*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。48回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第15章 一緒に「死ぬ」人間とは
思い浮かべた仲間の顔 P248~
(前回からの続き)
周囲の人間には、そのことがわかった。誰も言葉を発しない。黙って吉田の姿を見ている。事態の深刻さを緊対室に詰める誰もに語らせるシーンだった。
その吉田の姿は、「最期の時」が来たことを身体全体で周囲に伝えていた。
このとき、まっさきにその”異変”に気付いたのは、吉田の背中側の席にいた企画広報グループの猪狩典子(51)である。
「あの時、もう最期だと思いました。それまで席に座っていた吉田さんが突然、立ち上がったかと思うと、机の下にそのまま”胡坐”をかくように座ったんです。吉田さんは、しばらく頭を下にして、目をつむっていました。私は、ああ、(プラントが)もうダメなんだ、と思いました」
猪狩は、技術者でもなければ、プラントの専門家でもない。プラントの状態は頭で理解しているつもりでも、実際のところはわからない。
3分、5分、10分・・・その状態はつづいた。猪狩は、吉田のようすを黙って見ていた。企画広報グループの猪狩の席は、吉田とわずか5メートルほどしか離れていない。地震発生以来、どれほど疲れていても、その素振りすら見せなかった吉田に「限界」が来たことを見せつける。
しかし、このとき、吉田は、頭を垂れながら、あることを考えていた。
「私はあの時、自分と一緒に”死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです」
吉田は、その場面をこう回想した。
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背中を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。吉田は何を思ったのか。
「何人を残して、どうしようかというのを、その時に考えましたよね。ひとりひとりの顔を思い浮かべてね。私は、東電に入社してから、福島第一は長いんですよ。若い時から何度も勤務しているし、あわせると10年以上、ここで働いていますからね。若い時から、一緒にやってきた仲間が結構いるんですよ」
吉田は、そのひとりひとりの顔を思い浮かべたというのである。
(中略)
最初に思い浮かんだのは、同い年の復旧班の班長の顔だった。
「復旧班長って2人いるんだけど、そのうちの一人なんですけどね。これはもう、本当に私と同じ年なんですよ、昔からいろんなことを一緒にやってきましたからね。こいつは一緒に死んでくれるんだろうな、って最初に浮かんできたですね」
こいつなら一緒に死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、と、それぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。
「やっぱり、一緒に若いときからやってきた自分と同じような年嵩の連中の顔が、次々と浮かんできてね。頭の中では、死なしたらかわいそうだ、と一方では思っているんですが、だけど、どうしようもねぇよなと。ここまで来たら水を入れ続けるしかねぇんだから。最後はもう、(生きることを)諦めてもらうしかねぇのかなと、そんなことをずっと頭の中で考えていました」
(次回は、第16章 官邸の驚愕と怒り 「えっ、全員退避?」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/4/25(月)22:00に投稿予定です。