228記念公園にて
  笠原 道夫


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台湾 台北 訪問紀

2006年11月04日 | 団塊世代
先日、台湾の台北を訪れる機会があり、中正紀念堂に圧倒されました。少し調べて見ました。
いろいろな意味が込められているのですね!

中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)とは、中華民国(台湾)の台北市中正区にある中国の伝統的な宮殿陵墓式の建築物。中華民国の初代総統である蒋介石の死を偲んで1980年に建設された。なお、建築名にある「中正」は蒋介石の本名であり、介石は彼の字(あざな)である。

建物の高さが70メートルにも及ぶ本堂には巨大な蒋介石の銅像が安置されています。
像の上方には蒋介石の基本政治理念であった「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が掲げられています。

像の土台には「生活の目的は人類全体の生活を向上させるためであり、生命の意義は宇宙が継承する生命を創造することである」という蒋介石の言葉がそれぞれ記されています。
フロアの天井の最上部には国章である「青天白日」の徽章が描かれています。

建物にも様々な意味・思想がこめられているのですね

本堂の屋根は八角形で、「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」の八徳を象徴している。また、「人」の字が重なって天に達するように見える設計もされており、これによって「天人合一(天と人が一つになる)」という中国の思想を反映している。その他にも、頂の黄金色が栄光ある昇華を象徴している。

階段―本堂の三方には花崗岩の階段が84段あるが、正面の階段にある5段を加えると89段になるので、これによって蒋介石の享年である89を表わしている。また、正面階段の中央には国徽(国の象徴)であることを示す「御路」(中国の伝統建築において、宮殿や廟堂にのみ用いられる参拝路)がある他、三層ある階段によって蒋介石と中華民国が奉ずる三民主義の「民権、民族、民生」を表わしている。

基礎―三層からなる本堂の広い基礎部分は全て正方形であり、これによって蒋介石の本名である「中正」を象徴している。

外装―本堂の外装は屋根瓦として用いられている青色の瑠璃瓦、壁に用いられている白色の大理石によって中華民国の国章である「青天白日」を表している。更には、紀念堂前の伝統図案による花壇も含めることによって、「自由、平等、博愛」を象徴する青天白日満地紅(中華民国の国旗の図柄)を表すような配慮もされている。ちなみに、「青天白日」は蒋介石が所属していた中国国民党の党章でもある。

2006年10月21日訪問
笠原 道夫

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