*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。45回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第15章 一緒に「死ぬ」人間とは
近づいてきた「最期」 P244~
免振重要棟の緊対室は、悲壮な空気に支配されていた。
すでに事故から4日目。ほとんど睡眠をとることもできず、文字通り、不眠不休の状態でここまで来ていた。だが、ついに事態は、”最期”を迎えようとしていた。
この日の午前11時過ぎに起こった3号機の爆発で、海水注入を行っていた頼みの消防車が破壊されてしまったのである。ホースなども損傷し、ついに海水注入による冷却活動がストップしてしまったのだ。それは、致命的な事態だった。
冷却ができないということは、燃料を冷やすための水が蒸発し、燃料棒がむき出しになることを意味する。それは刻一刻と燃料棒が損傷し、メルトダウンが近づいてくることを示していた。
2時間後の午後1時過ぎ、吉田は、放射線量の落ち着きを待って現場確認を指示した。これ以上の時間の経過は許されない。意を決して、凄まじい破壊の跡となった「現場」の調査を命じたのだ。それは予想以上の被害だったが、わずかな”朗報”もあった。
原子炉建屋近くの消防車は、運転不能となっていたが、そこから離れた海側の「物揚場」の消防車が2台、無事だったことがわかったのだ。これは、海から海水を吸い上げ、そこから逆洗弁ピットに海水の補給をおこなっていた消防車である。
これが辛うじて運転可能なことがわかった。
ただちに、その消防車を使って、物揚場から直接、海水を送る指示が吉田から発せられた。
ズタズタになっていたホースを交換して、この消防車によって注水が「再開」されたのは、午後3時半を過ぎた頃である。
だが、最大の危機を迎えていたのは、「2号機」だった。3号機爆発のタイミングで2号機のRCICが止まり、炉内の圧力が上昇し始めたのである。水位も徐々に低下していく。消防車を通じて海水注入をおこなおうとするが、すでに中の圧力が高くて入らなかった。
「水が入りません!」
もはや、中で完全に燃料棒が露出していることは間違いなかった。
「要するに、セーフティー・リリーフ・バルブという”逃がし安全弁”が開かないから2号機の圧力が落ちないんですよ。中の圧力が一平方センチあたり10キログラムの圧力より下がらないと、消防車の押し込み圧力が勝つことができず、水が入っていかないわけです。水がそこで”止まっている”だけですよ。その圧を抜くためのバルブがちゃんと動かなくて、それで時間だけとって、圧が抜けなかったんです」
(「近づいてきた「最期」」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/4/19(火)22:00に投稿予定です。
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