*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。39回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第13章 1号機、爆発
信じられない光景 P228~
(※間違ってお知らせしましたが、前回の話は、終わりました。)
「中操は、データ収集の人員を除いて免震棟に引き揚げよ。今後、中操内にとどまるのは、”交代制”とする」
吉田所長の指示によって、伊沢たちは、「5名ずつ」の交代勤務に切り換わった。1、2号機の中操から免震重要棟に上がってくる途中、伊沢は想像をはるかに超える光景を見た。すでに地震から丸二日以上、50時間以上が経過していた。
「私は地震当日の朝に中操に入って以来、外に出ていません。緊対室からやって来る人間から、外の惨状を聞いてはいましたが、実際に見た時は驚きました」
普段は整理された「十円盤」の敷地が津波とその後の爆発で生じた瓦礫によって、見るも無残な姿に一変していた。
1号機の原子炉建屋の上部を吹き飛ばした水素爆発の凄まじさには、さすがの伊沢も言葉を失っていた。それは、空爆によって破壊された戦場の町を連想させるものだった。
衝撃を受けながら、やっと免震重要棟に辿り着いた伊沢は、今度は別の意味の異様な光景を見た。そこでは、あらゆる場所に人が「倒れて」いたのだ。それこそ「戦場」と表現すべきものだったかもしれない。
「免震重要棟の廊下やフロア、トイレのところ、ありとあらゆる場所に人がうずくまってるんですよ。協力会社の人も含めて、力尽きている人がいっぱいいる。なにか不思議な感じがしました。戦争でいうなら、中操から免震棟に上がってきた時は、最前線の戦場から後方に下がってきた感じなわけです。そこに人が沢山いたことを知り、私はびっくりしてしまったんです」
免震重要棟にはこの時、600人を超える人々がいた。しかし、伊沢は、どこか雰囲気的に違和感を感じた。そして、それがなんであるかがわかった。
「戦争でいうなら、”非戦闘員”がいっぱいいることに気づきました。こっちは、やっと中操から生きて帰りました。するとそこに、技術系ではない人たちが沢山いたんです。寝転んで、わけのわからないところに押し込められて、いま、何が起こってるかわからないという人が女性や協力企業さんも含めて沢山いたんです。自分自身がやっと生きて帰ってきたって思っているところに、自分が助けなくちゃいけない人間がまだこんなにいっぱいいる、ということを知ったんです」
伊沢は、「非戦闘員」という言葉を用いた。
「あまりにいっぱいいいるので、びっくりしました。緊対室の吉田所長たちがいる円卓は最前線ですが、うしろのほうには、なんというか避難した非戦闘員がいっぱいいたわけですよ。でも、びっくりしただけでなく、私としては、仲間が増えたという思いも湧いてきました。中操では、自分が最高責任者でしたから、やっぱり孤独だったですよ。でも、免震棟に来たら、吉田所長を筆頭に、大勢で闘っているわけじゃないですか。
特に、復旧班の主力は、放射線と水素爆発の危険がある現場で電源復旧に全力を挙げていました。だから免震棟に引き揚げても、私もあきらめなかったですね。中操では”死”を覚悟していましたけど、ここでは”死ぬ”という思いはなかったです。免震棟では、”ここからやれば、なんとかできる”と思ったんです。不思議な感覚っていうか、まだまだいける、と思ったことをことを覚えています」
(次回は、「第14章 行方不明40名!」)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/4/7(木)22:00に投稿予定です。