*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。51回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第16章 官邸の驚愕と怒り
「逃げてみたって逃げきれないぞ!」 P261~
車で東電にやってきた菅首相が、東電本店2階の非常災害対策室に姿を現わしたのは、およそ1時間後の午前5時半を過ぎた頃だった。連日の不眠不休の活動で、誰もが疲労の極にある。だが、司会役を務めた細野補佐官からマイクを受けとった菅は、
「ここにはもうマスコミはいないな?」
そう前置きしてこう話し始めた。有名な、およそ10分にわたる演説である。
「福島原発で起きている状況がどういうことを意味しているかわかっていると思う」
菅はそう切り出した。
「これまで法に基づき、政府にも対策本部を置いていたが、事業者と合同で統合本部を設置することが望ましいと判断した。法的には、首相である私が事業者に対して直接指示できることになっている。本部長は、私、菅だ」
演説は、テレビ会議の映像を通じて、吉田のいる福島第一原発のほかにも、福島第二原発、現地対策本部のある大熊町のオフサイトセンター、柏崎刈羽原子力発電所にも同時中継されている。
このとき、総理の演説だけに、多くの人間がメモにペンを走らせている。
「副本部長は、海江田大臣と清水社長だ」
菅がそういうと、海江田が立ち上がり、礼をした。次第に菅の口調が激しくなる。
「事故の被害は寛大だ。このままでは日本国は滅亡だ。撤退などあり得ない!命がけでやれ」
テレビ会議映像には、菅のうしろ姿しか映っていない。だが、声はマイクを通じて響きわたっている。左手を左腰のうしろにあて、向き直ったり、さまざまな方向を見ながら、菅はしゃべりつづけた。
言うまでもなく吉田以下、福島第一原発の最前線で闘う面々にも、表情こそ見えないものの、興奮した菅のようすがわかった。
その現場の人間の胸に次の言葉が突き刺さった。
「撤退したら、東電は100パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げきれないぞ!」
逃げる? 誰に対して言っているんだ。いったい誰が逃げるというのか。この菅の言葉から、福島第一原発の緊対室の空気が変わった。
「現地に足を運び、所長と情報交換してきた。しかし、情報が遅い! 東電の情報は、不正確だし、誤っている。一号機の水素爆発は、テレビが写し出しているにもかかわらず、政府への報告は一時間遅れだ。目の前のことだけでなく、その先を見据えて、当面の手を打て!」
昴揚感だろうか、口調はさらに強くなっていく。
「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ! 俺もいく。社長も会長も覚悟を決めてやれ!」
テレビ会議を通じて、演説を聞く人間の間にざわめきが広がる。総理大臣として、常軌を逸した言い方だった。
「撤退したら東電は100パーセントつぶれる!」
菅は先に行った言葉をもう一度、繰り返した。そして目の前にいる東電の幹部連中を見回しながら、こう言った。
「なんでこんなに大勢いるんだ! 大事なことは5、6人で決めるものだ。ふざけるんじゃない! 小部屋を用意しろっ」
最後は、凄まじい口調となった。
本店の非常災害対策室に詰めていた面々は、あまりに首相の剣幕に唖然としていた。いや、それよりも、テレビ画面を通じて、怒声が響き渡った福島第一原発の緊対室は、怒りと虚しさが入り混じった奇妙な雰囲気に陥った。
その時、緊対室の円卓の中央の本部長席にいた吉田は、テレビ会議の映像とカメラの方向に背を向けて、すっくと立ち上がった。
なんだろう? まわりが吉田を見た瞬間、吉田はズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れなおした。総理に尻を向けて、ズボンを下ろしたのである。(略)
(次回は 第17章死に装束 「各班は、最小人数を残して撤退!」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/5/9(月)22:00に投稿予定です。
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