原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『死の淵を見た男』<~1号機、爆発~ 信じられない光景> ※39回目の紹介

2016-04-06 21:43:32 | 【吉田昌郎と福島第一原発の500日】

 *『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。39回目の紹介

『死の淵を見た男』著者 門田隆将

「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」

それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)

吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。

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**『死の淵を見た男』著書の紹介

第13章 1号機、爆発

 信じられない光景  P228~

(※間違ってお知らせしましたが、前回の話は、終わりました。)

「中操は、データ収集の人員を除いて免震棟に引き揚げよ。今後、中操内にとどまるのは、”交代制”とする」

 吉田所長の指示によって、伊沢たちは、「5名ずつ」の交代勤務に切り換わった。1、2号機の中操から免震重要棟に上がってくる途中、伊沢は想像をはるかに超える光景を見た。すでに地震から丸二日以上、50時間以上が経過していた。

「私は地震当日の朝に中操に入って以来、外に出ていません。緊対室からやって来る人間から、外の惨状を聞いてはいましたが、実際に見た時は驚きました」

 普段は整理された「十円盤」の敷地が津波とその後の爆発で生じた瓦礫によって、見るも無残な姿に一変していた。

 1号機の原子炉建屋の上部を吹き飛ばした水素爆発の凄まじさには、さすがの伊沢も言葉を失っていた。それは、空爆によって破壊された戦場の町を連想させるものだった。

 衝撃を受けながら、やっと免震重要棟に辿り着いた伊沢は、今度は別の意味の異様な光景を見た。そこでは、あらゆる場所に人が「倒れて」いたのだ。それこそ「戦場」と表現すべきものだったかもしれない。

「免震重要棟の廊下やフロア、トイレのところ、ありとあらゆる場所に人がうずくまってるんですよ。協力会社の人も含めて、力尽きている人がいっぱいいる。なにか不思議な感じがしました。戦争でいうなら、中操から免棟に上がってきた時は、最前線の戦場から後方に下がってきた感じなわけです。そこに人が沢山いたことを知り、私はびっくりしてしまったんです」

 免重要棟にはこの時、600人を超える人々がいた。しかし、伊沢は、どこか雰囲気的に違和感を感じた。そして、それがなんであるかがわかった。

「戦争でいうなら、”非戦闘員”がいっぱいいることに気づきました。こっちは、やっと中操から生きて帰りました。するとそこに、技術系ではない人たちが沢山いたんです。寝転んで、わけのわからないところに押し込められて、いま、何が起こってるかわからないという人が女性や協力企業さんも含めて沢山いたんです。自分自身がやっと生きて帰ってきたって思っているところに、自分が助けなくちゃいけない人間がまだこんなにいっぱいいる、ということを知ったんです」

 伊沢は、「非戦闘員」という言葉を用いた。

「あまりにいっぱいいいるので、びっくりしました。緊対室の吉田所長たちがいる円卓は最前線ですが、うしろのほうには、なんというか避難した非戦闘員がいっぱいいたわけですよ。でも、びっくりしただけでなく、私としては、仲間が増えたという思いも湧いてきました。中操では、自分が最高責任者でしたから、やっぱり孤独だったですよ。でも、免震棟に来たら、吉田所長を筆頭に、大勢で闘っているわけじゃないですか。

特に、復旧班の主力は、放射線と水素爆発の危険がある現場で電源復旧に全力を挙げていました。だから免棟に引き揚げても、私もあきらめなかったですね。中操では”死”を覚悟していましたけど、ここでは”死ぬ”という思いはなかったです。免震棟では、”ここからやれば、なんとかできる”と思ったんです。不思議な感覚っていうか、まだまだいける、と思ったことをことを覚えています」

 (次回は、「第14章 行方不明40名!」)

※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、

2016/4/7(木)22:00に投稿予定です。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日


4月5日(火)のつぶやき

2016-04-06 02:48:10 | つぶやき

メチャ増えてるね。急性白血病 厚生労働省の医療データ
急性白血病から見た原発事故後の日本を見てみる。
(阿修羅2016年3月02日)

事故前後に完全に白血病がとんでも無く増えているね。
この国は情報あっても、積極開示はしないんだ。 pic.twitter.com/qFkCUaI4pQ

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"tezukakaz
2011年晩夏 千葉北東部在住
我が社の専務の娘さんが
急性リンパ性白血病

2014年夏 江戸川区住んでた
息子が急性骨髄性白血病

クリエイター系の我が社内で家族持ち
うちと専務の家しかなく

会社の子供が
全員白血病になった事になる

恐ろしい確率"

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"remember919 2016年4月
福島の子供の「嚢胞率」が毎年確実に増えてる。

二巡目、これまで何もなかった子や
小さな嚢胞を持ってた子23人(99%確率)が癌に。

甲状腺癌はごく初期の被曝が原因
もう止められない…" pic.twitter.com/1QPfr6PA0F

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"Angama_Market 2012年2月26日

今目の前にいるチュニジア人。

1号機爆発の時二本松

→即東京にタクシーで避難

→3/14に福岡空港から奥さん子供と
チュニジアに帰国

→11月から鼻に腫瘍、鼻血、甲状腺の腫れ。
薬飲むも未だ治らず。
"

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2012-07-24
3月19日に福島脱出
今年の6月歯茎がゴルフボール大まで腫れた

歯科医が口揃えて
「普通は、こんなはずは無い
(まだ免疫力が有る年齢だし腫れる要素が無い)
免疫力の低下により少しの菌混入で腫れたのでしょう」
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/f9512…

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2012-12-29
栃木で、綿ぼこりが
19万2906Bqということが載っていた。

たったの2gで
あのオーダーのカウントがあった事が重要

とにかくホコリが、約20万Bqあるという・・
栃木も大変なことになっています。。。涙
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/cb69d…

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原宿2万Bq/kg、皇居11万Bq/kg
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/66a8f…

【 東京スカイツリー被曝ツアー~0.34 μSv/h 】
上階に上がるごとに、
 「0.16~0.18 μSv/h」
⇒「0.25~0.28 μSv/h」
⇒「0.34 μSv/h」

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"freie_Herz
井戸川・前双葉町長

原発作業員が事故で
亡くなったというニュース

『今まで原発で死んだ人はいない』
といつも言うが大ウソ

私は町長だったから
事故で人が亡くなったという
報告書に何度も判を捺した。

震災前から東電はしょっちゅう
事故を起こしていた"

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2011年3月12日15時36分
1号機建屋で最初の水素爆発が起こった時
約1時間程度遅れて東京のキー局もその模様を映し出した。

その時、アナウンサーが
「1号機で爆発。40人ほどの東電社員が負傷した模様。
 今、病院に救急搬送」と

(カレイドスコープ 2013.07.10)

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チェルノブイリ事故当日と翌日、キエフで雨が降った、

チェルノブイリから北へ300キロのモギレフには、

4人の日本人が滞在中で、この4人も雨にあい、

5月1日に帰国して大量の放射能が検出された。

blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a4b12…

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