*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。41回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第14章 行方不明40名!
「大丈夫か!」 P228~
(前回からの続き)
岩熊たちは前日の13日夕方から同じように危機的な状況にあった福島第二原発で給水活動をおこなっていた。しかし、この日の朝、福島第一原発の3号機への注水が緊急であることが告げられ、急遽、現場にやってきたばかりだった。
「これはもう自衛隊にしかお願いできません」
そう岩熊に要請したのは、現地対策本部の池田元久・経産副大臣である。その緊迫した表情は、岩熊に事態の深刻さをいやでも知らしめるものだった。だが、現場にやってきた途端に彼らは凄まじい爆発に巻き込まれてしまったのである。
岩熊の頭には、「なんて運が悪いのか」という思いと、逆に「自分たちは幸運によって助かった」という相反する思いが交差していた。
「私の乗るジープが先に進んでタンクを通り越して、うしろの2台を誘導するために降りようとした時に爆発が起こったんです。ジープのドアに手をかけた瞬間だったんですが、もし開いていたら、たぶん、爆風でドアが飛んでいたと思います。まだドアが開く前だったんで、運がよかったと思いました。うしろの水タンク車の隊員もまだ降りずに乗っていたので、仮に、少しでも爆発の時間が遅かったら、最悪の状況だったかもしれません」
だが、うしろの水タンク車の被害も尋常なものではなかった。
重量9・4トンの水タンク車の天井は、布のキャンバスである。いわゆる幌だ。落ちてくる瓦礫で、幌が突き破られ、ぼろぼろになっていた。そこから次々とコンクリートの塊が中に飛び込んできていた。
「現場においてあった普通の工事用トラックも屋根がめちゃくちゃになっています。幌の水タンク車がぼろぼろになったのは当然でした。もちろん、私の乗っているジープも幌だし、お暗示ように大きい瓦礫が中に入ってきました」
やっとグレー一色から視界が晴れ始めた時、音も収まってきた。
「降りるぞっ」
「はい!」
しかし、運転席側は爆風の直撃を受けており、窓ガラスが割れているだけでなく、ドアも開かなかった。
「こっちなら大丈夫だ。こっちから降りろ」
かろうじて開いた助手席のドアから、2人は出た。部下のタイベックのしたは血だらけだった。右足の太ももと背中に傷を負っている。重症かもしれない。
まだ煙がもうもうとしていた。埃も、小さな金属片も、宙を舞っている。大きな瓦礫こそ落ちてこなくなっていたものの、まだ身の危険がある。
うしろの水タンク車の下から足を引きずって別の隊員も出てきた。どうやら、車の下の方が安全だと判断し、素早くトラックの下に潜り込んだようだった。
「いてえ、いてえ」
(「第14章 行方不明40名! 大丈夫か!」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/4/12(火)22:00に投稿予定です。